変容する世界

 まだ分化を始めていなかった神は、ドラゴンの前に姿を現すと告げる。


『退去を望む。ここはそなたらの世界ではない』


 その要請には従えない。放置すれば何が起こるかは彼らのほうが知っている。

 仕方なくドラゴン達は、後悔には目を瞑って真実を語って聞かせたらしい。それには神とて翻意せざるを得ない。自分達の存在にも関わってくる。


『居住を許す。ただし、人の世への干渉は遠慮願いたい。人を脅かす事あらば厳正なる対応を覚悟せよ』


 驕慢を感じさせる物言いである。

 ドラゴンはそれを許容する。神の側の立場になれば理解出来なくもないからだ。

 生命情報体から発生して大きな力を持つ筈なのに、いきなり自分と同格の存在が現れたのである。覇権を奪われれば人類の庇護も儘ならない。威厳を保たねば、支配されかねないのだ。


 それを汲んだドラゴン達も身を退く。

 ただし、一つだけは守らねばならない事がある。


 彼らは或る情報を神に託した。


   ◇      ◇      ◇


「或る情報?」

 チャムにはピンと来なかったようだ。だが、黒髪の青年には心当たりがあった。

「言語ですね?」

「ほほう」

 然りと言わんばかりの声音だ。

「この言葉はきっと魔力の制御コードになっているんでしょう?」

「当たらずとも遠からずじゃな」


 それはドラゴン達が長年掛けて解析した作動経路らしい。

 魔力は一定経路を通して図形を象らせると効率良く相を変換させられる。その象形を経験から導き出していき、組み合わせを定型化していったのが魔法文字の雛型になっている。

 ドラゴン達が魔法象形と呼んだそれを、神が文字と単語、文法として再構成したのが現在の言語と魔法文字である。


「それを御神が人に伝えたのですね?」

 チャムは得心がいったように頷いた。

「いやあれは伝えたというよりは書き換えたと言ったほうが近いじゃろうな」

「もしかしたら、その頃は言語も分かれていたのではありませんか?」

「うむ。様々な言語が入り交じっておったな。それを統一してしもうた」

 落胆を見せる麗人にシトゥラン翁は続ける。

「それは悪い事ではなかろう? 言語による交流は無駄な諍いを無くすとは思わぬか?」

「そうですよね?」


(余計な誤解も生むけどね。ここで口にすべきじゃないだろうけど)

 カイはそんな皮肉も抱いた。

 ともあれ、この世界の統一言語が生み出された経緯が判明して、納得したのも事実だった。


「でもなぁ、爺さん達にしてみりゃ、そこまでしてやる義理は無かったんじゃねえのか?」

 何となく察していたカイ達が触れていなかった部分に言及するトゥリオ。

「そうでもないんじゃ。この世界の人類が魔法の制御に手間取ると厄介な事になるんじゃよ」

「厄介なこと?」


 どんな物事でも黎明期には多くの失敗が生まれる。

 それは魔法に於いても同じで、もし放置すれば無秩序に様々な実験が行われて、凄まじい量の熱量エントロピーが生み出されていく。


「それを処理せねばならんのは儂らじゃ。まだあまり手数が増えんうちから、出鱈目をされては困るのじゃよ」

 青年が後を継ぐ。

「最初から効率の良い魔法の使い方が出来れば、無駄に熱量エントロピーが生み出されるのが防げるでしょ? ドラゴン達の作業量にも限界があるだろうから、無茶をされると危険が高まるわけさ」

