失策と通話
第二皇子は憤怒の表情で大机に拳を叩きつけて、痛みで顔を顰める。
「何だとぉ?」
報告の伝令を睨み付ける。
「分断に失敗しただけでなく、仲間を取り逃がしたとはどういう事だ!」
女剣士と盾士の追撃は敵わなかったが、目撃者や衛士からの聞き取りで街門外までの逃走が確認出来たとの報告だ。癇性に縮み上がりながらも事実を告げる。
「二人が離脱後は上方からの狙撃を受けまして、かなりの数が殺害されました。組織的な作戦行動が不可能になるほどの損害が出まして、追撃も儘なりませんでした事をお詫びいたします」
実際には狙撃を怖れて身を隠すのが精一杯だったのだが、保身に走って事実は伝えられない。
「ぐぬぅ…、魔闘拳士め! 私の完璧な策の裏を突くほどか? ディムザ、これもお前が正確に報告を上げていない所為だぞ!」
「勘弁してくださいよ、兄者。俺は奴の正体不明の攻撃法に関しては報告していましたよ。それを計算に入れなかったのは自分の落ち度でしょう?」
「口答えを…! ちっ、しかも魔闘拳士は獣人女と逃げたか。孤立させられないとは」
精神的にも追い詰めるつもりだったのだろう。
(やれやれ、何とか失敗してくれたか)
ディムザは胸を撫で下ろす。
(魔闘拳士が街壁内に残ったのは面白くはないが、あの犬系獣人が一緒というのも悪くない。本当なら青髪が一緒のほうが精神的歯止めにはなるだろうが、魔法士が行動をともにするなら無茶を出来ないはずだからな)
カイの性格上、そんな状況では絶対に傍から放さないだろう。それが魔法士なら行動の枷になる。
「分かっているだろうが、必ず見つけ出して捕らえろ」
密偵の伝令は射殺さんばかりの視線に震え上がっている。
「ど、どちらをで御座いましょうか?」
「両方に決まっている! そんな事も分からんのか!」
インク壷が投げ付けられ、顔の左半分が黒く染まる。額が割れたのか、そこへ赤が混じり始めた。
「…ですが、かなりの人員が失われまして、街壁の内外全てを捜索するのは困難かと? 網が荒くなれば、最悪食い破られる可能性が」
「見落とすな。逃がすな。私の指示はそれだけだ」
無理を押し付けられる者達を、ディムザは哀れに思う。
「仰せのままに」
そう答える伝令の真剣な表情は悲壮な覚悟を窺わせた。
「…待てよ? こういう時にこそ役に立ちそうな連中がいるな? けしかけてみるか。おい、護衛を集めろ。出掛けるぞ」
「承りました」
気まぐれな主に辟易しているだろうが、顔色一つ変えずに唯々諾々と従う。そう躾られているのだろう。
(よく耐える。主は選べようにな?)
