示された道
最初こそは木剣で打ち掛かられているのに「きゃん!」とか「ひゃあ!」とか悲鳴を上げつつ逃げ回るフィノを、チャムかトゥリオが追い掛けるという遊びのような光景が展開されたが、
持ち前の動体視力や反射神経で、軽い打ち込みならきちんとロッド本体で受けられるようになり、獣人の膂力で押し込みにもにも耐えられるようになる。反撃にまで転じるとなるとまだまだ練習が必要だろうが、咄嗟の時に何とか防ぐ事は可能だろう。
それで十分と言えば十分なのだが、トゥリオはともかくチャムは厳しい指南役なので、より高い技能を要求する。当分は鍛錬に彼女の悲鳴も加わりそうだった。
◇ ◇ ◇
その間にゼプルの首脳陣で行われた討議は紛糾したりはせずに、粛々と進行した。
カイの提案はただちに全員に告知され、意見の集約が始められる。彼らは冷静そのもので、帝国の動きを抑えきれなくなる可能性を孕んだ現状では、使命の遂行に不安が残るとされればほとんどの者が移転にも前向きな姿勢を示した。
「では、移転を進める方向で構わないのでしょうか?」
ラークリフトがそう告げると、議卓に着いたカイは尋ねる。
「不安はある。だが今、世界は大きく動いているようだ。神々もドラゴンもそれに呼応して、対応を変えてきている。我々だけが旧態依然とした姿勢を貫けば、ただ歴史の波に押し流されて消えていくだけだろう。指導者として、その道は選べない」
「懸命な判断だと思います。ゼプルらしいとも思いますが」
「僕からは何とも申せません。ただ、最も安全な選択肢を提案したつもりです」
ゼプルの指導者から見ても、彼が真摯に取り組んでくれているのは容易に読み取れる。娘が信頼するのも無理なかろう。
「もう少し詰める必要はあるが、方針としては変わらない。問題は移転先のことだが、目処は有るのかね?」
方法論に関しては誰も言及しない。ゼプルにもエルフィンにも『倉庫持ち』はそれなりに居る。そもそも、彼らは物に執着しない。持って行かねばならない物と、破壊しなければならない物に分別するだけ。
移動法についても、里の中に転移魔法陣の部屋が有る。移転先には身ひとつで移動すれば良いだけだ。
「西方の、国に属していない地域は南の沿海部と西の果ての森林地帯だと聞いているが」
移転先の立地に関しても話には出た。
「それについても考えが有ります。ホルツレイン国内となりますが、北部密林が順当ではないかと?」
「旧研究施設こそ因縁の地じゃねえのか?」
赤毛の大男が呆れた様子で問い掛ける。
「でも、一番守りを固められるのがあそこなんだよ。北岸は上陸出来ない。南岸からの攻め手にはホルツレインが盾になる。だからと言って少数の工作員で立ち入れるような場所じゃない。堂々とここに居ますよって宣言出来る」
「言っちゃ悪ぃが、そのホルツレインが問題にならねえか?」
「いえ、アルバート様なら
彼の娘も成長したものだ。
以前は意見がぶつかり合いを見せると露骨に不快な表情を見せていたが、今は何があろうと冷静に分析出来るほどの落ち着きを見せている。我ながら例の話も英断だったかもしれないとラークリフトは思った。
「まあ、その辺りは先方と話をしてからでも遅くはないでしょう。移転先は西方で構いませんね?」
青年は安心した様子で問い掛けてくる。
「ああ、その方向で調整しよう」
「では、物騒な連中に悟られない内にこっそりと逃げ出しましょう。
「うむ、彼らは全体では八千ほどはいる筈だが、食料の調達等で頻繁に出入りするのは五百程度だろう。各地で活動している者達に通達は回すから一時的には集まるかもしれないが、その辺りの数は変わらないと思う」
移転先でも八百名くらいが生活出来る場所が有れば良い。
黒髪の青年は何か構想でも練っているのか、思案げな面持ちで頷いた。
「準備と並行してとなると忙しくなりますが、どなたか事前の挨拶にお付き合いいただきたいのですが?」
彼が言うように、挨拶と約束事だけは取り付けておかねばならないだろう。
「では、チャムよ。移転計画の取り纏めは私が行うので補佐せよ」
「はい、お父様」
「ホルツレインとの交渉には私も同道するが、基本的にお前に任せる」
伝手を考えれば適材適所だと思ったのだろう。快く応じる。
「そして、新たな里の指導者はお前だ」
「は……、え?」
「この新しい道を示したのはお前だろう?」
批判の目にも挫けず、使命を胸に刻みながらもゼプルの未来を憂い、それを行動で示して道を切り拓こうとしているのはチャムだ。更にその先を見据え、施策を講じていくのは試みた者の特権だとゼプルの指導者は考える。
誰が真に彼らの未来を思っていたのかは明白だ。それなら後進に道を譲るべきだろうと思ったのだった。
「で、でも……、私が指導者だなんて皆が付いてきません。お父様もまだ退くようなお歳では……」
迷いにどっぷりと浸かっている様子のチャム。
「それに私にはやるべき事が」
「ゼプルの将来の為に世界の行く末を見なければならないのだろう? 我らが今後どう在るべきかを見定める為に」
「はい」
首を縦に振る。本音では、この青年に付いて行きたいと思っているのだろうが。
「行くが良い。お前の留守くらいは預かる。方向性だけを示せば良きようにしよう」
逡巡に捕らわれたままで帰って来ない。唐突な事に心が決まらないのだろう。
二人はいつもそうなのかもしれないと思う。そっと背を押すように青年が口を開く。
「僕は僕が思い描く夢の未来を目指して進んでいるつもりだよ。君には君が思い描く夢は無いのかな?」
彼の言葉にびくりと震え、意を決したように答えを口にする。
「有るわ! 有るに決まってる! ずっとずっと夢に見てた私達の未来! それが私の願い! ずっと手を伸ばしていたもの!」
「君の夢の国の女王は君じゃないとダメなんじゃない? ゼプルの繁栄を心から願っている人が一番前を走らなきゃ嘘だよ?」
「そうよ! 私が皆を連れていくの! ただ使命に捉われているだけじゃない、ゼプルが自分達の為に生きられる場所! それを私は作るの!」
チャムは鼻息荒く宣言する。
「それなら、新しい里はゼプルの国だね? ゼプル女王国だ」
「チャムさんが女王様の国ですかぁ? 格好良いですぅ!」
「一足飛びの結論な気もするがよ、筋は通ってんじゃねえか? 気合い入れて臨めば皆付いてくるだろ、たぶんな」
励ましに俯いて震えていたチャムは毅然と顔を上げた。
「一つだけお願いがあります」
父親を見る彼女の瞳には力が有る。
「彼がゼプルの列に加わる事をお許しください。そしてカイ・ルドウをゼプルの騎士に任じてください。この人が今後はそう名乗るのをお認めください」
「それを任じるのも認めるのもお前なのだが、まあ認めて欲しいと願う気持ちも分かる」
独りよがりで在りたくないという思いが誰かの承認を求めるのだ。
「だが、彼はそれで良いのか?」
「あ! えっと。良いわよね?」
手遅れ感は否めない。
「たぶん、僕に世界が公認する正義を背負わせようとしているんだろうけど、僕は僕の正義でしか動かないよ。でも、僕は今もこの先も君の騎士で在りたいと思ってる」
「じゃあ決まりね!」
単刀直入だ。
「意外と良い事言ったのに、押し付けられた!?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます