恋の空回り

「手前ぇ、面白がってんだろ?」

 トゥリオは凄むが、黒髪の青年はのほほんと首を左右に振る。

「んーん、ほむひろはってふぁいよ。ふぇんおふわいあへ」

「握り麦、口いっぱいに頬張ってんのが、既にふざけてんだろうが!?」

「ぶー、…ん。だって約束だもん」

 飲み下してから抗弁するが、抗弁にはなっていない。

「本心からどうでもいいから、とりあえず時間稼ぎはしてあげたじゃないか? 何が不満なのさ」

「どうでもいいとか言うな! もっと具体的且つ積極的に解決策を出せよ!」

「色恋沙汰で僕にそれを求めるのが根本的に間違っているよ。考える時間は作ってあげたんだから、自分で何とかしなよ」

 もっともな意見に美丈夫は口籠る。


 あれから、翌朝の試合の約束をして別れ、その結果次第というのを理由に体よくフスチナも追い払っている。カイにしてみれば上出来かもしれないが、トゥリオはそれどころではない。

 事実、へそを曲げた女神フィノは女子部屋にお籠りしてしまった。大男がいくら声を掛けても出てきてくれないので、弁明の機会も与えてもらえていない。


「そもそもさ、最初からきちんと線を引かなかったから今の状況があるんでしょ? そっち方面は、僕なんかよりよほど長けている筈だよ? 上手な振り方だって知っているんじゃないの?」

 更に正論を重ねられる。

「だってよ、やっぱ世話になっている以上、あんまり邪険にして空気を悪くしちまったらマズいじゃねえか? 俺なりに気ぃ遣ったんだぜ」

「女の子に愛想振り撒くのが気遣いだなんて、立派な処世術ね?」

 皮肉るチャムは、残してあった白麦ご飯で握り麦を作る手を休めない。なにしろ片っ端から消費されている。

「バカ言うんじゃねえ。女衆の心証を良くしといたほうが馴染み易いだろうが?」

「そういうのはこの人に任せとけばいいの。馴染むのは上手なんだから。変に愛想しておいて、なびいたら相好崩して。それで相手もその気になって面倒事になっているんでしょ?」

「う…」


 女性関係に慣れ過ぎているばかりに、深く踏み込んだ結果がこれだ。正論でばっさばっさと斬り込まれれば、返す言葉も無くなる。

 こうして話し合いが出来るのも、時間稼ぎに成功したお陰に他ならない。カイを責めるのはお門違いである。


「あとは試合をどうするかだけ考えておきなよ。負けるのは簡単だろうし、僕達はそれで名誉が傷付いたとか文句言ったりはしないよ。でもそれでフィノが納得するかどうかは疑問符だから、つまんない小細工はお勧めしないね」

 指をしゃぶりながら青年が言う。

「だが、勝っちまったら…」

「だから、その時こそ腕の見せどころじゃない? 上手な振り方ってのを見せてよ」

 溜息を吐いて、口をへの字にする。

「まったく、羨ましい限りだね。僕も美形に生まれてみたかったよ。そうしたらどんなに楽だったか」

「思ってもねえ癖に」

「思ってるさ! 全力を尽くしてたった一人を振り向かせられるかどうかなんだよ、僕なんて。この平凡を絵に描いたような面相で女性を引き留めておきたかったら、ずっと努力を続けなきゃいけないんだってのに!」


(分かってんのか、こいつ? そんじょそこらの男じゃ絶対に落ちないような高根の花が、露骨になびいてんだぞ? 世の男どもなら泣いて喜ぶだろうに)

 どうにも白けた視線を送ってしまうが、本人は理解していないようだ。

(それどころじゃねえ。どうしろっつーんだ? どうすりゃ俺の女神は機嫌を直してくれる?)


