ジャワナ麦

 カイは改めて理知的に感じる獣人青年を観察する。


 整えられた金髪は艶やかな様子でうなじ辺りまで続く。その下から小麦色の毛皮が見える。

 獣相はそれほど濃くないほうで、喉を覆う毛皮も面貌にまでは表れていない。顎の裏で止まっているのか、顔はつるっとした地肌が剥き出しになっている。

 比較的突き出しているだろう鼻面の中央には真っ黒な鼻が座り、同じく黒い髭が数本斜め上向きに生えている。その下の口は少し大きめで笑みを形作るように吊り上がっている。

 切れ長の目には水色の双眸が填まっていて、その上には鼻髭と同じくらいの太さの黒く長い毛が眉のように掃かれていた。

 人族の目で見ても美男子なのだろうなと思わせるような容貌の一番の特徴は、頭の上のかなり大きな三角形の耳だろう。先だけ黒く染まっている小麦色の耳は非常に良く聞こえそうだと思うくらいに発達している。


「キツネのれんの方ですか?」

 間違いようのない外見に、黒髪の青年はそう訊ねた。

「はい。クオフはセグロキツネ連に属しています。お詳しいのですね? あなただけは東方の方ですか?」

「いえ、僕も住まいは西方ですよ。あちらの獣人郷でも長居させていただいたので、ごうの仕組みに触れる機会があったのです」

「そうでしたか」

 フィノが西方の獣人だとは紹介で知ったが、黒髪に黒瞳という容貌はやはり東方、それも帝国人によく表れる特徴だと思えてしまうらしい。


「彼女のほうがこちらの出なので詳しいのです」

 チャムを指して示す。

「おや、このお美しい方が?」

「あら、上手なのね?」

「いえいえ、東方こちらでは珍しい相貌をなされているので意外でした」

 高い知性を感じさせる丁寧な語り口が傍らの青年にそっくりで、チャムは少し親近感を覚えている。

「以前、この辺りを訪れた時にこの農法を見知っていたから、この人達に昔からそうだったって教えてあげていたところよ」

「ええ、クオフたちは昔からこうやって暮らしていました」


 その後は狐の青年の案内で張り水周辺を見学させてもらう。

 水耕筏はやはり大麦が主で、他にも野菜類が作付けされているものもあったが、数は少ない。それも果実類ばかりで、当然根菜類は無かった。それらは採集で得ているとクオフは教えてくれる。

 彼らの食生活はこの大麦と動物の肉をバランスよく摂るもので、それに水耕筏で得た野菜や採集した菜類を加えて賄っているらしい。これほどの山中であれば採集もそれほど困難ではないだろう。


「これが苗代筏です」

 そこには高さ20メック24cmほどに育った麦の苗が青々と茂っている。

「これくらい育ったら十分なので、近陽きんじつ中には水耕筏に植え付けますね」

「洗い落してから植えるのですか?」

 それは小さめの箱型筏になっていて、中身は腐葉土が敷き詰められている。苗の段階では水耕はしないか出来ないかのどちらかだと思った。

「いえ、新しい筏にも粗めの腐葉土を詰め、そのまま植え付けするだけです。丁度根付いた頃に土は洗い流されてしまうので具合が良いのです」

「これだけ広く開削していたら、流れも穏やかになっていい感じにふるい落とされそうですぅ」

「そのタイミングで大雨が降らないように祈らないといけないね」

 いきなり大水に晒されると根付く前に土が流されてしまいそうだ。

「植え付けしてしばらくはむしろを巻いておくのです。あれがそうですね」

「あれか。何か壁みたいなので覆ってあるから、別のもんが植えてあるのかと思ったぜ」


 麦藁で編んだむしろが水耕筏の周りを覆っている。

 それで横からの強い水流や水被りを防いでいるらしい。そうすれば上からの雨と下から浸みてくる川の水で土がふるい落とされていくのだろう。


(本当に良く出来た仕組みだなぁ)

