首座アメリーナ

 通常なら司教以上の位に在らねば入れない区画。ディムザはそこへ歩を進めるが誰も咎め立てはしない。ただ、副官のマンバスは客室に留め置かれていた。それもいつもの事なのでマンバスも不平はない。

 時折り擦れ違う聖職者は彼に道を開け控えるが、相手が第三皇子と知っていても会釈を送るに留めている。それを不敬だとは問わない。彼らは帝国そのものとは別の社会の住人なのである。


 ジギリスタ教会の最奥部には、神聖騎士の守る精緻な装飾を施された扉がある。

 その向こう側へ立ち入れるのは、そこ・・属する・・・者と皇帝の血族だけとされている。ディムザ自身は幾度も出入りしているし、こうして呼びつけられる事も少なくない。


 守護騎士も当然属する者で構成されているので、第三皇子の姿を見れば場所を空けうやうやしく扉を開いて迎えた。

 そこには地下へ続く長い長い階段が作られている。魔法の明かりがふんだんに用いられて照らされている階段は幅も広く、地下へ向かっていても坑道という印象はない。

 危うげもなく降りた階段の先には彫刻の施されたアーチ門があり、そこをくぐると広大な空間が広がっている。しかし、そこに空虚感など欠片もない。空間を圧するように建築された大聖堂がその威容を表しているからだ。


 その大聖堂は、所属する者達から『聖宮せいきゅう』と呼ばれていた。

 玄関口の大扉は魔法文字の細かな彫刻で彩られており、宗教的な風情を漂わせている。そこにも立哨している神聖騎士は誰何する事もなく、第三皇子に扉を開けて待ち構えている。

 大扉を通過すると、再び奥に向けた長い廊下が続く。そこは色彩の坩堝るつぼであった。

 壁面にも天井にも神話を基にした絵画が写実的に描かれている。色とりどりの塗料で表現されたそれらは荘厳な雰囲気を漂わせていて、通行する者を圧倒するような空気感を醸し出していた。

 しかし、青を基調とした煌びやかなサーコートに身を包んだディムザは、雰囲気に飲まれるような事もなく、粛々と歩いていく。


(この御大層なものを作り上げるのにどれだけの金が注ぎ込まれたのやら)

 彼はいつもそんな皮肉を思いながら歩を進めているのだった。


 最も奥まった部屋には、玉座のような段までは設えられていないが、豪奢な一脚の椅子が鎮座している。そして、その主もそこにゆったりと腰掛けていた。

 ディムザは進み出ると、その前に跪いた・・・


「お召しにより参上いたしました」

 椅子の人物に対して礼は取るが美辞麗句を並べ立てる事はしない。それは腹蔵を抱えていると示している訳ではなく、幼き頃よりの一貫した姿勢を表している。風下に立つ意はない、と。

「遅かったのぅ、ディムザ。待ち侘びたぞよ?」

 対等を望む彼の姿勢を嫌っている風はなく、むしろ好ましく思っているのかも知れない。

 その老婆は微笑を湛えて迎える。

「ご挨拶が遅れた事はお詫びいたします。首座様、この度は如何ような御用向きであられましょうか?」

「そう急くな。久しくあろう? ゆるりと語ろうぞ」

 彼女はそう語り掛けてきた。


『首座』と呼び掛けられた老婆の名はアメリーナ・ユークトス。

 元は子爵令嬢であったが、聖職に身を転じてからは貴族位は捨て名だけを残すのみである。

 幼くして魔法士として極めて高き才を示した彼女は、ジギリスタ教会に属すると形ばかりの司祭の期間を経て司教の位に就く。更に神託受容者の素質まで示すと、その位階を駆け上っていき、三十代にして枢機卿にまで上り詰めた。