「あー、確かに放っといたら好き勝手やっちまうだろうな」

 欲に関わる部分は察しがいいのは彼らしいと言えば彼らしい。


「じゃが、それで全てが収まった訳じゃなかったのじゃ」

 声音に苦渋の色が混じる。

「この世界に魔王が出現したからですね?」

「淀んでいるだけかと思うた負の情報体が、圧力を増してこの世界に侵略を始めてしもうた」

 それは後に調査して判明した事実らしい。ドラゴン達も最初は何が起こったのか分からなかったという。

「形を成した彼奴らが支配に乗り出した時は阻止しようと動いたのじゃが…」

「止められたのですね、神々に」

 緑竜は無言で肯定する。

「なぜ、御神が…?」

「都合が良かったんだよ。以前も直接疑問をぶつけたでしょ? 魔王という存在は、人同士の争いから目を逸らし、一致団結して当たる脅威として丁度良い。しかも、それで信仰心も高まり、神々の力も高まる。自作自演ではなくとも、簡単に排除されては困る存在。それが魔王や魔人なのさ」


 この件に関しても非干渉を貫くように告げられたという。

 魔王もこの世界の問題であって、自分達や人類が対すべき苦難だと主張した。


「のちに力を増して対応し切れなくなる可能性には気付けなかったんだろうね? いや、それは誰にも予想なんて出来ない現象だったって言ったほうが正しいかな?」

 腕を組んで眉根に皺を寄せつつカイが言う。

「うむ。あれは負の情念の残滓じゃ。闘争心のようなものがそうさせているとも言うが、儂は少し違うと思うておる」

「嫉妬…、いや回帰の念でしょうか?」

「本能的に形ある姿を求めておるんじゃろうな。この世界に戻れば、また三次元存在としての生を取り戻せると思うておるのかもしれん。それにはお前さん達が邪魔なのじゃ」

 チャムの目から涙が零れた。

 許せるとは言わないが、魔の眷属の行動が悲しき人のさがに起因するとなれば、それは悲哀を感じさせてしまう。

「元通りになれたりはするのでしょうか? そうしたらまた理性を取り戻せたりは…?」

「無理じゃな。あれはもう個を保っておらぬ。原初の本能に突き動かされる分断された情報体に過ぎん。集合すれば意志のようなものを見せるかもしれんが、『きん』が言ったように負の情念の結晶でしかないのじゃ」

 悲しい末路にフィノも涙する。抱き寄せられてトゥリオの胸に顔をうずめた。


「じゃあよぅ、もしかしたら最悪、俺らもそうなっちまう可能性が有るって事だよな?」

 トゥリオは抗いがたい運命に顔を引き締めている。だが、カイは白皙の美貌の涙を拭いながら応じた。

「それはまず考えなくていいよ」

「何でだ? 爺さん達が頑張ってくれているかもしれねえが、絶対に無いとは言えねえだろ?」

「ほぼ無いと言っていい。それを僕が認識・・したからね。もし、その兆候が表れでもしたら、大いなる意思は直ちに次元境界を封鎖する」


 カイが認識・・した以上、それは大いなる意思の認識・・に変わったと言う。

 その為に彼は緑竜に強引な追及を繰り返したらしい。最悪の危機の回避には識る・・必要があるのだ。


「もちろん魔法は失われる。この世界は相当混乱するだろうね。でも惑星せかいごと滅亡するよりは遥かにマシじゃないかな?」

 何とも言い難い表情で問い掛ける。天秤に掛けるにせよ、どちらもあまりに重い選択だ。

「確かにな。そん時はそん時の奴に任せるしかねえんだろうな」

「そうなれば儂らもこの世界に取り残される事になるのぅ。その時こそ一住人として争乱に歯止めを掛けるよう動いても咎め立てされまいて」


 その時はドラゴンも魔法は使えなくなる。だが、彼らは翼肢というエネルギー吸収器官があり、それで巨大な身体の維持と飛行能力の保持が出来るらしい。

 神々が魔法行使能力を失って物理干渉力を持てず、人類意識への干渉力のみしか残らない事を考えれば、間違いなくドラゴンが最強の存在になるだろう。彼らが仲裁者として立ってくれるなら、何ら心配はないように思えた。


「シトゥラン翁、もう一つだけ教えてください」

 麗人が意を決したように真摯な瞳で尋ねる。

「この人が神々の領域ラグナブースターを過剰に使ってしまった時…。その時、彼は魔王になってしまうのでしょうか?」


 チャムは、それだけは確認しておかなければならないと思っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る