国王の困惑

 夕刻になって政務大臣を務めるグラウド・アセッドゴーン侯爵が血相を変えて国王執務室に飛び込んできた。

 ホルツレイン国王アルバート・メナ・ホルツレインには最近はとんと見せなくなった形相であるが、彼が若い頃には何度か見た経験があるなと思い出す。どちらにせよグラウドがそんな様子を見せるというのは一大事の到来である。書類を脇に寄せて彼の言葉を待った。


「陛下、これは如何にも重大事であります」

 政務卿は息を整えながら、表情を改めて訴えてくる。

「覚悟は出来ておる。聞こう」

「カイが戻っています」

「なに? 確かラルカスタン公国に居ると聞いていたが」

 二巡十二日ほど前だっただろうか、そう遠話器で話したと記憶している。

「私もそう聞いていたのですが、先ほど遠話で伝えて来まして、その……」

「我が国に危急な事態でも迫っているのか?」

「陛下の御判断が今後に重大な意味を持つ事に変わりありません。カイが神使の一族の代表を連れて来ていると。会談を求めているそうです」

 さすがの国王も咄嗟に言葉が出て来ず、口をぱくぱくとさせる。常に冷静な国王秘書官でさえ、案件書類の選別に入っていた手元を誤り、書類をぶちまけている。

「神使の一族……」


 その存在が明らかでありながらも、誰一人として会った事の無い一族である。世界の謎そのものと言っていい存在。それがアルバートに会談を求めてきたというのだ。

 それだけではない。神使の一族との接触は極めて大きな意味を持つ。

 の一族は神々の意思に従い、聖剣を鍛えて勇者に与え、勇者一行を魔王の拠点まで導く使命を持つ。人類共通の脅威である魔王との戦いの最前線を担う、言うなれば正義そのものである。

 その一族が一国と接触するという事は、対応次第でその国が正義に属するという意味を持つ。これは国際情勢上、立ち位置を大きく変化させる結果になるのは間違いない。


「余はどうすればいい?」

 散々迷った挙句、何とか絞り出した台詞はそれだった。

「畏れながら、皆目見当も付きません」

「何とかしてくれ」

「そう申されましても、何を要求されるかも分かりませんので」


 一般常識で言えば、どちらかと言うと人よりは神の側の存在に思えてならない。果たして国の代表という同じ立場で対しても良いのかどうか判断しかねる。

 もし万が一、国を明け渡して神使に従う民となるよう命じられたとしたら、それに異議を唱えても良いものかさえ理解が及ばない。承服するのがホルツレインの利には適うと言えど、それが民の幸福に繋がるのかも分からない。


「なあ、グラウド」

 急に柔らかくなった口調に、かけがえのない腹心とも呼べる男は息を飲んだ。

「何でございましょう?」

「カイはそんなに余の寿命を削りたいのか?」

「そこまでとは」

 政務卿は後見人として言い淀みつつも続ける。

「ただ、あまりこちらの心労には気遣いを見せてくれないのは事実でしょう」

「然り、だ」

 アルバートは背筋を正す。これではまるで老人の茶飲み話である。

「此度もあれを信じるしかあるまいな」

「そう願いたいのですが、どういう立場で臨むつもりなのかが今一つ解しかねるので、私からはなんとも。本件はおそらくあの麗人絡みでありましょうから」

「やはりそう思うか?」

 神使の一族と聞いた時から、国王の脳裏からあの青髪の美貌が離れない。彼女はあまりに事情通であった。

「チャムの希望を通すとあらば、かなり強引に進めてくる可能性は捨てがたく思います」

「……余はどうすればいい?」


 堂々巡りであった。


   ◇      ◇      ◇


「代表、こちらもご確認を」

 イルメイラが執務机の脇に立って書類を差し出してくる。

「みゃう!」

「あなたではありません」

 前肢でポンと書類を押さえる虎縞の猫に冷静に突っ込む。



 事が動き始めたらあまり時間が取れなくなると感じたカイは「ちょっと仕事してくる」と仲間を自宅に残して、ルドウ基金本部に出向いていた。

 正面玄関に向けて木立を縫っていると、そこかしこから針猫ニードルキャットが姿を現しては彼に追随してくる。


(これはボスが気を回してくれたのかな?)


