ネーゼド郷

「初めまして」

 挨拶をする相手は大きめの家屋の奥、板の間にどっかりと座っていた。

 ブーツを脱いで上がった黒髪の青年は、躊躇いも無く前に進むと、同様に胡坐をかいて座り頭を下げる。

「この通り、各地を巡っている流しの冒険者です。しばしの滞在を許可いただけますか?」

「いいだろう。客など珍しい。皆喜ぶ」

 いわおのような身体の持ち主は、クオフが紹介してくれたネーゼドごうの長ウェルヒ。


 簡素な衣服に身を包んだ長は、編み藁の座に腰を下ろし、カイ達を静かに見つめていた。

 鷹揚に構える彼は、漆黒の蓬髪に薄茶色の双眸、獣相は濃い目で黒い毛皮に頬まで覆われている。大きめの黒い鼻から続く口元は意外に小さく、鼻髭も申し訳程度であった。

 図太い首から、幅も厚みも常識外とも思える巨躯を誇り、その内にたわめられた力が満ち満ちているように感じられた。


「クマ系獣人の方ですね?」

 対比すれば、まるで子供のように見える小柄な青年は、臆面もなく問い掛ける。

 同じ姿勢を取り、下座に在るのが礼に適っているかは分からないが、他の三人もそれに倣い、誰も指摘しないのであれば問題無いのだろう。

「ああ、ミズベグマれんに属している。クオフのセグロキツネ連ともう一つのアカメギンギツネ連でネーゼド郷は成っている」

「先ほどちらりと見せていただいたのですが、一つの連の人数はずいぶんと多いのですね? あくまで西方の郷と比べての話ですが」

「そうだったか?」

 大きな顔を少し捻ったウェルヒは、腹心の狐獣人のほうを見る。

「はい、今、ミズベグマ連が二百十二名、アカメギンギツネ連が百九十七名、セグロキツネ連が二百三十九名となっておりますよ?」

「多いのか?」

「西方の郷では、一つの連で五十名から多くても百名には達しませんですぅ。乳幼児死亡率はそうでもないのですが、何より狩りで失われる若者があまりに多かったのでぇ…」

 今は改善されつつある状況だが、以前は人口が増える余地などなかった。


 決して良くない栄養状態の中でも、陽々ひび魔獣を狩らなければ魔石が得られず、非常用の小麦粉も金属や陶器の日用品も得られない。あまりに過酷な環境であったと言える。


「そうも違うのか?」

 フィノの説明を受けたネーゼド郷の長は尋ねる。

「西方密林の魔獣の濃さはこの辺りの十倍ほどだと思ってください。普通の野生動物など生きてはいけません。小型の草食魔獣を起点に生態系が成り立っているのです」

「そんなところへ狩りへ? それでは命が幾つあっても足りませんね」

 クオフも目を丸くしている。

「我々は恵まれているというべきなのでしょうか?」

「それは僕にも分かりません。あなた方は厳しい環境に適応するとともに、そこを選んでいるかのようにも見えます。狩猟本能がそうさせるのかとも思いますが、はっきりとは」

「野に暮らす者は、軍人や傭兵稼業、冒険者が関の山と聞く。闘争本能がそうさせるのかもしれん」


 そう言うウェルヒ自身が、見た目を余所に自制の利いた人間に見えるのは皮肉めいている。


   ◇      ◇      ◇


 快く滞在許可を長にもらった彼らは、興味津々で待っていた住人の目に曝される。子供達など親に縋りながらも瞳を輝かせて見つめてきている。


 カイから見ればちょっと見慣れぬ光景。

 そうやってずらりと並ばれれば、同じ狐系獣人でも結構造作に差が認められる。それは大人のなるほど顕著に現れるようで、まだ幼い子狐達は獣相も濃く伸び上がっただけの狐に見える。

 それにころころとした子熊の姿も加わっているのだから堪らない。


(可愛いな)

 つい目尻が下がる。

(あとで遊んでもらおうかな)

 そんな風に思いながら案内のクオフに続いていく。


 人口が安定しているコウトギの獣人郷では不要な空き家は無いらしい。

 どこかにお世話になるかとも提案されたのだが、空き地を貸してもらって小部屋リングを使う事にした。雨が多いなら夜営は厳しいので、平野では出番が少なかった小部屋リングと風呂リングの出番である。


