赤燐宮防衛網

(重……くはないけど、動きにくい)

 カイは体の各所に枷をはめられたかのように感じている。


 重くはない。が、動きは制限されるし、急にも動けない。この枷は確実に彼の弱点を突き、自由を束縛している。


 そして、「みゅー」と鳴く。


   ◇      ◇      ◇


 密林条約締結後もすぐに元通りの生活とはいかず、各施設の建設が進んでいる。祈りの間と各部局の設置は早急に進められたが、官舎やエルフィン達の宿舎などは後回しにされていた。

 森の民は野営にも慣れているし、監督の必要は無いと申し入れたそうだが、チャムは一通りの建設が済むまでは責任を持って監督したいと言って、まだ指揮を執っている。


 その間にカイは一度ホルムトに戻っている。自宅で急な来客対応を頑張ってくれたレスキリを労い、一緒に買い物に行き並んで料理をして食卓を囲んだ。

 一泊してから森林帯に出向き、針猫ニードルキャットの元を訪れる。彼らに移住希望者がいれば赤燐宮に招くためだ。


 ボスが勝手に多数の猫を送ったのを詫びてきたが、それに関して彼は感謝を述べる。非常に良く働いてくれているようで、実際に助かっているのは紛れもない事実なのである。

 と言うのも最近、カイが掃除をして以降また増えてきた間諜がきれいにいなくなって王都は風通しが良くなったとグラウドに聞いている。一時期、連陽れんじつかなりの数の死体が発見されることがあり、その全てが頭部に金属針を撃ち込まれていたらしい。

 どうやったか知らないが、ホルムトの守護者は確実に危険な間諜を見分け、仕留めていったようだ。犯人探しはそのままのほうが都合の良い国王と政務卿が止めている。

 心当たりを問われたカイは、そのままでも市民や貴人に被害は出ないと直言する。城門内を歩く、毛足の長い猫に餌を上げておくと、この状態は長続きするだろうとも言っておいた。



「みゃう?」

 移住者の話をすると真っ黒い毛を持つボスはカイの腕の中で疑問の鳴き声を上げる。

「この辺りとはかなり気候が違います。住みづらい可能性も少なくないので強くは勧められませんが、来てくださる子がいれば助かるのですが?」

「みゃみうみゃう」


 集まっている猫達の前でボスが何事かを告げると動揺の輪が広がったように見える。彼女の呼び掛けに応じて灰色の虎縞の猫が進み出てくると、尻尾を立て一礼した。彼が移住してくれるのかと思っていると、黒猫はまたとことこと歩いてきてカイの腕の中に納まり鳴く。


「え、君が来るの?」

 驚いて丁寧口調が抜けてしまった。

 何度か遣り取りをして確認すると、どうやら彼女はここの縄張りのボスを彼に継承したようだ。

「構わないんですか?」

「みゅ」

 つい呆れの声を上げてしまうが、ボスは一向に介さない。

「じゃあ、あなたに甘える事にしましょう」

「みゅー」


 合わせて何家族かが移住に応じてくれるようだ。

 リドに纏わりついて遊んでいた、コロコロとした子猫達が一斉にカイによじ登ってくる。移住の意志表示なのかどうかは分からないが、その子達にとっては楽しい冒険なのだろう。


