魔闘拳士の真意
さざめくような空気は、帝国大使の退場だけでなく、別の原因に拠るところも大きいと感じられた。
神使の一族が卓越した技術を持つだけでなく、『魔闘拳士』という強大な力をも有していると判明したからだ。
ラドゥリウスでの争乱は噂という形で大陸に広がりつつある。それは正確な話ではなく、帝都が魔闘拳士一人に翻弄されたという内容で、だ。
その本人が目の前にいる。神使の側の守護者としてだ。その事実を知らなかった国の大使にしてみれば大きな誤算となり得るのだった。
「もう一度お聞かせ願えましょうか? 女王陛下に於かれましてはお求めになられるものは無いとおっしゃられましたか?」
鋭い舌鋒で様々な譲歩を引き出したウルガン大使は、黙して語らない黒瞳の持ち主をチラチラと窺いながら下手に出る。今更ながら怖ろしくなってしまったのだろう。
「ええ、お願いした幾つかの事項以外は特に求めるものはありませんわ」
「ですが、神使の方々にも何らかの利点が無ければ国交をお求めになられる意味は、その、あまり無いのではないかと愚考致しますれば」
「なかなかご理解もらえないとは思うのですが、我々は無欲です。皆様のように国益に熱心では無いのが本当のところなのです。受け身に感じられたのだとしたら、それが原因だと思います」
チャムは気取らない様子で淡々と説く。
「如何にも、いえ、付け入ったような印象を持たれているのではないかと思いまして、それは私の本意ではなく何かお助け出来る事が無いかと考えるのですが、理解が及ばず遺憾に思っております」
「国を興したのは対等な立場で触れ合う機会を得る為です。変わっていくとすればこれからになりますので、将来的には何か求める可能性もありましょう。今は理解を深める時と思っています」
ウルガン大使は引き下がる。押すも誘い込むも儘ならない状況では外交手腕を発揮出来なかった。
「ですがそれでは話が進まないのではありませんか?」
手を挙げ、落ち着いた声音で発言したのはフリギア使節のメイネシアだった。これまで彼女は慣れない遣り取りの中で出しゃばらないようにしていたようだが、首を傾げる様子は再々見受けられた。
「神使の方々は、人類にとっては絶対的な正義と位置付けられます。形ある正義という信望は人を引き付けて止まないでしょう。なのに歓心を買いたくとも無欲を示されれば踏み込む足は鈍ります」
「そうでしょうね」
チャムの口元には自嘲がある。
「それがきっと私達の一番悪いところなのでしょう。一線を引いてしまっているのはこちらですね」
(ほう? これはちょっと面白い流れになってきたぞ)
急に、それも感情論を入れてきたメイネシアを大使であるウェーベラント公爵子は止めようとしたが、バルトロはそれを制する。
(この娘はほとんど外交を知らないからこんな論調になったのだろうが、神使に対しては最良の突破口になってくれるかもしれない)
とんだ拾い物をしたかもしれないと彼は思う。
「想像してみてください。引っ込み思案だけど、とても魅力的な隣人がいます」
切り出したのは黒髪の青年だった。
「あなたは友達になりたい。でも幾ら積極的に話しかけても愛想笑いしか返って来なくて、本心は見えてこない。その人が何を望んでいるのかも見えて来ないから、胸の内を読めずに困っている。メイネシアさんならどうしますか?」
「出来るだけ傍にいるようにして他愛のない事を話し掛けるところから始めると思います。少しずつ歩み寄っていけば、そして誠意を見せればいつかは心を開いてくれるのではないかと思って……」
思案げにしていた彼女は、だんだんとカイの言わんとするところが理解出来て表情が明るくなっていった。
「相手を高嶺の花と思って這い上ろうとするから手が届かないんだわ。そこが間違ってる。まずは隣に座るところからじゃないと」
「そうしてくれると助かります」
あでやかに微笑むチャムに、メイネシアは笑みを返した。
「なるほど、それは分からないでもありませんな」
優男といった見掛けによらないフリギア政務卿が切り返す。
「ですがその魅力的な隣人には非常に
「その用心棒は確かに主人をとても大事に思っているかもしれませんが、誰にでも牙を剥くような真似はしないのではありませんか? むしろ主人の気持ちのほうを大事にしている。見せる誠意が本物ならば決して力が振るわれる事は無いでしょう」
突然始まった、まるで絵本の中身を語り合うような例え話に、大使達は呆気に取られる。だが、彼らとて場数を踏んだ専門家。それが何を意味しているかにはすぐに気付く。
「それに、用心棒はいつも主人の傍にいられる訳ではありません。それがとても心配なのではないかと思いますよ?」
「欲得だけに駆られず本当に仲良くなりたいのなら、そして戦う力があるのなら、魅力的な隣人を守る事で誠実さを表す事も出来るのですな?」
「ええ、隣人の感謝は深いでしょうから、いずれは親友になれるのではないかと思います」
(分かったぞ。魔闘拳士には神使を世界の中心に据えようなんて思ってない。彼らを対帝国の旗頭として正義を背負う意図は欠片もないんだ)
バルトロはやっと得心が入った。予想は完全に外れていたのだ。
(彼は
彼は思考を巡らせる。
(いや、それさえも間違っているような気がするぞ? それならもっと明確に上下関係を築くように持っていくはず。そうしないのはなぜだ?)
使命を第一にするつもりなら西方二大国を上手に利用しない手は無い。支援体制を強固に作り上げたほうが都合がいい。
(まさか? いや、それなら辻褄が合う。もしやゼプル女王国が安穏に、それも永続的に暮らせる状況を作ろうとしているのか? その為の防壁が密林と西方二大国か。だからフリギアもホルツレインも善き隣人であってほしいと願っているのか。それならフリギアが演じるべき役割は決まってくる)
方針が決まればバルトロの動きは早い。
「フリギアとしては食料等生活物資の支援をホルツレインと図らせていただきたいと思う」
言葉遊びのような空気は消え、語調は真剣さを帯びる。
「沿岸部の警備はクナップバーデンとの絡みも有るので、更なる関係深化が必要となるがそれで構わないだろうか?」
南海洋沿岸部の国の大使の意思を問うように話し掛ける。
「南海洋海上警備に関して、軍港の設置には自由都市群との協議が必須となる為、少々お時間をいただきたい。ホルツレインの計画もお有りでしょうから、そちらも話を詰めないといけませんな」
防備計画を一つひとつ挙げていくバルトロを青年の黒瞳は静かに見守っている。どうやら問題は無いらしい。
「それでしたらご協力させていただけますかな?」
手を挙げたのはジャルファンダル大使である。彼は青年が魔闘拳士と知ってからはずっと機会を窺っていた。
「ええ、もちろんお願いしたいものです」
その後も幾つかの支援策が協議されて決められた後に、各条項が纏められた文書が回され、仮の署名が為されていく。
いわゆる密林条約が結ばれたのだった。
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