見えない相手

「相変わらず見事な隠術だね?」

 目立たない場所まで移動してから、急に姿を現した灰色猫の美形獣人に話し掛ける。

「カイは目立ち過ぎにゃ。帝国の中心にほいほいやってくるなんてバカかにゃ?」

「まさかこんなに真っ向から仕掛けてくるなんて思わなかったんだよ。こっちの思惑ぐらい読んでくると思うじゃないか」


 斥候士スカウトファルマとは、商都クステンクルカでの輝きの聖女ラエラルジーネとの一件以来である。

 彼女の口振りからして、その後のカイ達の動向もしっかりと耳に入っているようだ。ジャルファンダル動乱やラムレキアの件から、彼らの帝国との関係は芳しくないと判断しているのだろう。


「連中だって鼻が利くにゃ。いくら隠剣おんけんでも自分で御せない敵には寛容にはならないにゃ」

 カイの動きを掴むのはもちろん、今回の件にしても調べるのは造作も無いらしい。

「たぶん、それだけでも無いにゃ」

「何か知ってる? 教えて欲しいな」

「憶測はしゃべらない主義にゃ。当たってたら、どうせ釣れるにゃ」

 右が水色、左が金色のオッドアイが細められると妖艶な雰囲気が増す。

「教えてくれても良いじゃないですかぁ。それともお金ですかぁ?」

「そんなんじゃないにゃあ。情報には価値があるにゃ。それが正確なら……、にゃ」

 それが斥候士としての矜持であろう。彼女は頑として首を振るだけ。藍色の髪がふわりと広がり、微かに甘いような香りを振り撒く。

「それでいいよ。でも、手伝ってはくれるんだろう? 報酬は言い値で良い」

「もーちろーんにゃー♪ まずは前払いをさっさと出すにゃあ♪」

 ファルマは両手を突き出す。

 その上に準備していた小箱を『倉庫』から展開して置いた。


 早速、蓋を開けて青い甘味モノリコートを口に放り込んで尻尾をくねらせている灰色猫に苦笑い。何となく面白くなさそうな顔で指を咥えるブチ犬娘にも平たい箱を渡した。


 途端にご機嫌でこりこり齧り始めたフィノを置いておいて、カイは遠話器を取り出した。


   ◇      ◇      ◇


 通話を終えたチャムはしばらく目を閉じていたが、再び開いたその緑眼には勝気な色が戻っていた。


「向こうにはファルマが付いたわ。考え得る限り最高の味方ね」

 ニッと笑ってそう言う。

「そうか? 俺はどうもあの猫は胡散臭くて得体が知れねえと思うぞ」

「秘密主義なところがあるものね。情報を扱うんだからそれくらいで良いわ」

「だがよ、帝国の手の者じゃねえって保証はねえぜ?」

 彼女とは帝国内でしか会っていない。密偵ではないかと勘繰っているのだろう。

「考えられない。あのタイプは決して国や一人の主に仕えたりはしない」


 そして、もう一つの根拠を口にする。

 帝国か、或いは誰かの指示で彼らを探っているなら、仲間に誘った時に飛びついてきた筈だと説明する。こちらの動きを把握するなら、それが一番手っ取り早い。情報を流すなど、カイの探知網からも逃れられるあの灰色猫なら鼻歌交じりで出来るだろう。

 極めて優秀な駒であるがゆえに固定配置をしたがらないかもしれないと少し前なら考えた。だが、今はその可能性を捨てられる。これほど魔闘拳士の動きに過剰な反応を示したのだ。彼女一人固定するくらい安いものだと思える。


「女の勘みたいなものだけど、あの気紛れ猫は気が向かないと動かない。気が向いても興味は薄い。でも、一度気に入った相手にはとことん熱心に関わるわ。そして、彼女は相当カイを気に入っている」

