帰服
「こちらからお伺いしましたのに」
そう言って手ずからお茶を運んできたのは北辺爵のレレム・エレインである。
北辺府の執務室の応接テーブルに通された青年は、楽しそうに隣に座っているレレムの息子アムレの頭を撫でている。以前は白猫が直立しているだけのようだったアムレも、今では獣相が薄まってきて獣人少年らしい容貌になってきている。
「ねえねえ、密林にお城が建ったってみんな話してるよ。アムレも見てみたい!」
せがんでくる少年に、カイは快く応じる。
「赤燐宮の近くは魔獣も入って来れないようにしてあるから安心して遊べるよ。大人に連れて来てもらうと良い」
「友達と一緒でも良いの?」
「うん、見た事も無いような人達が居るから楽しみにしておいで」
彼は諸手を上げて喜んでいる。
「こら、無理を言ってはダメですよ? カイさんはお忙しいのですから」
「むー」
「大丈夫ですよ。もう少し落ち着かないと動けません。じきに各国の大使も集まってきて会合を開かねばなりませんし」
不平を表すアムレに助け舟を出す。
「これからはお隣さんみたいなものだから、行き来があると色々と良くなるね」
「うん、仲良しさんが出来ると良いなー」
彼のような子は新世代の子供になる。獣人居留地での生活も知り、ホルツレイン北部の生活に馴染み、そして人族社会とも深く関わっている。
獣人の在り方の変化を全てその身で触れてきて、何を感じ何を思ったか。そういう子が人族やゼプルと接しながら大人になっていった時、どんな変化が起こるのか青年は期待している。
「その事……、つまりゼプル女王国との関係の話なのですが……」
今や
「これはまだ了解を取っていません。ですが働き掛ければ結果を出す自信があります。ホルツレイン北部の獣人郷は帰服を申し出たいと考えています」
「なぜです? 今の環境に不満でも?」
「いえ、良くしていただいているとは思っています。独自の人気産品の有る領地を持つ事の幸運も理解しているつもりです。でも、それを与えてくれたのは事実上あなたです」
彼女の赤い瞳にはこいねがう気持ちが宿っているように感じる。
「ゼプル女王国の女王はチャム様なのでしょう。ですが、この国は何らかの意図があってあなたが興したのであろう事はレレムには分かります。そうでなければ政治向きの事までそんなに深く関わろうとする方ではありません」
「僕はチャムの為なら何でもしますよ?」
「嘘です。カイさんは仕組み作りに助言をする事はあっても、その枠組みにまで手を出そうとはしない筈です。そうでなければ辻褄が合いません」
レレムは今まで感じていながらも口にはしていなかった考えをつまびらかにする。
もし、カイが獣人族の繁栄と王国の利益の兼ね合いを取る事だけを考えていたのなら、獣人郷という枠組みを取り外して街を作らせていただろうと推測する。その街で十分な人員の確保と役割分担などの仕組みを確立させ、大規模ナーフス農園の建設に取り掛かっていた筈だと言う。
そのほうが確実に収量は増えるし、安定生産の目途はつく。更に流通経路は確定されて、獣人も王国も互いに効率良く利益を享受出来ていただろうと予想していた。
「でもあなたはそうはしませんでした」
レレムはひと言ひと言確かめるように紡いでいく。
「レレム達の歴史と伝統を重んじ、獣人の生活様式を守ってそこに宿る精神を尊重してくれようとしたのです」
「…………」
肯定するように彼は沈黙を保った。
「苦しんでいる者が在れば助けようとする方です。そこに努力の跡が見られればなおさら。でも、あなたは背負って運ぶような事はしません。ちゃんと自分で歩いて行ける形で実現しようとします」
「ずっと傍にいてあげられないと思っているなら当然でしょう?」
「そんなあなたが国土の確保に居城作りなどの全体の枠組みから、外交面までの何もかもに関わろうとしている。目的は国作りではない筈なんです」
彼女は自分の意志を貫こうと挑んできている。
「レレムではその目的をお助けする事は出来ませんか?」
それが彼女の真意だった。
今を恩返しの好機だと感じているのだ。その為に筋道を立てて納得させようとしていた。
「何もあなたの庇護下に入りたいとか、貴き神使の一族に加わりたいと申し上げている訳ではありません」
自分の意思は欲得から来るものではないと主張する。
「人は力です。国に於いては特にそうだとレレムは思っています。獣人は労働力としてかなり優秀だと自負しています。膂力はもちろん頑強さも持ち合わせていますし、環境が整えばこのように爆発的に増える力もあります。今や生産力をも持っています」
白猫はエレイン郷全体を示すように差し上げた片手をゆったりと振る。
「そして……、優秀な兵士たり得るのです」
強調するように付け加えた。
黙って聞いていたカイ。だが、その態度は決して彼女の提案を検討していた訳ではなかった。
「少し前に遠話でお話ししましたが、大陸の東の果てには獣人達の国があります。そこにも獣人郷があり、地形的にも気候的にも恵まれているとは言い難いのに、手を取り合って穏やかに暮らしています。彼らは国としてしっかりと纏まって、十分な影響力を持っているのに領土的野心を持っていません」
「それは……」
「ええ、そうです。群れの法則と言えばそれまでかもしれませんが、助け合って生きるのがあなた方の根底にあるからだと考えています。それを培っているのは獣人郷の生活様式にあるのではないかと、僕はレレムと出会った頃から感じていました」
カイは、相手に意識させないよう胸の内に隠していた考えを伝える。
「獣人達の身体能力や精神力は戦闘民族に成り得る素養を示しています。しかしその道を選ぶ事は無い。郷での暮らしがそうさせているのだと思っています」
「そこまで考えていらっしゃったのですか?」
「はい。だから僕は獣人郷という美しい様式を絶対に壊したく無かった。本心です」
淡々とした口調が深い思いを表しているようにレレムに伝わる。
「そんなあなた方を単なる力と評価するつもりはありません」
黒瞳は真摯に訴え掛ける。
「むしろホルツレイン王国の一部として頼りになる朋友であって欲しいと願っています」
「朋友? 交流ですか?」
「はい、それも含めて」
肯定した青年は北のほうを示す。
「今度の会合には貴女にも参加していただくつもりです。その時に感じられると思いますが、ゼプルは生活力を欠いています。今まで歴史の表舞台から去り、裏方として隠れ住む方針で存続してきた彼らはほとんどの生産を外に依存してきました。今後もそれは大きく変わる事は無いでしょう」
「ではレレム達に、物流に於ける王国の窓口をお望みなのですね?」
「そうです。正直、難しいお願いだとは感じています。ただでさえ北の特産物を独占する経済拠点と化しつつある北辺爵領には妬みの目が向けられる事も少なくなくなっていると思います」
事実に白猫も目を伏せる。
「この上、神使の一族との交流も深まれば更に激化の可能性は否めません」
「……やってみせます。カイさんがそうお望みなのでしたら、務めさせてください」
彼の差し出した手に、レレムは白い毛皮に包まれた手を重ね、釣られたようにアムレも重ねる。
まだ幼い後継者に、今この瞬間の重要性は理解出来ていなかっただろうが、その空気は忘れない筈だ。
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