トゥリオの男意気

 フィノもずっと赤毛の美丈夫の試合を見守っていた。


 最初は何に怒っているかも分からないくらいに腹を立てていたし、見る気は無かったのだが、チャムに諭されたのだ。

「自分の中の想いが大切なら、きちんと見ておきなさい」と。


 トゥリオは優しい。

 それは誰にでも一様にであるし、女性には特に強く感じる。彼の男としての信条に関わる部分なのだろう。

 正直、不満はない。彼の博愛精神は尊いと思う。


 彼にはカイのような厳しさはない。

 もちろん拳士の青年も驚くほど優しいと思う。でも、そこには根底に流れる違いがある。

 命の尊厳に真摯で、無為な殺生を好まない。力持つ者として弱きを助ける精神が強い。そこには裏返しがあって、それを侵すものは許さない厳しさを併せ持っている。

 食うか食われるかの場面に於いては人の側に立つが、それは人の中では強い個体だと自負しているからだろう。自然な生存競争の範囲で考えているようだ。

 だから人間社会の話になると、人の尊厳にも頓着しない。悪いものは悪いと断ずる。


 その点、トゥリオはまず許しを考える。過ちを認めようとする。

 それは自分が過ちを重ねてきた裏返しなのかもしれないが、根本的に人は弱いものだと認めているからだ。

 誰もが自戒を以って生きるべきだと考えるカイとの大きな違いになるだろう。


 まずは己が正義と照らし合わせて考えるカイと、情を踏まえて慮り行動するトゥリオ。

 ずいぶん違うように感じる二人が、互いを認め合っているのが面白いと思う。それぞれが自分に足りない部分を相手に求めている結果だからこそ、決定的なぶつかり合いをしないのだろうか?


 ただ、今はトゥリオの博愛精神を疎ましく思う。

 自分に振り向けられる優しさが皆と同じだと思うほどフィノも鈍感ではない。飛び込む度胸は無い癖に、彼の特別である事に甘えているのは間違いない。だから、今の行動を非難する権利など彼女には無いのだ。

 なのに、内から湧き上がる暗い感情に捉われるのを止められない。余計に惨めで、彼の特別でいるのをおこがましいと思ってしまう。

 でも、我儘を言ってでも縋り付きたいと思う自分が嫌で嫌で仕方がない。


 同じところに立たなければいけないと思った。

 許しと優しさを持ち得ないなら、トゥリオの傍にはいられない。


 だから一歩踏み出した。


   ◇      ◇      ◇


「来るんじゃねえ!」

 勝負の場に踏み込もうとするフスチナを一瞥して止めた。


「立てるか?」

 蹲るスアリテを覗き込む。

「辛けりゃ俺の仲間に治癒キュアを掛けてもらうぞ?」

「…敗者に情けか? 偉そうに」

「勝った負けたなんてどうでもいいんだよ。お前は女の気を惹きたくて本気で戦った。俺にもその気持ちが分かる。だから俺はお前を認めるぜ。それだけだ」


 脇に手を差し入れて立たせようとするが膝に来ているようで重い。ところが急に勢いよく立ち上がり、キョトンとした顔をする。

 振り向くと、ロッドを手にした犬耳娘が、その先端で彼の背中に触れている。頼むまでもなく彼女は治癒キュアを使ってくれたのだ。

 それでトゥリオは自分もスアリテも、フィノにとっては馬鹿げているであろうこの勝負も許してもらえたのだと思った。


「フィノ…」

 行動とは裏腹に、未だむくれたような様子を見せている。

「ありがとう」

「…いいですぅ」

 トゥリオにはなぜ彼女が泣きそうな顔をしている理由が分からなかった。


「バカか、お前は?」

 同じ女衆に諫められてはいるが、フスチナはまだキーキーと騒いでいる。

「ああ、バカだバカだと仲間に言われ続けてるぜ」

「はは…、それは正解だ。頼りになるじゃないか?」

「抜かしやがる。この野郎」

 笑いながら拳を合わせる。

「そんなだからフスチナが惚れてしまったのか」

「そこが良く分からねえ。俺よりはカイのほうがよほどいい匂いがする筈なんだがよ?」

「そんな事まで知っているのか?」

 コウトギでも、彼らの特殊な感覚は外部に禁句になっているようだ。


 獣人族は或る種の匂いを感じるという。それが本当に嗅覚なのかどうかは分からないが、彼らはそれを匂いと感じるようだ。

 条件としては、力有る者というのと、獣人に対して好感情を抱いていること。この二つを兼ね備えていればより強く感じるらしく、その所為でカイは東方の獣人ごうでも子供達には大人気。

