ベウフスト候イグニス

「裏切ったのか! レイオット!」

 右横から突き入れられた槍の穂先を下からの一撃で弾き飛ばして前に出ると、親しいと思っていた同じ貴族の若者の姿が見えた。

「違う! 間違ったのは貴公だ、イグニス! ここはコウトギじゃない! 人族の国なんだ! 獣人を中心に考えて事が進むと思うか!?」

「そんな事は考えていない! 無理を通そうとしたのは帝室のほうだ! 俺は臣民なら獣人族も人族も差別なく守る! 間違っているのは皇帝陛下のほうだ!」

「それが通らない考えだと言っている! この国で皇帝陛下の御下命は絶対なのだ!」


 イグニスに付いている直轄は五千。レイオットの軍の側撃を受けたものの、その三千の攻撃にならびくともしない。ましてや率いているのは全て獣人である。レイオットが連れて来ている人族の軍に引けを取る訳はない。

 しかし、現実には接敵地点に移動したイグニスが直接武器を振るってまで離脱を急いでいる。それは後背に迫っている帝国正規軍一万との接触を避ける為だ。


(あれを食らえばまた崩される。これ以上削られれば烏合の衆になってしまう。西部諸侯に保護を求めるにも、足元を見られて利用されるだけに終わるかもしれない)

 それだけは避けたかった。

 彼を信じて付いて来てくれている配下の獣人達を不遇な環境に追いやる訳にはいかない。イグニスは帝国内における獣人の橋頭堡でなくてはならないのだ。


「見逃せ、レイオット! それだけでまだ卿を友人と呼べる! 頼む!」

 最後の望みを込めて声を張る。

「言うな! 貴公もそうであるように、私も守らねばならない配下も民もいるのだ! 陛下の不興を買えば道は断たれる!」

「共に行く道はないのか!? 道理が通らないのはどちらだと思っている!」

「通すべきは道理ではないのだ! そうでなければ飲み込まれるだけだと分かれ!」


(俺には友を手に掛けねば生き残る道はないのか?)

 示されている二つの選択肢に、暗澹たる思いが胸をよぎる。

 ここで武装を放棄し、帝国軍に下るか? そうすれば彼以外の命は残るかもしれない。だが、彼を頼みと集まって来た獣人兵は良いように使い潰されてしまう可能性が高い。

 無理してでもレイオットの三千を突破して西部に逃げ延びるか? 上手くいけば彼の命も残り味方の損害も少数で済むかもしれない。だが、叛逆者として、また友殺しとして謗りを受け、帝国での立場は霧散するだろう。

 どちらを取っても、今後帝国での獣人の立場が難しくなるのは間違いない。


 なぜ急にこんな事になったのか、イグニスには解らなかった。


   ◇      ◇      ◇


 イグニスがベウフスト候領の家督を継いだのは二十三の若さだった。その正確な時期となると皇帝より拝領された時となるだろうが、それ以前より領主の仕事は始まっていたのだ。

 と言うのも、二十歳で多大な武勲を上げたイグニスを一人前と判断した、当時領主であった父が母を伴ってコウトギに詣でに行くと言い出したからだ。正式に領主代理と任じられた若き獣人は、そのから家臣団の補助を受けつつ領主の仕事に励んだ。


 前述の通り、彼は獣人である。帝国内でも騎士爵以外で唯一の獣人の貴族『獣人侯爵』だった。

 父はナガツメトラの獣人だったが、母はアオスジトラの獣人なので、母系遺伝で彼はアオスジトラの獣人だ。それも、比較的獣相は濃いほうで、鼻面は大きく迫り出しているし、顔面まで毛皮があり、牙が口元を彩る強面である。