 ニルド達、針猫ニードルキャットはカイと友好関係にあり、森林帯を根城にしている彼らと懇意にしている。

 ニルドを受け入れるに当たって、青年はホルムトの魔獣除けの大魔法陣に手を加えていた。それまでの除外魔獣用の従魔法陣、セネル鳥せねるちょう黒縞牛ストライプカウに加えて針猫ニードルキャットの従魔法陣も書き足していたのだ。

 そうなれば彼ら針猫ニードルキャットは出入り自由になってしまうのだが、彼らのボスと旧知である黒髪の青年の自宅がある都市の人間を攻撃などしない。

 単独狩猟獣の中でもひときわ気配察知と隠密行動に秀でる猫達ならばいつでも入って来れただろうし、魔獣除け魔法陣に掛からないのを見れば、街門を守る衛士もただの猫だと思って素通ししていたのは想像に難くない。


「君達はどのくらいの数が入って来たんだい?」

 すたすたと横を歩く白猫に訊いてみる。

「なーう。んみゃお」

「結構大勢?」

「みゃ」

 そうしている間にも従う猫は四匹になっていたし、玄関を通って基金本部内に入ってからもどこからともなく駆けてきて二匹が加わる。

「これはお世話になっているみたいだね。ありがとう」

「にゃー」

 そのまま職員の礼を受けつつ執務室に向かった。


 執務室内には、グラウドの内縁であるロアンザが大机に着いていた。

 彼女にはルドウ基金の副代表として或る程度の裁量を任せてある。実務経験には乏しくとも、傍らの経理長が居れば業務に滞りは無いだろう。

 経理長のイルメイラ・クラッパスは商家の出ながら極めて高い処理能力の持ち主だ。普段の様子を見るに彼女らは上手くやっているように思えた。


 その二人は、入室したカイに目を瞬かせはしたものの、当たり前のように受け入れる。彼の神出鬼没ぶりにも慣れっこになっている。ロアンザなどは、難しい案件から解放されて露骨に上機嫌だ。


「うーん、黒縞牛ストライプカウはずいぶん増えてしまいましたね?」

 牧場の管理も、基金の経営する孤児院の子供達の職業訓練を兼ねた実務になっている。頭数には限度を設けるべきだと考える。

「こちらをご覧ください。昨半ばより頭数は横這いになっております。どうやら飼育範囲と餌の量から自己抑制が働いているように思えます。現状を維持するのであれば、そこに手を入れなければ問題無いかと?」

「なるほど」

 野生動物でも、自然の摂理が働いてそういう事が往々にして起こるので納得出来た。


「メルクトゥーのほうもかなり落ち着いてきましたね。案外早かったな」

 ロアンザが頭を悩ませていた書類に目を移す。

「そうなのよ。でも、現地雇用の職員の給金が難しくて。向こうは少し物価が安いみたいだから、こちらの基準でいくと向こうの相場と差がついてしまうみたい」

「妙な軋轢は生みたくないところですが、あちらも好況ですから物価も押し上げてくる筈なんですよ」

「わたくしもそう考えて同水準を堅持するよう勧めております」

 カイが頷くと、ロアンザも安心する様子を見せた。


「それで、この子達の食事はどうなっているのでしょう?」

 青年は机の上の虎縞猫の頭を撫でる。

「職員がそれぞれ自由に与えているようです。わたくしも、その……」

「あげちゃうわよね? こんなに可愛いんですもの」

 彼女も膝上で喉を鳴らす猫の背を撫でる。

「僕の私財からで構いませんので十分に準備してあげてください」

「承りました」


 イルメイラはその言葉で猫達にも役割があるのだと悟ってくれたようだった。

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