 トゥリオは腕を組んで唸るのだった。


   ◇      ◇      ◇


 赤毛の美丈夫は、木剣とともに迷いを手にしたまま連絡員の男と対峙している。


 試合は予定通りに開始されている。

 スアリテの鼻息は荒いが油断はしていないらしく、木剣を構えた姿勢のままゆっくりと横移動しつつ隙を窺っている。昨夜のうちに、今までの男衆コミュニケーションの様子はしっかりと吹き込まれているのだろう。

 一合も合わせないで静かに時間が過ぎていく。


(敏捷そうだな。後手に回れば厄介か)


 跳ねた切っ先を真っ直ぐに相手の天頂に落とす。

 躱すかと思いきや、寝かせた木剣でしっかりと受けてきた。力負けしないぞという意思の表れに見える。真っ向から打ち合う気なのだと思う。


(あんな細身だが、膂力じゃ五分だと思ったほうがいいな。引けば圧し込まれるか?)


 一転して鋭い攻撃が連なって襲い掛かってきた。

 トゥリオは刃筋を立てて弾き、剣の腹を滑らせいなし、上体を揺らせるだけで全てを躱していく。チャムの剣ほどの鋭さはないし、緩急も無ければ変化に乏しい。要するに単調で、躱し易いと思える。


(ゆっくりに見えるってのはこういう事か。カイなんかは俺の攻撃がこう見えてんだろうな?)


 余裕を感じたトゥリオが受けに回って観察していると、一瞬に転じて深く踏み込んできた。これまでで一番の鋭さを持つ斬撃が跳ね上がってくる。油断と見て、突っ込んできたのだろう。


(相手をよく見てる。実戦慣れはしているな。腕に覚えがあるからこそ、余計に突っかかってきやがるって事か?)


 その斬り上げも外に弾き飛ばす。思い切った攻撃だったのか、スアリテの身体が泳ぐ。追撃の意思は無かったのだが、彼は転がって間合いの外に逃れていった。


(完全に本気だな。その上、場慣れしてやがる。普段は魔獣の相手してる筈なのに、いつ対人戦の訓練してんだ?)


 狐獣人の動きは明らかに剣対剣を想定したもの。魔獣の群れ相手に転がって逃げようなどとすれば、群がって食い殺されるのは確実。一対一でもよほど鈍重な敵でない限り、追撃を受けて追い込まれてしまうだろう。

 間合いを外すというのは、人間相手だからこそ通じる策である。だから、敢えて逃がして仕切り直した。


(いけねえ。気ぃ入れたら勝てちまう。どうする? 勝っても良いのかよ? こいつは連絡員っていう名誉ある役職に就いているんだ。もし、流れ者なんぞに後れを取るところを見られちまったら、へし折れちまうんじゃねえか? 惚れた腫れたで将来を台無しにしちゃマズいだろ)


 内なる葛藤が身体を固めてしまったのか、捨て身の覚悟で飛び込んできたスアリテの斬撃への対応が遅れる。中途半端に弾いた剣が瞬時に翻って左の肩口に迫る。

 左に開いて、下がった切っ先を無理矢理引き上げるようにして受けたが、順手のままでは力が入らず、圧し込まれそうだ。


(抜かれた!)


 スアリテが急に木剣を引いた所為で、力を込めていたトゥリオの剣は跳ね上がって彷徨い、がら空きになってしまった胴へ獣人の拳が突き込まれる。


(これを食らったら負けるな。いや、それで良いんじゃねえか? これはわざとには見えねえだろ。丁度いい。このまま負けちまえ)


 しかし、踏み込みと同時に伸びてきた拳は、トゥリオの左の腕甲アームガードに阻まれていた。


(あ…、身体が反応しちまった…)


 当然だ。その程度の隙で打ち込みを許すなら、組手をするより気絶している時間のほうが長くなってしまう。それほどの鍛錬を、彼はこの数輪すうねん、ずっと続けてきたのである。


(あー、もうダメだな、こりゃ)


 それは渾身の一撃だったのだろう。スアリテは自分の拳が防がれた様を唖然と見つめている。

 美丈夫は、手首を返すようにその拳を外に逃がすと、逆にがら空きになった相手の鳩尾に左拳をめり込ませた。


「げはっ!」

 体重差がものをいう打撃では、この体格差は厳しい。身を二つ折りにしたスアリテの後頭部に木剣の腹を加減して叩き付けると、そのまま地に伏した。



「ほらね! やっぱりトゥリオのほうが強いじゃない!」

 フスチナが喜び勇んで駆け寄ろうとする。

「来るんじゃねえ!」


 赤毛の大男は大声で凄んで、その足を留めさせた。

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