赤い訪問者

 淡々と作業を進めていたゼプルとエルフィンがにわかに激しく動き始める。動転した様子で足を速める神使と、彼らを避難させようとする森の民が大声で誘導している。

 未だ脅威の姿は見えない。なのに慌てふためく人々。それもそのはず、魔力感知に長けた者でなくてはそれを脅威と感じる事は出来まい。


「あー、これかぁ」

 迫ってくる大きな魔力は感じていたが、黒髪の青年のサーチ魔法圏内にも入ってきた。

「すごいけど、これって……」

「たぶんそうですよねぇ?」

 分かっていないトゥリオは警戒の色を示しているが、他の三人の反応は鈍い。脅威であれど怖ろしいとは感じていないからだ。


 出来たばかりの王宮に避難する流れを縫うようにして外に出る。すると、ようやくその姿が視界に入ってくるところだった。

「申し訳ありません! 軒先を借りています! 不快でしたか?」

 舞い降りてきたその存在に問い掛ける。

「気にする事は無いぞー。やはりお前だったか、『理の外側に佇む者』」

「ご挨拶が遅れたことをお詫びします、赤の王よ」

 大地に爪の痕を刻んだのは20ルステン240m近くはあろうかという赤い巨体だった。


「ここはあなた方の領域でしたか?」

 今まで見た中でも最大の身体を持つドラゴンは、同じ赤竜二体を従えて切り拓かれた大地を見下ろす。

「管理している訳ではないー。俺が棲み処と狩場に選んでいるだけだー。ここは奥まで人が入り込んで来ないからなー」

「面倒事は少ないでしょうね?」

 言葉を交わすカイと赤の王の横で、大盾の裏にフィノをかくまっている美丈夫を赤竜の一体が睨み付けると、無駄だと嘲るようにひと声吠えて威嚇する。

「馬鹿者!」

 赤の王の尾の一撃がその赤竜に打ち下ろされ、激突音を発して巨体が揺らぐ。

「俺に恥をかかせるな! こいつらは緑の翁が認めた者達だぞ!? どれだけ世話になったと思ってる!」

「申し訳ございません!」

 平身低頭で謝る赤竜。

 若さゆえか、人を知らない所為かは分からないが、明らかに格下に見ていたのだろう。

「脅かしてすまん。怖ろしさを知らん若い世代が増えてきているー」

「いえ、彼も気にしてはいないようですから」

 大盾を格納して頷くトゥリオを確認して答える。

「シトゥラン翁と懇意にされておられましたか?」

「おうよ。俺達をここに導いたのは緑の翁だー」


 むこうみずな性質の者が多い赤の一族を迎え入れて、この世界の事を説いて聞かせたのが緑の王シトゥランプラナドガイゼストらしい。その性格に合わせて十分に飛び回れる広い地域で自由にさせるのが良いと感じたシトゥラン翁が、彼らにこの西方北部密林に導いたのだそうだ。だから今まで人類と大きなトラブルを起こさずに済んでいると語った。

 その後も何くれとなく、厄介事の相談に乗ってくれる年長者を彼は非常に尊敬しているのだと言う。


「翁がお前を道理を知る者だと褒めていたー。会ってみたいと思っていたが、こうして会えたので話してみたら、お前は不調法者の俺にも礼を忘れないー。やはり翁の言うことは確かだー」