 しかし、アメリーナが教皇の位を望む事はないし、枢機卿の位も形式上のものである。

 なぜなら彼女はジギリスタ教会の秘密組織『神至会ジギア・ラナン』の頂点、首座に就いたからである。



 神至会ジギア・ラナン

 それは一部のジギリスタ教会聖職者が、魔法を極める事で神へと至る道を志し、作り出した組織だ。

 その活動から、数多くの強力な魔法を生み出し、ロードナック帝国の覇道の歴史に貢献してきた。そして、国政に対しても大きな発言権を持つに至ったのである。

 地下組織として、皇帝とともに帝国の舵取りを担う組織にまでなっているが、その存在を知る者は決して多くはない。



「そう申されましても、こう見えて俺も結構忙しい身の上なのですよ?」

 畏まって一人称を改めもしないディムザに、アメリーナはころころと笑う。

「そうまでして玉座を望まずとも、われの言う通りにしておけば帝位はくれてやろうと申しているではないか?」

「首座様にはご理解いただけないかもしれませんが、戦って勝ち取ってこそ価値観を見出せるものもあるのです。それが男という生き物なのですよ?」

「憐れよのぅ。もがく姿も愛おしいがな」

 孫を見るような目で窺ってくるアメリーナに、第三皇子は苦笑を返す。

「正直、難しい局面を迎えております。どうかご理解のほどを」

「そのまま進めよ。ならば吾が道を拓いてやろう」


 拡大政策は神至会ジギア・ラナンが強く推し進めている政策である。それはひとえにより高度でより強力な魔法を求めての事だ。

 世界各地には遺跡が残っている。そこには冒険者ギルドがほぼ独占している冒険者徽章書換装置に付属する情報通信装置を例に挙げられるように、極めて高度な魔法技術が眠ってっているのだ。

 数多くの遺跡を探索すれば、更により高度な魔法技術を取得でき、それは帝国の覇道に大きく貢献出来るという論調で国政に働きかけて来ていた。

 昨今、緩みがちな拡大傾向に不満を表しているのは、停滞感から来るものだと思われる。


「相手のある事です。首座様が思い描くほど単純ではありません」

 諫めるような言にも、鷹揚に応じる。

「難しい話でもなかろう? 道は示されたのじゃ。信託は下され、吾はそなたらに命じたはずよの? 魔闘拳士を吾に差し出せ。さすれば御神に至る道は開かれる。御神の御業の前に敵する者なぞこの世にはおらぬ。世界は帝国のものとなろうぞ?」


(だから、その魔闘拳士が神ほふる者とされたんだろう?)

 ディムザは心の中で溜息を吐く。

(神の御業を得る為に、その神に打ち勝てる者を捕えろというのは本末転倒も良いところじゃないか。そんな力があれば別に神の業なんか必要ない)

 この道理が理解出来ないらしい。

 どうやら人である魔闘拳士は神とは違い、人の手でどうにかなるものと考えているようだ。神を別格であるとし、人と分けて考える意識が目を曇らせているのだろうと彼は思う。

(そもそも『触れるべからず』の意味が分からないのか?「関わるな」って事だぞ? 積極的に関わるどころか、敵に回してどうする)

 苦い感情が胸の奥で広がる。


「そなたにも分かろう? 御神へ至る扉こそ開かれなかったが、手に入れた神使の血ナトロエンは我らに多くのものをもたらしてくれた。神屠る者まとうけんしを手に入れれば、確実に御神の扉は開かれる。その時、そなたは覇者で在りたくはないか?」

 甘言を囁く。

 魔闘拳士カイ・ルドウをアメリーナの前に差し出せた者をこそ、次代の皇帝として推挙すると言っているのだ。彼女の発言権を鑑みれば事実なのだろうが、その前提が難題に過ぎる。

「分かってはいるのですが、俺にもいささか荷が勝つのですよ? 適うならば今しばらくはお時間を頂戴したいのですが、待ってもらえませんか?」

「よかろう。ようやく道は見えたのじゃ。積年の苦労も忍ばれよう」


(気楽に言ってくれるな。こっちの気も知らずに)


 ディムザは思いを面に表すような間抜けはしない。

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