コウトギの分岐点

 ラトギ・クスまで戻った一行。

 狐獣人クオフは冒険者達に宿での待機を請う。道中、それを匂わせる発言が彼から有った事から四人もそれに快く従う。カイにしても、願い事があったので何ら問題はなかった。


「白麦は普通に流通していないのかなぁ?」

 雑貨店で店主と話した青年はそう零す。

「そうねぇ。料理店とかには卸しているみたいだけど、一般への売り物としては出回っていないみたいな話だったじゃない?」

「どこのごう山間やまあいの沢に張り水の段を作って自分達が食べる分だけ作っているみたいですぅ。元々、一般に売り出す作物ではないのだと思いますぅ」

「基本的に気候に合わせた小規模農法だもんね。収量には限界があるよね」

 張り水農法は、拡幅した浅い川でなければ成り立たない。大河で大規模に出来るようなものではない。

「ここはな、男は黙って労働奉仕じゃねえか?」

「あんたねぇ、また…」

「そうだね! やっぱり働いてからの話がいいかな?」

 彼らしくない短絡的な結論にチャムは渋い顔を見せ、青年は舌を出す。


「あっ、帰ってきたのね、トゥリオ!」

 宿近くまで戻ってくると、聞き慣れた声が聞こえてきた。

「待ってたのよ! ね、健気でしょ?」

「いや、自分で言うような事じゃねえだろ? もう、とっくに買い物は終わってんじゃねえのか? 早く郷に帰れよ」

「えー、何でそんな事言うのよー」

 以前の事なんか忘れたかのように振る舞い、トゥリオに絡もうとする。


(どういう神経してんだ、この女は?)

 これまではさばさばした女性との付き合いが多かった赤毛の美丈夫は、フスチナの打算的かつ粘着質な性質に閉口する。


「ねぇねぇ、その黒いセネル鳥せねるちょうに乗せてもらうのは諦めたから、フスチナに別のセネル鳥を買ってー? ねぇ、お願い」

 なかなかに無茶を言ってくる。

「そうしたらね、ほら、フスチナも一緒に旅する事になっても不便じゃないでしょ?」

「バカな事ばっか言ってねえで、さっさと諦めろよ。お前は旅暮らしが出来るような女じゃねえだろ?」

「出来るもん! 証明してあげるわ!」

 いよいよまずいと思ったのか、食い下がってくる。

「…無理ですよぅ」

「な、何よ!」

 恨みがましい目でぽつりと呟いたフィノに、気圧されたように声を荒げる。


何陽なんにち何陽なんにちも水場に出会えなくて、水浴びさえも出来なくて、だんだん身体が臭くなっていくのに耐えられますかぁ?」

 ぼそぼそとだが力強い声音で問い詰める。

「雨が降り続けているのに、雨宿り出来るような場所にも行き会わなくて、濡れそぼったまま走り続ける事が出来ますかぁ?」

 瞳に浮かぶ真剣な色が、現実に有る事だと告げる。

「こちらが弱るのを待つように、ずっと跡をつけてくる魔獣の群れから、挫けずに何刻なんじかんも逃げ続けられますかぁ?」

 恐怖の度合いが増す。

「体力も魔力も残り少なくなっているのが自覚出来るのに、仲間の為に力を振り絞る事が出来ますかぁ?」

 自分の事だけ考えて行動するなど許されないと突き付ける。

「で、出来なくたってトゥリオが守ってくれるもん!」

「俺は盾士だ。兵士や衛士じゃねえ。戦わない奴を守ったりなんかしねえよ」

 口にした内容は拒絶でも、その声に込められているのは憐れみだった。


「フスチナ、お前は何も知らねえ女なんだよ」

 噛んで含めるように言う。

「都会の喧騒に包まれるのも、宿でふかふかのベッドに寝転がるのも、たまにしかねえことなんだよ。来るも来るも土の上に寝転がって星を眺めながら眠れるってんなら掛け合ってやっても良いがよ?」