 カイはそう思う。

(でもこれを知っていて教えてくれなかったのは腑に落ちないんだけど)


「これなら土が痩せないので幾らでも連作が利きますね」

 竹網は転用しているだろうが、植え付けのたびに腐葉土は入れ替えるので連作障害は出ない。それどころか、ふるい落とされる腐葉土や使用後の腐葉土の流出は、下流域やその先の海に滋養を振り撒き、豊かにしているだろうと思われる。

「それが一番の利点ですね。十分な耕作地を持てない我々にはこれ以外の方法は考えられないほどです」

「先祖はご苦労されたでしょうが、実に見事としか言えません」

 同じく狭い国土しか持たず、更に少ない平野部で水田耕作に辿り着いた日本人と同じ思想と言えるかもしれない。

「この大麦は?」

「ジャワナ麦と言います。一般には白麦と呼ばれていると思いますよ」

「…ふぅ。不躾なお願いで申し訳ないのですが、分けていただけませんでしょうか?」

 クオフはくすりと笑う。カイの顔には食べたいと書いてある。

「ご馳走いたしましょう。どうぞ郷へいらしてください」

 招くように横向きになった彼のお尻には、毛量の豊かな尻尾が揺れていた。


「ところで、チャム。どうしてジャワナ麦の事、教えてくれなかったの?」

 口調が少し責めるような色を帯びる。

「え、白麦のこと? 何か問題?」

「大問題だよ。これ、たぶん、西方でも育つ種の大麦だもん」

「うそ! ちょっと待ってよ! 白麦ってこういう育て方しないと採れないんじゃないの?」

 かなり誤解が有りそうだ。

「そんな事ないよ。普通に植えたって育つさ」

「ええ、育ちますよ。この辺りでは作付けできる場所がないだけの話です」

「にゃっ! そ、そんな事分からないもん!」

 この麗人に農業的知識を求めるほうが間違いかもしれないが。

「そうだろうね。でも、麦としては破格に水に強い種なんだと思う。西方の土壌でもきっと湿害は出ない」

「ほんと? もしかしてそんなに熱心なのは作ってみようと思っているから?」

「正解」

 この辺りはどこでもかなり水位は高いだろう。それでも育つなら、きちんと畝を作るくらいの配慮で西方でも育てられると思っていい。

「クオフは西方を知りませんが、見ての通り水には強いのできっと大丈夫だと思いますよ?」

「うぅ…、ごめんなさい…」

「分からないよね? ごめん、意地悪を言って」

 ちょっと落ち込んだチャムはフィノに慰められている。


 何段にも及ぶ張り水堰の横を上っていく。緩やかな坂道と階段の組み合わせだが、階段は一段一段広めに作られていて、セネル鳥せねるちょうでも容易に上っていけた。

 これはつまり馬やセネル鳥でも上れる構造になっているという事で、彼らも利用しているのだろう。


 更に上っていくと、山腹に張り付くように家屋の姿が見える。と言うのも、集落の中に幾本もの大樹が聳え立っている。それを囲むように拓かれた場所に家屋が建てられていて、見通しが良くないからだ。

 一般的に考えれば、集落の周りは樹々が切り拓かれていて当然と考える。そうでなければ色々と問題が出てきてしまう。木造家屋は乾燥を必要とする。湿った状態が長く続けば腐食して強度が落ちてしまう。

 焔光ようこうは殺菌や防虫という意味でも不可欠である。全く拓けていない場所で暮らそうとすれば、それは非常に厳しい条件になると思われる。


 その辺りの足し引きがこの状態なのだろう。

 根を張る大樹の傍を拓き、焔光ようこうを確保しつつ家屋を建てる事で、暮らし易さと斜面の強度維持に配慮している。

 そうでもしなければならないほど、この辺りの降水量は多いのだと分かる。


 彼らが集落入り口に姿を現すと、遊んでいた子供達がわっと家の中に消えていく。


 カイは、客が来るのは珍しいのだろうと思った。



※本日は二話更新です。引き続きお楽しみください。

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