 それを母は恥じているようだったが、イグニス自身は精悍に見える自分の顔を気に入っていた。


 領主代理として能力の足りなさを感じていたが、領地に混乱を来すほどではなく、何とか治めていたのでそのままであれば問題無かった。

 ところが不運にもイグニスの父は詣での先で風土病に罹り、あっという間に逝ってしまった。看病に付いていた母にも感染して追うように魂の海に還る。医療体制のある自領であれば快復の見込めた程度の症状であったのに、現地の人間には耐性があったが為に対処が遅れてのこと。

 それを苦慮したコウトギの長議会は、イグニスの支援を決める。派遣された優秀な人材が家臣団に加わり、彼らの全面的支援の下、彼は領主としても一人前に成長していった。


 それに報恩の思いを抱くイグニスは、コウトギから流入する獣人の支援はもちろんの事、帝国内で暮らす獣人達の相談役的な役割にも力を入れるようになっていった。

 これまでも似たような状況に有ったのも事実だが、彼の代でベウフスト候領とコウトギとの共生関係も深化したかのようであった。


 帝国南部の中央、やや西よりに位置するベウフスト候領はモリスコートに領主館を置いている。

 南隣に位置するデュクセラ子爵領の領主レイオットとは八前のデネット戦線で肩を並べて戦った。デネット公国との戦争は熾烈を極め、当時二十歳のイグニスと若干十七だったレイオットは、そこで華やかな武勲を上げる。

 そして今は失われ、レスキレートの宿場町が残るくらいになったデネット領の一部が爵位とともにレイオットに与えられ、彼はデュクセラ子爵となったのである。いずれは父の家督を継ぎ、デュクセラ辺境伯となった暁には、領地は統合されてデュクセラ辺境伯領となるであろうと思われている。


 そんな将来有望のレイオットとの友誼を繋げてきたイグニスの元に様々な働き掛けが入るようになったのは、ここ一くらいの事である。使者からは噂の帝国西部連合の名がそれとなく囁かれ、イグニスを誘う台詞が連ねられる。彼は興味のない素振りを見せるのだが、統治というのはそれだけでは終わらない。

 使者がもたらす燐珠りんじゅがモリスコートに居を構える商人達の目を惹く。彼らの商いが領地の財源にも繋がるとなれば、陳情をそう無碍にもしていられないのが領主という職である。

 幾度も使者を受け入れていると、とある方との面談の誘いがあり、応じたイグニスは運命を感じるような出会いを経験した。それが彼の心に大きな迷いを生んでいたのである。


 そんな折、帝都からの使者が訪れる。


『獣人兵一万を徴用する。一ヶ月以内に選抜し、帝都に出頭させよ』

 皇帝印の押された命令書の形式を取っているが内容は出鱈目だ。

 貴族の所領は一つの独立国に近い。通常は国軍でも通行に許可を求めるし、物品の徴用でさえ危急の際を除けば善意に頼らざるを得ない。それも後に補償される。

 なのに人員の徴用を勝手に決定するなど論外。


『我が領の獣人兵は領兵であり私兵である。徴用とは如何に?』

 それに対してイグニスは質問状を送る。すると回答は以下の通り。

『回答の要無し。下命に従え』

 呆れるような、つっけんどんな内容だ。


『帝国危急の際に、帝命あらば臣として領兵を率いて進撃する準備有り』

 更なる、臣としての姿勢を示す書状には回答もない。

 帝国首脳部の真意を問う内容のつもりだったが、別の意味に捉えられたかと不安が募る。ゆえに間を置いて質問状を追加して送った。


『出兵の要あらば根拠となる情報を求む』

 それでも回答を得られなかった辺りでイグニスも気付く。これは叛意を疑われているのだと。

 西部連合との関係を疑われたか? 或いは既に機の到来とともに立つ者と断じられたか?


『これ以上の戦地拡大の要有りか? 陛下の御心を問う』

 最後の一線だ。これで回答が無ければ身の振りようを考えなくてはならない。

 だが、探りのつもりで送った質問状に対しての回答はすげないもの。


 叛逆の意有りとされて、差し向けられた帝国軍の姿だった。

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