ホルムト会談

 会談そのものの準備は秘密裏に進められたのだが、こういった事はどこからか漏れてしまうもので、王宮前庭にはひと目でもと押し掛けた貴族達の姿がひしめいている。王国騎士団によって通路の確保が成され正面扉への道が開けると、その一団が姿を現した。


 先頭の青いセネル鳥せねるちょうの上で、青い髪をなびかせているのは言わずと知れたチャムである。凛とした風情で胸を反らし、冴え渡るような美貌が注目を浴びる。

 その傍らに従者のように付き従う黒髪の青年は、目立たないながらも油断のない様子で目配りしている。


 何より衆目を引いているのは、続く何の変哲もない鳥車を警護する者達の姿だ。

 同じくセネル鳥の騎上に在るのは、鮮やかな緑色の髪を風になぶらせ、そこから長い笹穂状の耳が突き出している、非常に整った相貌の持ち主が行進する姿だ。

 おとぎ話の住人の登場にざわめきが止まない。まばたきを忘れたかのように見入る婦人方が続出し、熱い溜め息が気温を上げるのではないかと思えるほどだった。


 大扉の前に横付けされた鳥車の御者のハウスメイドが、後部を覆っていた垂れ幕を上げてから降りて礼を取っていると、座席の後ろから威厳を備えた青髪の紳士が現れ、地に足を着ける。ハウスメイドに微笑みかけて感謝を告げると、森の民に周囲を固められたところで振り返る。

 観衆に応えるように手を挙げると、歓声が湧き上がる。森の民に促されて大扉の中へ消えていき、観衆は長い長い溜め息を吐くのだった。


   ◇      ◇      ◇


 大扉を過ぎると、両側に王宮メイドの控えた道が出来ており、美しい姿勢の礼で迎えられた。

 見事に揃った列なのだが、どこか浮ついた空気が流れている。しっかりとした教育を受けた王宮メイドにしては珍しい、滅多に感じられない雰囲気だった。


「ようこそおいでくださりました」

 政務官を背後に従えた髭の壮年男性が礼で迎える。

「私、ホルツレイン王国にて外務大臣を勤めさせていただいております、ビスカス・メルギットと申します。国王陛下がお待ちになられる謁見の間までご案内させていただきます」

