会談の終わり

 その答えはチャムにとって重要である。

 もし、カイが限界を超えて神々の領域ラグナブースターを使用して高次空間に飲まれたら、その末路は黒い粒子になってしまうかもしれないという懸念は、この会談の途中から彼女の脳裏から離れなくなっていた。


 神々の領域ラグナブースターの危険性を本人から聞いた時にも懸念は感じた。それでも、本当にそんな事が起こるのだろうかという思いはあったのだ。

 しかし、現実に高次空間に飲まれた人々の話を聞けば、不安は膨らむばかりになる。彼ほどの存在が負の情念に駆られれば、この世界など容易に滅んでしまうだろう。

 もし、その危険性の高さを緑竜が示唆するならば、チャムも対応も変えなければならない。彼女が心から懇願すれば青年は言う事を聞いてくれるだろうとの期待はある。


「あの能力ちからかいのぅ。うむ、確かに儂らの世界に転移してしまうかもしれぬの」

 導いた経路ごと引き込まれる可能性を説明する。それはカイが示唆したのと同じ結論だ。

「やっぱり! それじゃあ…!」

「魔王にはならんよ。これの存在は人の子では比較にならんほど強固じゃ。あちらでも自我が保てるじゃろう」


 それでも変貌はするだろうとシトゥラン翁は予想を口にする。

 自我を保ちながらも、慣れないうちは身動きとれないかもしれない。その間に運悪く時の流れに触れたりなどすれば身体は崩壊してしまう。その瞬間に、高エネルギー情報思念体に変貌する。

 自分達ドラゴンと同じ存在になるというのだ。

 その後は自由度が増すので、界渡りも容易になる。カイの形態形成場操作能力を考えれば、すぐに肉体の再構築も可能だろうと緑竜は言った。


「カイさんはドラゴンになっちゃうんですねぇ?」

 瞬きを繰り返しながら、フィノが羨望の眼差しで見る。

「そうだねぇ、きっと固有形態形成場の操作も上手になるだろうから、ドラゴンの形態もとる事が可能だろうね」

「人化も出来るのですから便利ですよぅ。空も飛べちゃいますぅ」

「フィノは僕をドラゴンにしたいのかな?」

 笑顔に呆れが混ざる。

「だってドラゴンですもん! 魔法も思いのままの最強生物ですよぅ!」

「ご希望に応えてやっちゃあどうだ?」

 大男が悪ノリしてきた。

 かなり切羽詰まった風だった青髪の美貌が、安堵に緩んできたのもそうさせた一因かもしれなかった。


「お前さんがそれで良いなら構わんがの」

 緑竜は、何か含みがあるような声音を出す。

「やっぱり何か問題があるんですかぁ?」

「いや、此奴も人の子で在りたいと思っておると踏んでおったんじゃが、違うのかと思うての」

 カイは頷く。

 彼にせよそうは思っているが、神々の領域ラグナブースターで守りたいものが守れるのなら悔いはないとも思っていた。

「そうじゃろう? 想い人とも愛を交わせぬようになるぞ?」

「「え!?」」


 聞けば、ドラゴン達は子を成すのに交合をしないらしい。

 彼らは子孫を作る時には情報結合をすると言う。父親と母親で情報を融合させ、そこから良い部分を選び出して再構成。出来上がった情報体が生命として発生したら、肉体情報も構成して母親の胎内に作り上げ、そこに情報思念体を宿らせて子供にするのだと説明してくれた。


「あ…、だ、大丈夫ですよぅ! 使い過ぎなければ高次空間に飲まれたりしないんですよねぇ!? それに、もしもの時だって平気ですよぅ! 愛があれば乗り越えられますぅ!」