 ブルー任せで走らせながらファルマの印象を述べる。

「えらく買ってるじゃねえか。そんなに優秀か? あいつだって隠密行動はこなすだろ? そりゃ手数が多いに越したことはねえだろうがよ」

「比じゃないわ」

「そんなにかよ」

 チャムは半分思索に没しているようだ。

「おそらく今回は情報収集にも手間取る。国際機関である冒険者ギルドでさえ当てにならない」

「おい……、まさか……」

「その、まさかよ」

 大男の背中を嫌な汗が湿す。

「帝国内に関しては手が入っていると思っていいと思うわ。ああも見事に待ち伏せを食らうとなると、こちらの経路と通過時期は漏れている。尾行や監視はあの人が許さない以上、私達の立ち寄り先が一番怪しいと思わざるを得ないでしょ?」


 トゥリオは顔を顰める。

 どこの国に行っても冒険者ギルドでの情報収集は有効手段だ。しかし、そこからこちらの動向が漏れる、ましてや最悪偽情報を掴まされるとなれば迂闊に近寄れない。

 そうなれば、信用出来る聞き込み筋は失われ、手探りで賭けのような情報収集をしなくてはならなくなる。


「そうか! それであの猫かよ!」

 彼は手を打つ。

「このくらいはカイにも予想が付いているってんだな?」

「気が付いた? こういう難しい状況下での情報収集は専門家のほうが遥かに慣れている」


 当然カイは自分を餌に釣り上げるつもりで動く可能性が高い。それにしても、相手の思惑を読みながらの対応と、事前情報有りでの対応では難しさが違う。

 ファルマの加入で、事は早く進みそうだとチャムは予想する。下手にやきもきせずともこちらはこちらで持ち堪えていれば、遠からず片は付く。


 それまで彼に心配を掛けないよう、頑張ればいいと心に決めた。


   ◇      ◇      ◇


 そのは裏路地を縫うように動き回り、非常時の退路確保の為に主な通りを頭に入れて回る。


「路地を使ったほうが逃げ易いのではないですかぁ?」

 可愛らしい服装に扮しているフィノは、壁面に擦れて汚さないよう気を付けながら歩いている。

「こうも複雑だと無理だね。無闇に使おうとすると方向を見失ってしまう」

「それが無難にゃ。カイなら屋根うえを使ったほうがよほど早いにゃ」

 その為にも大通りがどこに通じているか知っていた方が良いのだと言う。

屋根上うえですかぁ」


 並行して服装も変えている。

 少し高級そうな服は黒髪の青年には馴染まないが、それだけに成金感が出る。それでフィノとファルマが華美な衣装に着替えれば、獣人趣味の成金息子の出来上がりだ。

 それで高級旅宿に部屋を取った。


 昨夜は身をひそめて仮眠をとっただけだったので風呂を使わせてもらう。

 ファルマの加入で助かる点はここにもある。さすがにフィノが身体を流している間に傍で守っている訳にはいかない。気配に敏感で、ダガーを使わせるとかなりな腕前の灰色猫が居てくれればカイも安心出来る。


「よく解らないな。見ておこう」

 早々に身綺麗にして部屋に戻り、妙な反応に首を傾げた青年は、扮装を解くと防具を身に着け窓から身を躍らせる。


 その相手はサーチ魔法に反応を見せ、時折り旅宿の傍を通り抜けるのだが気配が欠けていた。

 普通の人間ならそれなりに移動に音を立てるものなのに、それは走る速度で移動しているのに音を立てない。彼らの捜索をしている諜報工作員の類かと思ったが、そういう人種でも意識を振り向ける時に多少は剣気を放つ。

 誰かと行き会ってもそういった気配が皆無な存在が感じられるのである。一度だけなら見過ごしただろうが、何度も重なるとなれば注意しない訳にはいかない。


(あれかな?)

 巧みに気配を殺し、上から反応の元を視界に捉える。


 闇に溶けるような深い灰色の装束に身を包んでいる。頭巾で顔を隠して目だけを出しており、見た目はあからさまに怪しいのだが、あれだけ気配が無ければ誰の印象にも残らないだろう。

 僅かに、額の鉢金とそれを留める革紐が朱色に染められているのが特徴といえば特徴か。


「マルチガントレット」


 カイが両腕同時展開の起動音声トリガーアクションを呟くと、即座に振り向いた。

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