 自己保存本能のなせる技なのか、幼いほどにその嗅覚は強いという。


「お前な、あんないい娘がいるんなら別にいいだろ? フスチナは絶対に取り戻すからな」

 茶色の混じった白い尾を振りながら仲間のところへ戻っていくフィノを見ている。

「さっさと引き取ってくれ。お陰で散々だ」

「ふざけんなよ? あんな美人はそこらの獣人郷じゃ見られないんだぞ?」

「すまん。俺には差が分からねえ。濃いめか薄めかが見分けられるくれえだ」

 スアリテは頭をばりばりと掻きつつ「何でこんな奴に」と零す。

「やっぱりお前にはもったいない」

「悪ぃがこればっかりはどうしようもねえ」

 トゥリオはそう返しながらも、美醜に拘るスアリテに若さを感じていた。


「やれやれだ。結局、何も解決しなかったじゃねえか?」

 肩を竦めながら戻ってきた大男は冷たい視線で迎えられた。

「あんた、あの時、負けようとしたでしょ?」

「げ!」

 トゥリオの顔は面白いくらいに一瞬で歪んだ。

「自分の為に負けて名誉を失って、フィノが喜ぶとでも思ってんの? 自分の態度がそうさせたんだと思って苦しむだけだと思わなかったわけ?」

「いや、あれは勝てると思っちまって油断して…」

「嘗められたものね? 分からないとでも思ったのかしら?」

 彼女の斜め後ろの見えない位置で、カイが駄目駄目と手を振っている。完全に見透かされていた。

「一晩、ちゃんと考えたのかと思ったけど、いぎたなく眠っていただけだったのね? 明陽あすの朝は覚悟しておきなさい」

「だってよぉ…」

「問答無用!」

 フィノがもういいとばかりに肩を揺するが青髪の美貌は聞く耳を持たない。

「まあまあ、チャム、今回は勉強になったと思うよ? それくらいにしてあげたら?」

「ダメよ。一度絞ってやらないと分からないのよ、こいつ。誰にでもいい顔してたらこんな事は当たり前に起こるの。自分で始末が付けられないのなら、改めさせなきゃただのお荷物」

「ぐっ…、そこまで言うのかよ」

 辛辣な台詞が胸の奥に刺さる。

「気にしてませんからぁ」

「ほら、フィノも困っちゃうから」

 涙目で犬耳娘に縋られれば、チャムも口を閉じる。

「トゥリオも分かっただろう? 本当なら関わりない勝負に否応なく引き出される辛さがね。そんなのが毎陽まいにち続いていたら何もかも放り出したくなっちゃうから」


 経験者は語る、だ。

 義姉あねのエレノアの戯言に巻き込まれて過酷な陽々ひびを過ごしていたカイだからこそ、その言葉は重い。体力的にはなんとかなっても、精神的に追い詰められる感覚が肩に圧し掛かってくると思われる。

 それが何も続いたというのだから、その苦労は推して知るべしである。


「堪らんな、こりゃ。俺はこの一件だけでもお腹いっぱいだぜ」

 長い長い溜息が出た。

「だったら上手に立ち回る事だね。僕はそういうの下手だから当てにはならないよ?」

「あー、思い知ったよ。まったく何やってんだか分かんなくなるぜ。勘弁してくれよ」

「身から出た錆だと自覚なさい。同じ轍を踏むようなら、身動き取れなくなるくらいまでしごいてやるから」

 凄むチャムに怖気を振るう。


 上手く線を引かなければ、早晩大地を舐める羽目になりそうだった。

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