市街包囲戦

 街門をくぐってすぐ、街壁付近は或る程度計画的な区画整備が行われているように感じた。

 しかし、中心に近付くほどに猥雑な感じが増してくる。中心部は取りも直さず無計画に建築を重ねられたような歴史が透けて見える。

 復興時にまず住居の確保を目的に、無秩序に建てられた建造物が雰囲気そのままに改修を繰り返しつつ、今まで残っているのではないかと思えた。


 何も無ければ、それも歴史を感じさせる味になるのかもしれないが、今のカイ達は足を引っ張られる。

 十分な空間を贅沢に用いた緑地や、裏路地の果てに用途も知れずぽっかりと開いた空間といった人気の少ない場所が全く無いのだ。監視を引き込んで、一般人に影響を出さずに戦闘に及ぶ空間に困っている。


(参るね。この国はほとんど統治に興味がないと見える)


 そういった空間を生み出す区画整理をほぼ行って来なかった事を意味する。

 今の乱雑な構造は、生産性を低下させ物流を滞らせる。少しでも経済に目を向ければ、真っ先に気付く類のものである。

 つまるところ、ずっと外にばかり目を向けて、走り続けてきた国の姿だ。もちろん立て直しを図ろうとした文官も数知れず居た事だろう。だが、どれだけ予算を申請しても、全て軍費に食われてきたのだと容易に想像出来た。


(でも、それで僕達は追い込まれている)


 カイは求めている空間を見出せずにいる。

 監視の包囲の輪の中で、ずるずると移動をしているだけだ。このままでは手詰まりになりそうで軽い焦燥感に駆られる。


(仕方ない。このまま本当に中心地に向けて引っ張ろう。貴族街まで行けばそれなりに開けているはず。余計に衛士や兵士を相手にする事になっても、一般人を巻き込むより遥かにマシ)


 これは明らかにディムザの策ではない。出方を窺う前哨戦でもないのなら、穏便に済ませる必要性も感じられない。

 彼は覚悟を決める。


(ここで仕掛けてくるだって?)

 それを仲間に告げようとした瞬間、背後で剣気が湧き上がる。


 そこは露店街に入ってしばらくの場所。少し進めば広い空間が取られて、そこに市場が立っているのが見て取れる。当然そこは人で溢れ返っていた。

 まずは市場を避けるべく動こうとした矢先に戦闘の気配を感じてしまった。


「ここでなの!?」

 同じ感覚を味わい、反応したチャム達も戸惑いを感じているようだ。まさか自国の市民が大勢行き交っているような場所で戦闘に及ぶなど想像の埒外である。

「逃げ場がねえ!」

 左右に目を走らせるが、路地はあれどそこは露店やその在庫置き場とされていて入り込む余地がない。ここでも街の機能性の無さが枷になる。


(抜けば大混乱が生じる!)

 こんな場所で武器を振りかざせば、そこは阿鼻叫喚の坩堝になるだろう。

「走るよ!」

「はいっ!」

 振り返って目が合ったフィノが良い返事を返してきて、チャム達も頷き返す。

 通りでは狭くて市民の逃げ場がない。非常に不本意だが、市場となっている拓けた場所を目指した。


(誘導されている)

 その思いは強いのだが、他に選択肢がない。この仕掛けは巧妙かつ周到に練られている。回避は極めて困難と言えよう。もし、自国の市民を盾にするような策でなければ称賛したいくらいだ。


「マルチガントレット」

 一見して刃物と思えない装備なら影響は少なかろう。チャムとトゥリオも鞘に左手は添えているが抜いてはいない。フィノはロッドを抱き抱えている。

 そのまま人の波を縫うように走るが遅々として進まない。人々も勘の良いものから順に剣気に反応をし始め、さざめきが広がっていく。


「本当にここでか!?」

 罵声が飛ぶ。

「馬鹿な! 正気か?」

「くそっ!」

 相手方にも混乱が見られる。包囲網の中でも諜報員という訳でなく、まともな装備をした戦士らしき人物はそんな反応が目立った。それも当然のことだろう。こんな場所での仕掛けはあり得ない。彼らとて抜くのを躊躇うはずだ。