 結果として青年は後悔する事になる。

 パープルの背には子猫が満載されて各所にしがみ付いている状態。身体がひと回り大きくなって、様々に彩られているかのようだ。どうせならブルー達も連れてくるべきだった。

 彼の目算では、興味を示した数匹が付いて来てくれれば良いと思っていたが、ボスを慕う多くの家族が同行を希望したので大所帯になってしまった。


 なので、彼自身も黒猫を抱いて、身体中に子猫を纏わりつかせて、歩いてホルムトを目指している。

 そのままでは街門をくぐる時にあまりに目立ってしまう為に、イルメイラに遠話をしてレスキリに連絡を取ってもらい、迎えの鳥車を出してもらっている。


 合流するまでは、カイはこの「みゅー」と鳴く枷を掛けられたままなのだ。


   ◇      ◇      ◇


 自宅に着いて散々家中を冒険した子猫達は疲れて落ち着くかと思いきや、赤燐宮に転移してからも王宮内にワッと散っていった。

 呆気に取られたカイもただ見送るしかなかったのである。子猫の好奇心というものは侮れないのだと改めて思い知らされた一事だった。


 さすがにスタミナ切れになって各所で眠りこけたようで、困った顔をした青髪の美形達が子猫を抱いてチャムのところへ列をなす光景が展開される。事前に聞いていた彼女は苦笑を漏らし、連れ帰るも置いていくも自由と告げた。

 子猫を手にした時に見せた彼らの強い感情が、今後情緒を育んでくれる事を祈って。



 膝の上でしどけない寝顔を見せる子猫をエルフィンのクララナが慈しみの笑顔で撫でている。あれ以来同じく女王付きとなったアコーガも傍でその様を見ていた。


「実は……」

 彼が、失敗を詫びに来たカイに切り出した。

「周辺でかなりの数の風鼬ウインドフェレットが確認されています。例の魔獣除け魔法陣からは除外されているので、敷地近くまで接近する個体も多く見られます」

「衝突したりしましたか?」

「いえ、こちらの監視を気取けどってはいるようですが、攻撃はもちろん威嚇行動も見られていません。セネル鳥せねるちょうの群れとも交流があるようで、上手に棲み分けているようです」

 話を聞いていたチャムも目が笑っている。

「魔法陣が要らないくらいに強固な防衛網が出来上がりつつあるんじゃない?」

「安全なのに越した事は無いんだけど、これはちょっと過剰かもしれないね。まあ、善意なんだろうから干渉しない方針でお願い出来ます? もしかしたら、子育て時期は効果範囲内や敷地内に入ってくるかもしれないけど、その時もそっとしておいてあげられたら助かります」

「ではそのように」

 彼が防衛隊のエルフィンに通達してくれるだろう。


 今でも敷地内に仔セネルは多数見られるし、針猫ニードルキャットの姿は増えていくだろう。そこに風鼬ウインドフェレットの子供の姿も加わるかもしれない。


 ゼプル女王国は、一風変わった都市国家になりそうな気配だった。


   ◇      ◇      ◇


 設備建設も山場を越え、チャムも空き時間が増えてきた頃合いを見計らって、カイが彼女を広場に誘う。そこは赤の王リギジアブラフィノルギッシュ飛来時の為に空けられた空間だった。

 特に彼を呼び出す訳ではない。広い場所が必要なだけだ。すぐに彼は作業台を展開し、チャムは何を始めるのか察せられた。


「こっち?」

 彼女は左の腰をぽんぽんと叩く。女王となった今も佩剣を止めない。

「うん、それも。トゥリオにも声掛けといたからじきに来ると思うよ」

今陽きょうも頑張ってた?」

「みたいだね」

 状況的に四人が集まって鍛錬出来ないので、各個に時間を見て鈍らないようにしているが、大男はフィノの杖術の訓練にも付き合いつつ進めているようだった。

「忙しくて見てあげられていないから、フィノに変な癖が付いていないか心配だわ」

「時々覗いているけど心配無いよ。トゥリオも基本の身体の使い方はちゃんとしているから、指導に関しては問題無し。彼の場合、その先の振り方とかがしっかりと身に付く前に飛び出しちゃったみたいだね」


 色々と動き回って忙しくしているようでも、要所要所の目配りは欠かしていない。

 チャムもその視野の広さを目指さないといけないのだが、今はまだ届いていないと感じてしまう。


「じゃあ、始めるね」

 使い込まれた木製の作業台は、表面が磨かれたように削れてきて艶を増し、良い味を醸し出している。


 その上に取り出されたミスリルは、いつもより少しだけ量が多いようだった。

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