 うんうんと首を振る赤の王はそれだけでもかなりの迫力があるのだが、どうにも憎めない性格だとカイは思い、それが微笑として表れていた。

「そうでしたか。縁は結んでおくものですね」

「そうだー。俺とも仲良くしておけー」

「ええ、宜しくお願いいたします」

 巨体の割に小さめの前肢の爪を差し出した赤の王に、青年は黒瞳を細めて拳を合わせる。

「ここに居を構えるなら俺が守護してやるー。何ならここに住むかー?」

「そこまではご無理を申せません。ここには人族もそれなりにやってくる事になっています。畏れ多くもあなたのそのお姿に触れれば腰を抜かしてしまいますよ」

「うむー、仕方ないなー」

 その言葉に、従う二体の赤竜も満足げにしている。


 赤き竜の王は、何か思い付いた様子を見せると、にわかに頭を背に回して二枚の鱗を剥ぎ取る。それを咥えて落とすと、爪でカイ達の前に押しやってきた。


「やるー。ここに置いておけー。くだらない災いは寄っても来なくなるだろー」

 ドラゴンの強い魔力を帯びた竜燐は、変異種も近付けたりはしないだろう。

「これは立派な転居祝いをありがとうございます」

「お心遣いに感謝いたします。大事にさせていただきますわ」

 チャムも深々と頭を下げて配慮に礼をする。

「そうだわ。これを飾らせていただく代わりに、ここを赤燐宮と名付けましょう」

「おおー、それは良いぞー。お前はとても良い巫女だー。子々孫々まで俺の庇護を約してやるー」

 気を良くした赤の王は尾で大地を打って喜ぶ。

「俺の名はリギジアブラフィノルギッシュ。覚えておくと良いぞー」

「はい。赤の王の御名は一族に広く伝えさせていただきます」


 その後も赤の王リギジアブラフィノルギッシュは、あれこれと気前の良い約束を幾つも告げると「また来るー」と言ってから翼で大気を打つと飛び立っていった。


「なかなか面白い方だったわね?」

 麗人は込み上げる笑いを口元に上らせる。

「そうだね。単純だけど豪胆な御仁みたいだから仲良くすれば力になってくれるはずだよ」

「ドラゴンの約束を取り付けられたんだから、この赤燐宮も安泰ってやつだろ?」

「それにしてもおっきな方でしたねぇ?」


 各種施設の建設の為に大きく切り拓いていたのだが、そうでなければあの巨竜三体が舞い降りる場所など無かっただろう。今後も彼の訪問を受け入れる事を考えれば、もう少し敷地が必要になりそうだとチャムは悩んでしまう。


「はー、やっぱりすごい迫力でしたねー?」

 新しい王宮の中にさっさと逃げ込んでいた情報局長ウェズレンが顔を見せる。

「あんなとてつもない存在とでも渡り合いますか? さすが魔闘拳士」

「何言ってんのよ、真っ先に逃げておいて! お父様とお母様は避難してもらうにしても、各局長くらいは私の後ろに控えていなさいよ! 威厳も何も有ったもんじゃないわ!」

「へあっ!?」

 まさか叱られるとは思っていなかったのだろうか。仰け反って奇声を発する。

「無茶言わないでくださいよ! あんなのの鼻先に居たら、真っ青になって膝だってガクガクものですよっ! 余計に恥ずかしいのは姫様ですよ?」

「そういう事を言っているんじゃないの! 覇気を見せなさい、覇気を! これからのゼプルの為に」

「えー、私、裏方ですもん」

 逃げ口上も達者である。

「それにー、また変な噂が立っちゃいますね?」

「何? 噂って」

「ホルツレイン王宮の事ですよ」


 最近、王都ホルムトの王宮には時折り金色の仔竜が飛来するのである。言わずもがなテュルムルライゼンテールの事なのだが、それが噂として広まってきているらしい。

 フリギアや中隔地方各国辺りまで噂は流れて、ちまたではホルツレイン王宮の事を『竜宮りゅうきゅう』と呼ぶ者も増えてきていると言う。

 今は仔竜の友人で王孫のチェインもその従者のような立ち位置のスレイグも、西の王太子府に行幸中なのでそちらに遊びに行っているかもしれない。だとすれば王太子府が置かれているスーア・メジンの代官プルスは大いに頭を悩ませている事だろう。


「まあ、それも悪くないでしょ」

 チャムは気にする様子もない。

「これからはどんな助力も受け入れるくらいのつもりでいかないとやっていけないわ」

「姫様、大胆。さすが色仕掛けで魔闘拳士を誑し込んだ女」

「だ、誰が誑し込んだって言ってるの? 連れて来なさい!」

 ウェズレンは完全にしまったという顔をしている。

「どうやら個人的な感想みたいだよ?」

「ウェズレン!」


 青髪の追いかけっこが始まったのだった。

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