地下からのお客様

 ホルツレインの王都ホルムト、その城壁内にあるルドウ基金の本部裏の離れにはハウスメイドが居る。

 彼女の名前はレスキリ・シュバルクリン。茶色の強い金髪を背中まで伸ばし、深い灰色の瞳をしている。その名の通り、彼女は貴族であり、男爵家の令嬢だ。

 なのに、レスキリがハウスメイドとして仕える相手は、名誉位しか持たない無位の騎士である。なぜそんな状況に不満を感じないかと言えば、彼女がその主人の大ファンだからだ。

 その主人とは伝説にも謳われし英雄、あの『魔闘拳士』である。


 その魔闘拳士の自宅に当たる離れの管理を任せられており、今は留守にしている四人の住人の私室への出入りも許されているレスキリだが、その彼女にも出入りを禁じられている場所が有った。

 主人であるカイ・ルドウが新しく作った地下室には、魔法錠が施されていて掃除も出来ないのだが、それに関しては問題無いと伝えられていた。


「みゃ?」

 レスキリの暮らしの相棒である、白地に黒ブチの猫は膝の上で丸くなっていたのに急に頭を上げた。

「どうしたの、ニルド? 誰か来た様子なんてないですよ?」

「みゃう?」


 同じ敷地内の家に住むロアンザが訪問する予定も無い。彼女は今陽きょう、基金本部のほうで執務があると言っていた。レスキリの友人が遊びに来る約束もしていないし、来客はない筈だった。


 なのに、膝から床に飛び降りたニルドは、さも当然なように歩き始める。

 カイからはこの猫が愛らしい見掛けと違い魔獣の一種だと聞いているし、実際にその子が常に一番早く来客に気付くほど敏感なのも事実である。であれば、これは予定外の訪問者の可能性が高い。

 レスキリはニルドを追って迎えに出ようとする。


 ところが、当のニルドが向かったのは玄関ではなく、前述の地下室の扉だった。

 猫はその扉の前に座り込むと、前肢でポンポンと叩く。

「こらこら、ダメですよー。ここは入っちゃ行いけないお部屋なんですから、いくらニルドでも入れてあげられません」

「みゃ、にゃうなーおう」

「悪戯して傷とか付けたら、カイ様に叱られちゃうかもしれませんよ?」

 言い聞かせていると、押し下げ式のドアノブがカチャンと音を立てて下がり、扉が内側に開かれていく。

「やあ、ニルド。お出迎えありがとう」

「みゃーう!」

「か、カイ様!?」

 顔を覗かせたのは、この家の主人のカイである。今は遥か東方の地を旅している筈の彼が現れて、レスキリは仰天した。

「うん、レッシーもお迎えご苦労さん。お客様もいるからお茶の準備を頼んでもいいかな?」


 彼女の主人は気楽げに言って寄越した。


   ◇      ◇      ◇


 カイは、魔境山脈横断街道の視察に出掛ける前、自宅に地下室を作り新たな転移魔法陣を刻印していた。

 その対となる魔法陣は既にラムレキアからの帰還時に、ホルムト北東の魔境山脈内にあるホルツレイン門に、室をひとつ増設して設置してある。なので、今後は帰還も出発も城門さえくぐらずに済むようになっていた。


 ただ、設備の性質上、機密保持だけは留意しなければならない。

 ゆえに彼が可能な最高強度の魔法錠が施してある。更に、解錠や調査、破壊といった魔法に対しては光盾レストアが働くようになっていたし、物理的に扉を破壊しようとしたら壁が立ち上がって中に仕切りを作り、倉庫であるかのように見せる仕掛けになってある。二重部屋の手前側の棚には、貴重な書籍や貴金属類も置いてある徹底ぶりだった。

 その設備を利用する機会なのだが生憎ゼプルの里の門の部屋には、ホルツレイン門に直接対となっている転移魔法陣は無かったので、ラムレキア門を経由して自宅に戻った次第だ。


 チャム達や客を先に上げると、セネル鳥せねるちょう達も連れて一階までの階段を上る。そこにはラークリフトと彼を守護する軽武装の森の民エルフィンを前に、魂が抜けた様子のレスキリが呆然と立っていた。