 しかし、そんな場所でも刃を閃かせるのを躊躇わない人種が存在する。意図的に剣気を放つチャムとトゥリオに先行させ、後尾に付いたカイ目掛けて剣気が迫った。


   ◇      ◇      ◇


 その婦人は、普段は感じる事の無い独特の雰囲気の中で戸惑いを隠せず、きょろきょろと周囲に目を走らせていた。

 ところが急に背中に衝撃を受け、前に押し出される。そこには白い胸装ブレストアーマーを纏った冒険者らしき黒髪の青年の姿。ぶつかると思って目を瞑るが、その前に一瞬だけ見えた彼の顔は安心させるような薄笑みに彩られていた。

 お腹を優しく抱き留められてハッと目を開くが、その黒瞳は彼女を見ていない。不審に思った瞬間、激しい打撃音がしたかと思えば、一人の男が宙を舞っていた。


   ◇      ◇      ◇


 女性を押して、その影から閃いたダガーがカイの脇腹を目指して伸びてくる。銀爪で掴み取り強く引き寄せると、襲撃者の身体も吊られるように泳ぐ。こちらの意図に気付いてダガーを放すがもう遅い。青年の膝がその腹部を捉えていた。

 重く鈍い音とともに男は宙高く打ち上げられ、少し離れた場所に落下し二度と動かなかった。

「逃げてください」

 婦人にそう囁くと、目を見開いていた彼女は何度も頷き走り去っていった。


 その出来事で、市民達は先ほどまでの異様な空気の意味を知る。一気に騒然としてしまった市場の一画は、悲鳴と怒号で満たされた。

「きゃっ! いやっ!」

「ひぃっ! 逃げろ!」

「どけ! どけろぉっ!」

 人の波が少し引いてぽっかりと空いた場所で一人の青年が武骨なガントレットに包まれた腕を差し上げると、そこに黒い長柄の武器が出現した。

 それが混乱にさらに拍車を掛け、人々は逃げ惑う。


(思ったほど人が引いてくれないな)

 何が起こったのか知っている市民はその場から離れようとしているのだが、騒ぎを聞きつけて野次馬と化した人々との間で押し合いが起きている。

(これが狙いか)

 苦い思いがカイの内に湧き上がる。

 目を走らせると、混乱を諦めたのかチャムもトゥリオも剣を抜き盾を掲げている。その間で挟まれたフィノもロッドを構えているがその瞳は揺れている。

「こんなんじゃ魔法は使えませんですぅ!」

「止めときなさい。それがあいつらの思惑よ」

「いいから無理すんな! こんな状況じゃ仕方ねえ!」

 二人が犬耳娘を守り、その死角を埋めるように手綱を放されたセネル鳥せねるちょうが補っている。だが、彼らも魔法は使えない。牙と蹴爪しゅうそうしか武器がない。

「汚いやり方を!」

 麗人が吠えるが状況は変わらない。


 混乱で動き易くなったのは彼らだけではない。戦士や騎士装備の者達が武器を抜いて迫ってきている。

「貴様らか? 帝都を混乱に陥れ東方に大乱を招こうと画策している者は!」

 そう言い含められているのか問い質してくる。

「我が名はパドロネク! アルテナンにその人ありと謳われし者だ! 大人しく縛に就け!」

「我はマジャスコルド! 聞いた事があろう? これだけの相手を前に逃げおおせるなど無理と心得よ!」

 元は有名な騎士なのだろうか? 次々と名乗りを上げて武器を掲げる。

 それに対してカイは、順手に持った薙刀の柄をを右手で頭上高く掲げ、地面近くまで下げた穂先を左手で軽く支える構えを取っていた。


「その覚悟や善し!」

 声高に叫んだ騎士は大振りな長剣を腰だめに構えると、鋭い踏み込みを見せて間合いを詰める。目にも留まらぬ斬撃が横様に迫る。だが、その刃は途中で弾かれて黒髪の青年には届かない。下から跳ね上がった刀身が正確に迎撃していたのだ。


 それでやっと襲撃者は、カイの構えが油断ならないものだと知ったのだった。

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