何らかの掟で縛り付けでもしているのかもしれない。
「では、俺も失礼します。くれぐれもお気を付けて」
辞去を告げる第三皇子に、マークナードは鼻を鳴らす。
「お前に言われるまでもない。その気なら協力させてやらん事もなかったが、気の回らん奴だ。後悔するがいい」
(誰がこんな分の悪い賭けに乗るものか)
ディムザは扉に向かいながら鼻で嗤った。
◇ ◇ ◇
街門を抜けてからの追跡は無かった。
門衛も突然の事に、呆気に取られたような表情で見送るだけ。並んでいる隊商達も、駆け抜ける属性セネルの一団に怪訝な目を向けるだけだった。
(勘弁してくれ。こりゃ、ひと荒れどころか大嵐になりそうだぜ)
ブルーを駆る青髪の美貌が露骨に膨れ顔を見せている。
(そりゃあ、あいつと同じ位置で戦いたいっていつも言っちゃあいるが、今回ばかりは仕方ねえだろ? 荒事師と一般人がああも入り乱れてしまうと出来る事は限られちまうって)
来た道を遡って東側の大門を抜けたので、その辺りは帝都付近でも裏側になる。西大門が帝国内の主要街道に面していて大きく平野が切り拓かれており、東大門はコウトギ長議国やナギレヘン連邦への窓口のような扱いになっていて、街道を除けばまばらに小さな森も点在していた。
チャムは近場に潜伏したがったが、状況的には危険が大き過ぎる。彼女もそれは分かっていて、多少はごねるが或る程度離れた大河沿いの森に身を隠した。
そこなら下生えも多く隠れ易い。あまり長居は発見される可能性が増すので、定期的に移動は必要だろう。
「ふう、参ったぜ」
パープルとブルーが周囲に危険な魔獣が潜んでいないか巡視に出るのを見送りながら、トゥリオは大きく息を吐いた。
「出鱈目をやりやがる。正気の沙汰じゃねえぞ」
「あんたがフィノに気を付けていれば…!」
「分かってる! 分かってる! それは俺が悪かった! この通りだ」
頭を深く下げた。
「だが、あんな事になるとは思いもしなかったんだ。本当だ」
「…私も悪かったの、ごめん。注意を引くのは当然だったのに、合流を焦るあまりに失念してしまったのね」
「状況が悪かったんだ。気にすんな。と言うより、あれは作られた状況だ」
自らの不明を恥じて反省の弁を口にするチャムを、大男は制する。
「やられたもんはしゃーねえ。どうすっか?」
「この辺りだってお世辞にも安全だって言えないわ。カイ無しで乗り切らなくちゃいけない」
「ちっと、気ぃ入れねえとマズいな」
皇帝のお膝元と言える辺りで気を緩める訳にはいかない。それでも身体だけは休めないと持たないので寛げるように下生えの一部を切り払う。
敷物をして、帰ってきたパープル達に食事をさせ、自分達も保存食を噛む。魔法具コンロの使い方も考えなくてはならない。煙を上げては見つけてくれと言っているようなものだ。
「カイ?」
少し落ち着きを取り戻した頃に遠話器が呼び出し音を鳴らす。
【そうだよ。ちゃんと逃げ切ってくれた?】
「…何か言う事はないの?」
【ごめんごめん。そんな声を出さないで。せっかくの美声が台無しだよ?】
彼が褒める時の表情がありありと思い浮かぶ。それがもう日常になってしまっていた。
「もう!」
【こっちはそんなに心配するような状況じゃないから。都市の中なんて人だらけ。追跡の目を誤魔化すなんて簡単さ】
「油断しないの! 向こうは専門家! しかも自分達の庭みたいなものなのよ!」
青年相手に言うまでもないだろうが、心痛を伝える為に言い募る。
【うん、気を付ける。幸い、僕もフィノもサーチ魔法が使える。むしろそっちのほうが心配かな?】
「警戒は緩めないわ。以前はそれが当然だったんだもの」
【出来れば暗くなったらラドゥリウスから距離を取っておいて欲しいな】
捜索の輪の外に逃れろと言いたのだろう。
「それは聞けない注文ね。もしもの時は再突入したいくらいなのよ」
【あー、それは止めてくれないかな? もしもの時を起こさないようにするからさ】
「そう思うなら、さっさと離脱して元気な顔を見せて」
紛う事無き本音が口を吐く。
【厳しいね】
「…っ!」
【僕もちょっと腹が立っちゃってる】
凄味を帯びた声音にチャムは息を飲む。この状況を忌々しく思っているのは彼のほうが上かもしれない。
【ごめんね。しばらく我慢して】
「それは良いの。気を付けて」
【うん。 …フィノも元気ですぅ! チャムさん、気を付けてくださいねぇ?】
「ええ、心配ないわ。あなたもカイの傍にいれば大丈夫だから」
或る意味フィノのほうが安全に思える。
それでも胸に宿る不安は、青年の黒瞳が自分に向いていない不満と混ざり合っているからかもしれなかった。
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