「驚かせて悪いわね。こっちは私の父なの。しばらくお世話よろしく」

 苦笑いでチャムが詫びるも、彼女は返ってこない。

「レッシーさん、レッシーさん! お客様をきちんとおもてなし出来ないとカイさんの顔が潰れちゃいますよぅ?」

「うひっ! それだけはダメー! た、大変失礼いたしました! まずはお掛けくださいませっ!」

 ソファーを示すと厨房へ飛んでいった。

「まあ、しゃーねえわな。森の民なんてそうそう出くわすもんじゃねえし」

「旦那様でなく我々に驚いていたのか、彼女は?」

「そういうこった。お前さん達のその容姿は有名だからな」

 アコーガも今陽きょうばかりは武装を整えて傅いている。彼は少し申し訳無さそうに厨房を見やっていた。


 失笑したカイは、セネル鳥の騎乗具を外して自由にしてやる。彼らはひと声鳴くと、勢いよくスイングドアを押して出ていった。空けていた間に敷地内が荒れていないか気掛かりだったのだろう。

 ゼプルの指導者はその様子を眺め、卓の上で前肢を合わせて挨拶を交わした後、毛づくろいをし合っているニルドとリドに目を移している。


「ここは人族の都市の中などとはとても思えないな。まるで森の中の一軒家のようだ」

 魔獣達が自由に暮らしている様に社会とは切り離された感覚を覚えたのだろう。

「残念ながらここだけです。僕の力が及ぶ範囲は、この敷地内に限られるのですよ」

「それでも少しは変わってきているはず。だって城門内は自由にセネル鳥が行き来しているじゃない?」

「それはセイナの力であって僕のじゃない。でも働き掛けは無駄じゃないってくらいは自慢してもいいかな?」

 属性セネルの育成に力を入れているのは王孫のセイナであり、彼女の影響力ありきでの現状だとカイは思っている。

「お父様もこちらでしたら多少は落ち着くでしょう?」

「ああ、悪くない」

「ラークリフト様も里の生まれなのですか?」

 その遣り取りから感じた事を尋ねてみる。

「そうなんだ。都市の暮らしというものを知らない。だからこそ危機感を抱けなかったのかもしれないが」

「大きな規模の社会には良いところも悪いところもあります。何がゼプルに合っているかはゆっくりとお考えください」

「そうさせてもらおう。その為には、住み良いところに閉じ籠ってばかりではいけないな。私も学ばねばならない」

 彼にも思うところがあるようだった。


「大変お待たせしました!」

 レスキリが張り切ってラークリフトの前にお茶と軽食を並べる。

「急ぎの事で行き届かず申し訳ありませんが、どうかお寛ぎください」

「騒がせて済まない」

「お気になさらず」

 アコーガやクララナを含めたエルフィン五人が着いているテーブルにもお茶と軽食を並べていく。

「これはなかなか味わい深く滋養に満ちていそうな食べ物だな?」

「里ではチーズは手に入りにくかったでしょうからね。珍しいかもしれません」

 カイもチーズをひと口齧ると「都市の良いところは食べ物の種類が多いところです」と付け添えた。


 東方は酪農があまり盛んではなく、精々バターを作っているくらいの地域が多かった。

 対して食肉の牧畜に関しては盛んで、獣脂は用途によって幾つもの種類が見られるほど。それを中心とした食文化が広まっていると感じられた。

 お菓子も、焼き菓子よりは揚げ菓子のほうが多かったように思える。


「ああ、これ美味しいわ」

 クララナが控えめながら心のこもった感想を述べる。

「ね? こっちのお菓子はちょっと毛色が違って美味しいでしょ?」

「はっ、はい、姫様! すみません、恥ずかしい真似を」

「良いのよ。正直に言ってくれたほうが、レッシーももてなし甲斐が有るわよね?」

 言うまでもなく上機嫌だ。

「です! 最近は良い小麦がいっぱい入ってくるので楽しくて仕方ないです」

「相変わらず良い仕事だよ、レッシー」


 ハウスメイドは主人の誉め言葉に歓喜の身悶えをしていた。

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