「嫌っ! そんなの無理っ! それなら今の暮らしのほうが遥かにマシじゃないのよー!」

「分かったならさっさと帰れ」

 狐耳娘は涙をいっぱいに溜めて鼻をすする。

「ずっと退屈な毎陽まいにちしか知らない人の気持ちなんて分からないのよー! バカー!」

 涙の粒を散らしながら訴える。

「帰れって言っても、あんた達がクオフ様を連れてっちゃうから帰れなかったの!」

「あ!」

 やっと気付いて呆けた顔のトゥリオを残して、フスチナは通りを駆けていってしまった。


「あーあ」

 いつの間にか背後にやってきていたスアリテが、大男に声を掛ける。

「いじめんなよ」

「いじめてねえって! それより追いかけなくっていいのかよ!」

「今は放っときゃいい。落ち着いたら、誰が一番楽させてくれるか気付くだろ」

 楽観的な台詞だが、彼女をよく知るからこそのものだろう。

「お前、あんなの嫁にしたら苦労すんぜ?」

「惚れた弱みってやつだ」


 笑いながらそう言ったスアリテは、長議会から話があると告げた。


   ◇      ◇      ◇


 出向くと、長議員達の先頭には長議長のアマツリと傍らにクオフが待っていた。


「引き留めて申し訳ない。クオフが重大な助言を持ち帰ったので協議していた」

 熊系獣人の長議長が厳かに告げてきた。

「いえ、お気になさらず。急ぐ旅でもありませんので」

「貴殿が如何なる意図を持って東方を訪れているのかまでは我らも知らん。だが、神はお言葉をくださった。貴殿に従え、と」

 ひとつ頷いた後にアマツリは、どうやら協議結果らしきものを伝えてくる。

「我らは緑の神の庇護の下で今の暮らしを続けてきた。これからもそれを変える気は無い。ゆえに緑の神のお言葉を疑いはしない。コウトギ長議国の獣人、ひいては東方の獣人の全てが貴殿の意に従うべきだと判断した。そうお受け取りいただきたい」

「これは長議会の決定です。今のところ全ての郷の同意は得ておりませんが、緑の神の思し召しだと知れば拒む者など居ないと考えてくださって結構です」

 クオフは補足するように継いで言う。

「ちょっと待ってください」

 応じるカイは、眉が下がってあからさまに困った顔を見せる。

「それがどれほど大きな決議かはあなた方のほうがご存じの事と思います」


 長議長は「東方の全ての獣人」と言った。

 東方全体を問えば、彼らの割合は一割程度。しかし、その総人口となれば目を瞠る数字になる。東方の総人口は、文明レベルの割に多い。『倉庫持ち』による流通の円滑化、生活魔法具による農業工業の効率化、そして治癒キュアによる新生児死亡率の低下や母体の健康維持によるものである。

 それらにより東方には三千万人ほどが暮らしており、その一割、三百万人が獣人となる。コウトギ国内だけなら人口は四十万人強らしいが、帰属意識の強い獣人達の事だ。その全てが青年に従うとなれば、ゆうに一国が動くのとさして変わらない事態を生むだろう。


「あまりに大それた事です。それは僕の本意ではありません。従属を求める考えはないのです」

 カイは何と言えば伝わるのか考えながら続ける。

「東方に関しても調査中です。どんな対応をするか判断はまだですが、それにあなた方を巻き込みたくはないのです」

「東方情勢の事は存じています。それに関わりたいと思うのはおこがましい事なのでしょうか? 我々も世界の一員なのです」

 クオフの言葉は彼を貫いた。

「大変失礼を申しました。お詫びさせてください」

「それほどの事ではありません」

「では、その要を感じた時は皆さんのお力を貸していただいても宜しいでしょうか? お願いします」

 深く頭を垂れた黒髪の青年に、獣人達は礼を取った。


「取り急ぎ、一つお願いが…」

 アマツリと握手を交わしたカイは、クオフに向き直ると懇願する。

「収穫作業は頑張って手伝いますので、どうか僕に白麦の種籾たねもみを恵んでください」

「お安い御用です」

 狐獣人は苦笑する。


 緑の神の命は間違いではないだろうと彼は思った。

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