 フィノが土魔法で平地を作っているところを覗いた住民は驚きの声を漏らす。わざわざ紹介はしなかったが、ロッドを展開した瞬間はざわめきが上がったものだ。


「あなたは魔法士だったのですか!?」

 冷静だったクオフも上ずった声を上げる。

「恥ずかしながらフィノはそうなのですぅ」

「恥じる事なんて欠片もないわ。私が知る中で、あなたは最高の魔法士よ」

 狐獣人も深呼吸を一つ。

「失礼しました。つい動揺してしまいました。狭い世界しか知らない愚か者を許してください」

「気にしてませんよぅ。慣れていますからぁ」

「それが最も恥ずべき行為なのです。同胞を代表してお詫びさせてください」

 非常に気真面目な性分らしい。


(騙しの代名詞みたいに使われる狐がこんなに真面目とか面白いなぁ)

 当然、狐の獣人だとて様々だろう。一括りに考えるのが、彼の言う愚かな行為だ。


 逆に彼がそういう性分だからこそ、住民達は付いていこうと考えたのだと思える。


   ◇      ◇      ◇


「見て見てー!」

 遊び始めて子供達は色々なものを見せてくれるが、やはりこれが一番多い。

「蛙ね? やっぱりこの辺にはいっぱいいるの?」

「うん、いっぱーい!」

「でしょうねぇ」


 郷の下には張り水という広大な水場がある。周囲は広大な広葉樹の森。雨が多く湿気に満ちていれば、虫も多い。蛙の生育環境としては最適と言っていい。


「これだけじめじめしているところが多ければ蛙も多いわよねぇ~? たぶん誰かさんが大嫌いなあれも多いわよね~?」

 チャムの揶揄を受けた青年は余裕の表情を見せる。

「ふっふっふ~。知らないの、チャム? 蛙は奴を食べてくれるんだよ? これだけ蛙が居るって事は奴も少ないって意味なのさ」

「え? た、食べるの?」

「本当ですかぁ!? 嘘ですよぉ!」

 思わぬ反論が降り掛かってくる。

「何が問題?」

「「……」」

 キョトンとするカイには沈黙が返ってきた。

「え~、蛙嫌い~? 美味しいのに~」

「ええ、美味しいわ…」

「あれ? もしかして蛙は何ともないのに、奴を食べた蛙を食べるのは嫌なんだ~?」

 ニヤニヤ笑いで青年はチャム達を見る。

「見るとか触るくらいまでは平気ですけど、食べるのは無理ですよぅ、ナメクジさん!」

「うっ、せっかくぼかしていたのに言ってしまったね?」

「そうよ。想像しちゃうじゃない!」

 失敗を悟ったフィノは垂れた犬耳を押さえて「ごめんなさいですぅ」と謝る。


 森の生活では蛙も重要な蛋白源だろう。

 そればかり食べる事はなくとも少なからず口にするし、そういった地方を旅すれば当然の如く食卓に上ってくる。獣人郷出身のフィノは当たり前に口にしていただろうし、チャムも食への忌避感は感じた事はない。当のカイでさえ、異世界ではもちろん、日本でも幾度か食べた経験を持つ。知らないとすれば、トゥリオくらいだろうか?


「大丈夫、大丈夫。別に蛙が奴で出来ている訳じゃないんだからさ。血肉になってるだけ」

 軽く脅すように言うカイに、チャムは「意地悪」と頬を膨らませる。

「じゃあ、これはー!」

「これも美味しいよー」

 子供達は逆に愉快になって色々と集めてくる。

「ああ、それも美味しいね?」

「げ! お前、蛇も食うのかよ!」

「食べるでしょ? 蛙より味に深みがあるよ?」

 顔を顰めるトゥリオに平然と答える。

「食べるわよねぇ、蛇。そもそも亀と同じようなものじゃない?」

「はい、蛇は美味しいし力も付くし、良いですよぉ?」

「マジですか?」


 トゥリオは仲間達の悪食に慄いていた。



※本日は三話更新です。引き続きお楽しみください。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る