「世話になる」

「本来であれば、陛下御自らお出迎えするのが正しいのでしょうが、これも宮廷儀礼の事、どうかご容赦くださいますようお願い申し上げます」

 外務卿はラークリフトの表情に変化が見られなかったのを勘違いして胸を撫で下ろしているが、それがいつも通りだとは知る由も無かろう。

「貴殿らの流儀に合わせる。気にせずとも良い。ただ、そのままでは辛かろう。皆、面を上げよ」


 お互いに視線を交わした王宮メイド達が顔を上げると、そこにはこの世のものとも思えないほどの美形の一団が視界に収まる。

 必死で耐えてはいるようであるが、軽く震える者や圧倒されたように身体を揺らす者も散見された。

 ビスカスの先導で一団が廊下を進み、紳士が謁見の間に入っていくと、腰から崩れ落ちる彼女らの姿が続出する。


 その様に苦笑を漏らすと、カイも謁見の間に身体を滑り込ませた。


   ◇      ◇      ◇


 謁見の間では、国王アルバート自らが檀の下で貴人を迎える。


「よくぞお越しになられた。全国民の代表として歓迎いたす」

 アルバートは、政務卿と長い討議の結果、同等の立場を貫くべく言葉選びをしている。

「感謝する。突然の訪問を許してくれた事にも」

「お気遣いなく。本来であれば、この場に王太子も同席させるべきであろうが、生憎自領への行幸中なのでお許しいただきたい」

「それは致し方あるまい。お帰りになった際に宜しくお伝えくだされ」

 神使の一族の代表の寛容な様子に、国王は少し気を緩める。


「それでは、詳しい御用向きはあちらで聞きたく思う。どうぞお上がりを」

 アルバートが壇上に設えられた席を指し示す。そこには卓と向かい合う椅子が置かれていた。

「ふむ、それに関しては、私ではなく娘が話そう。これにすべて託しておる」

「では、アルバート様、お話しいたしましょう?」

 チャムはすたすたと壇上に上がると、椅子の背に手を掛けて急かすように視線を送る。

「娘!? 話す? どういう事だね、チャム?」

「姫様はゼプル、貴殿らが『神使の一族』と呼んでいる方々の高貴なる血を引いた御方です。言葉をお控えください」

「な!」

 森の民の言葉に国王は仰天する。


 確かに彼女を初めてこの場所に招いた時、「どこの姫君か?」と声を掛けた。だが、それは軽口に過ぎない。

 ところがそれが事実で、しかもとびきり有名な一族の血筋の姫だなどと思ってもみなかったのは言うまでもない。その美しさは納得させるに足る材料だが、現実になってみると腑に落ちるには気持ちの切り替えが必要だった。


「う、むぅ、済まない。まずは度重なる無礼を詫びておこう。知らぬ事とはいえ、申し訳なかった」

 チャムは爽やかな笑みを口元に浮かべている。

「気になさらないで。元々、つまびらかに出来るような生まれではなかったのです。余程の事が無ければ、明かすつもりなど毛頭ありませんでした」

「そうおっしゃってくださると助かる。どうも勝手が狂うな」


 アルバートは苦笑いで壇上に登った。


   ◇      ◇      ◇


(これは困った事になった)

 政務卿グラウドは内心の狼狽を抑えて国王の後ろに付く。


 当初の予定では、相手が如何に偉大であろうと思い通りにさせるつもりは無かった。

 どれほど大上段から命令に近い形で申し付けて来ようと、交渉に持ち込む自信はある。相手の手の内は読めないが、人族社会に明るいとは思えない。こちらの手の内も見せないように弁舌を尽くして煙に巻くよう持っていくのは可能だと考えていた。


 ところが、だ。交渉相手が白皙の麗人となれば話は大きく変わってくる。こちらの手の内も見透かされていると思わなくてはならない。

 国王にはグラウドを含めた重臣一同が補助して優位に進めようという魂胆かあった。チャムの後ろにもラークリフトと名乗った神使の一族の代表がおり、急遽置かれた椅子に腰掛けているが、その傍らには不気味に黒瞳の青年が控えている。

 盾士トゥリオ魔法士フィノは我関せずの姿勢で壇上に登っていないものの、一番の難敵が神使の姫に付いてしまった。

 彼の存在は絶大で、既に幾人かの臣は匙を投げたように渋い顔を隠そうともしないでいた。


 根深く蔓延はびこる反魔闘拳士派があの手この手で攻め立てようと、常に武威だけでなく知略に於いても上回って退けられていった。

 居並ぶ重臣は国王を陣頭にした革新派がほとんどで彼の敵に回る事はなかったが、その様を間近に見てきた者ばかりである。その青年が交渉相手に回ったとなれば、諦念を抱いたとしてもどうして責められようか。


 透き通るような緑眼に決意が漲り、それに国王は気圧けおされているようだ。おそらくこれが彼女の本気なのであろう。

 時折り量るような視線は感じてはいたが、怖ろしいとまで感じるのはこれが初めてだ。

 心して掛からねばとグラウドが覚悟を決めたところで、麗人は口を開いた。


「我ら神使の一族ゼプルは移転を決定し、新天地を求めて西方まで足を運ぼうとしています」

 滔々と語り始める。


(移転? やはりホルツレインを支配下に収めようとしているのか?)

 それにカイが加担するというのなら抗する術はほとんど無い。


「そして、新しく国を築き、我らの安寧の地を作り上げたいと考えています」

 何を思うか、瞳を閉じて説き聞かせるような声音で告げた。

「その新しき国『ゼプル女王国』の初代の王であるチャム・ナトロエンの名において、ホルツレイン王国の一部国土割譲を要請します!」


 謁見の間に妙なる調べが響き渡った。

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