黒い粒子の正体
驚愕の事実に、チャムは崩れ落ちそうになる膝を支えるのが限界だった。
荒くなる呼吸に、縋り付く腕の主を見上げると、黒髪の青年でさえ訝しげな顔を崩せないでいる。彼にとっても予想だにしていなかった言葉なのだろうと思った。
「どういう…、事です…?」
カイの声にも震えが混じっている。
「どうと訊かれても、その意味通りじゃ。あれは元は人の子なのじゃよ。ただ、この世界のものではないぞ?」
「この世界じゃないのね…」
心の奥から安堵が湧き上がってくるのを感じる。
人類が脅威として対処してきた存在が人類そのものでは困る。自分の意識のどこに正義を持っていけばいいのか分からなくなってしまう。
チャムも人同士が争う事を否定はしない。理念の違いや諸々の理由で人同士で争う事は当然あるし、それが拡大すれば戦乱に繋がる可能性は高い。それも身近な出来事だ。
だが、一方的に害悪と断じて滅してきた存在が人であってはならない。その行いは傲慢に過ぎる。それに加担してきたとは思いたくなかった。
「……」
一時の安堵を得たチャムに比して、カイは険しい表情を崩さないでいる。
「教えてください。何がどうすれば三次元存在である人間が高次存在になるのです?」
「飲まれたからじゃ」
「飲まれた…」
緑竜シトゥランプラナドガイゼストは語り始める。
太古の昔に起こった出来事を。
◇ ◇ ◇
全ては偶然から生まれた状態だった。
何らかの現象からドラゴンの高次世界が、とある物質文明を持つ世界が接近する。物質文明世界側で何らかの実験が行われたからだともドラゴン達は論議した事もあるらしいが、事実は定かではない。
次元境界に緩みが生じる。現在のこの世界と高次世界の状態と類似している。境界を越えて、物質文明世界側に魔力の流入が始まった。
異常な状態にドラゴン達は接近した世界の監視を始める。
最初は何が起こったか認識出来なかった物質文明世界の人類は、次第にその新たな性質を持つエネルギーの解析を進め、自分達でも思念で制御が可能である事を認識した。
その世界にはエネルギー問題があったと見えて制御技術研究は急速に進み、人類は魔法を手に入れた。
魔法技術を一気に普及させ、人類は生活の中で魔法を多用し、魔法文明を開化させる。
ドラゴン達はその様子を静観し、境界を越えて漏れてくる熱量エントロピーを回収するに留めていた。
しかし、その裏側で事態は進行していた。
人類が魔法を多用する事で世界の熱量エントロピーは急速に増大する。元々栄えていた人類だけに、その進行度は極めて著しいものだった。
熱量エントロピーでパンパンに膨れ上がったような状態になった世界は次元境界を圧迫し、更に緩めていく。
そして、或る時突然決壊し、二つの世界は接触する。
ドラゴンは、接近していた世界を直接観測した。
人類もそうであっただろうが、それは空が割れて突如何かが出現したように感じただけだろう。人々の意識が保てたのはそれが限界だったと思われる。
人類世界は一瞬にして高次空間に飲み込まれてしまった。
◇ ◇ ◇
「先ほど語られた問題は、実際に起こったからこそご存じだったのですね?」
黒髪の青年は平静を保っているように見える。その内でどんな感情が渦巻いているかはチャムにも読み取れないが。
「うむ。我らが空間の性質を認識した事故であった。知らなければ許される訳でも無かろうが、悔いても遅い。事実は事実じゃ」
「それで、飲み込まれた世界はどうなったのですか?」
「砕けてしもうた」
それから緑竜が説明してくれた内容は、チャムにはほとんど理解出来なかった。
それはカイにしても大きな差異は無かったようで、後に彼が解説してくれた内容で幾分か理解が進んだに過ぎない。
高次空間に飲まれた物質は一定条件下では保持されるらしい。
例えば『倉庫』に格納した物体。情報連結で次元境界から僅かだけ生えたような状態で転移された物体は、経時変化は無く保持される。紐で繋げられてぶら下がっっているような状態らしい。
しかし、自由状態で高次空間に放出された物質は事情が異なる。空間内を漂っているうちに、時の流れという
「砕けたのですか…。惑星ごと…」
触れている青年の腕が細かく震えている。それが憤激の表れなのか恐怖の表れなのかは分からない。
「一遍にではない。時の奔流に溶け崩れるように、徐々に形が失われていったと聞いておる」
「人は…、人類はどうなってしまったのでしょう?」
さすがに彼も顔が歪む。聞きたくはないが、聞いておかなくてはならないという悲壮な覚悟が伴っているのだと思われる。
「三次元存在の生命活動は
「自身を認識する事さえ叶わなかったのですね?」
しかし、崩壊の時は迫ってくる。
人類も時の流れに
「どのような感覚に襲われたのかは儂にもよう分からん」
そう前置きをしてシトゥラン翁は状況を語る。
「伴ったのは苦痛よりも恐怖だったのかもしれん」
「僕にも想像する事しか出来ません。身体は訳も分からず崩壊していくのに、思念だけは魔力を通じて拡散し共有されるような感じだったのでしょうか?」
「おそらくは、の。悲鳴のような思念波だけは周囲に鳴り響いておったと聞いた」
多くの人々が一度に恐怖の思念を大量に撒き散らす。走馬灯のように記憶が混濁し、原初の情念だけが暴走していく。
そして、そこは思念で相を変化させる魔力という空間媒質で満ちていた。
「魔素…、黒い粒子が生まれたのね?」
やりきれない思いで結論を口にする。
「お前さんの言う通りじゃ。多くの熱量エントロピーを生み出す、高い活性を持つ三次元生命であるのが裏目に出てしもうた。負の情念に染められた、或る種の魔力の相である情報体が生まれたのじゃ」
「あれは、人類の
苦々しい表情でカイは結論を述べた。
ドラゴンはその後も観測を続けたらしい。
高次空間を漂う魔素は、高次生命体には被害を及ぼさないと結論付けられた。どんな存在が近付こうと、情報侵食を起こしたりはしなかった所為だ。
おそらくは元々高次空間の住人である生命とは情報強度が段違いであるからだと推測される。無害のものとして放置されたが、ただ、微かに意思だけは残っているようで、時に集合分散を繰り返す様は見られた。
「あれらを駆除せなんだのは我らにも罪の意識があった所為かもしれんの」
そしてそれは今もドラゴン達の心の奥に眠っているように感じられる。
「そんな…! 何が起こるかご存じなかったのですから不可抗力ですぅ!」
「そうだぜ。あまり気にしちゃいけねえ気がする」
「済まぬの、気を遣わせて。儂らも同じ罪を重ねなければ良いと思うておったのじゃ」
緑竜はもたげた頭を緩やかに振って見せる。
「でも、類似現象が起きてしまったのですね?」
皮肉にも再び次元境界の弱体化が起こる。
ドラゴン達は同じ轍は踏むまいと、すぐさま対応を協議した。そして、志願者を募り界渡りをさせて、近接世界の熱量エントロピーの制御を行う決断をする。
それは転移に巻き込まれたドラゴン達も同様に考えたようで、すぐにエネルギーの転送が開始された。
新たな界渡り達もそれに倣ってドラゴンの形態をとり、転送作業を始める。
「ところが渡った先には先住者がおっての、接触してきたのじゃ」
わざわざ言及してきたからにはそれは人類の事ではないだろう。
「神ですね?」
高エネルギー情報思念体同士が向き合う時が来たのだった。
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