「そ、そうだろ!? 大事なのは気持ちだろ、気持ち! お前がちゃんと想っていたら通じるって!」

 二人は無責任な事を言い、チャムは顔を桜色にして背ける。

「いーやーだ ── !!」

 俯いてぶるぶると震えていたカイが、がばっと顔を上げると吠える。

「絶対に嫌だ ── ! 童貞のまま人間やめるなんて耐えられないー! もう二度と神々の領域ラグナブースターなんか使うものかー!」

 黒髪を掻きむしりながら身悶えする。

 泡を食った皆が慌てて宥めるが、なかなか収まらない。


 その様を緑竜は面白そうに眺めていた。


   ◇      ◇      ◇


 青いセネル鳥せねるちょうが、待っていたクオフ達のところにやってきて、ひと声鳴くとクチバシで奥を示す。

 会談が終わったのだと分かった彼らは、渡されていた茶器を片付けると、その尾羽根の後に続く。


 広間まで戻ると緑の神が変わらず中央に寝そべっていて、狐獣人は思わず胸を撫で下ろす。戦闘音など聞こえてきたりはしなかったが、実際に自分の目で確認するまでは不安は拭えなかったのだ。


 ただ、なぜか黒髪の青年が隅のほうに移動して、うずくまって地面を見つめていた。

 その背後で彼の背中に手を当てて、麗人が慰めている。


「いったいなにが起こったのですか?」

 クオフの視線で何を訊かれたのか察した赤毛の美丈夫は、苦笑いで応じる。

「いやなぁ、ちょっと衝撃の事実が判明してな…」

「え? それは一大事ではありませんか?」

「あー…、大したことじゃねえんだ。それこそあんたらには欠片も関係ねえし、実にくだらねえ事なんだが…」

 そこまで言ったところで異音が聞こえ、頭を抱え込んだトゥリオが突っ伏して「ぐおぉ…」と悶えている。

「くだらなくなんかないっ!」

「ちょっと、石なんか投げちゃダメよ。いくら中身が足りないからって、壊れちゃうかもしれないでしょ?」

「チャムさん! 言葉で追い討ち掛けるの止めてくださいよぅ!」

 犬耳娘は非難の声を上げつつ、慌てて治癒キュアを大男に向けて唱えている。


(何だこの状態は?)

 クオフには何がなんだか分からないが、ちょっとした問題が起こったらしい。

 だが、どうやらコウトギには関係ないし、重大事ではないのはチャムが説明してくれた。


「待たせて済まなんだな」

 緑の神が首をもたげると、謝罪の言葉を告げてくる。

「思うたよりいささか興が乗っての、長話になってしもうた。許せよ」

「いえ、神が御満足なされたのでしたら、我らには異存などございません。良いお話が出来たようで幸いです」

 少し機嫌が良さそうな緑竜にクオフはそう言い添えた。


 獣人達との面会を再開して、緑竜シトゥランプラナドガイゼストは今後もコウトギ長議国の守護を約束する。この魔闘拳士との会談が不首尾に終わったときは、ドラゴンの庇護さえ失われるのではないかと怖れていた彼らは安堵の吐息を漏らす。


 その後は、良い機会とばかりに近隣諸国の情勢や各々の獣人郷の現状報告をする。緑竜は鷹揚に頷きつつ耳を傾け、必要であれば助言を与えていった。

 話が終わると、暇乞いとまごいをして辞する。


 冒険者達は彼らが話していた間は席を外してお茶にしていたが、辞去を伝えると片付けを始めた。

「ネーゼドのクオフよ、そなたに伝えようかのぅ」

 去り掛けた狐獣人にドラゴンは語り掛ける。

「クオフが神の御期待に沿えるのでしたら」

魔闘拳士あれに従え。あれは世を知り、過ちを正す者じゃ。拓く道に従えば、獣人も良き未来に出会えようぞ」

 一瞬目を瞠ったクオフは、顔を引き締めて深く深く腰を折った。



 坑道での帰路では黒髪の青年も持ち直したのか、いつもほどではないが笑顔を取り戻している。仲間がしきりに話し掛けているのもその一助になっているのだろうと思う。


「来た甲斐があったわね。何かすっきりした感じがしない?」

 チャムはにこやかに笑っている。

「ああ、色々と腑に落ちた感じがするぜ」

「ですよねぇ。フィノはドラゴンが胎生だったなんて知りませんでしたよぅ! 卵を生むんじゃなかったんですねぇ?」


(彼らは何を話していたんでしょう?)


 クオフは自分の眉が下がっているのを感じた。

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