暗黒点セルヘンベルテ
目に見える濃密な気配にトゥリオとフィノは戸惑いを感じる。
カイはこの状況を想定内としていたようだが、彼らにはそういう意識はなかったのだ。
魔王を滅ぼせば魔人も消える。その理由までは解明されていないが、そういうものだという意識はしっかりと植え付けられている。それは絵本であったり伝承であったりするにしても、子供の頃より触れてきた常識だから。
しかし、それは揺るがされている。魔王出現点が禁域とされていたのは象徴的な話ではなく、現実に見られたくない状況だったのは一目瞭然だった。
「この状態を各教会は把握している?」
参ったとばかりに頭の後ろに手をやりながら黒髪の青年は問う。
「しているわ、少なくとも上層部は。魔王の残滓というのが共通見解みたいよ」
「でも、これは…」
軽く震えを覚えつつフィノも疑問を口にする。
「人間に…、いえ生物にどんな影響を及ぼすか分からないから禁域に指定しているの。中にはこれに迷い込んだ獣が魔獣化して、それが感染して拡大しているなんて主張する教会の人もいるみたい」
「解らん話じゃねえが、こいつを放置していい理由にはなってねえんじゃねえか?」
「ないわね。でも解消する方法を持ち得ないなら仕方ないんじゃないかしら?」
そう言われると返す言葉は見当たらない。
変に不安を煽るよりは、単に象徴的な禁域とするのは民心の平穏の為の措置だと言われれば納得出来る。
(でも…、だとすればあの感触は?)
カイの意識にはとある疑問が上っている。
その神殿跡はセルヘンベルテと呼ばれている。近くにその名の村があったからだそうだが、当然真っ先に壊滅しており、他の禁域との差別化の為に名付けられていた。
そして簡易の街道図にさえ侵入を禁じるように黒く塗り潰されて描かれる事から、魔王出現箇所の禁域は暗黒点と呼ばれる。結果として、この地点は暗黒点セルヘンベルテとなっているのだ。
「ここを正常化する術は無いのでしょうかぁ? 主街道からは外れているとは言え、見放された土地という印象は、周辺から人を遠ざけてしまっている気がしますぅ」
好奇心からか、禁域に踏み入れることにフィノは躊躇いは感じなかったようだが、周囲を満たす空虚な感覚が心を痛ませているらしい。
「ルキド山は、魔獣や動物の楽園になっていそうだけどね?」
「比較的魔獣の多いコウトギも近いし、それも不思議な話じゃないわね?」
「だがよ、もう何百
真っ当な論調におののく三人を見て、美丈夫は「手前ぇら!」と眉を吊り上げる。
「まあ、僕は専門家じゃないから分からないんだけど、聖属性の使えるチャムなら浄化魔法の一つやふたつは有るんじゃないかと思っているんだけど?」
どうやらカイは調査とは別に、そういう意図もあって出向いてきたようだ。
「…もう! そういう言い方されたらしらを切る訳にいかないじゃないのよ」
「あー…、有っちゃうんですねぇ」
意地の悪い言い方をすると思っていたら、当人も認めて犬耳娘は苦笑する。
「ただ、私の魔力でもかなり限定した範囲魔法になっちゃうのよ」
「それはまたずいぶん効率の悪い魔法だね?」
「そうよ。記述は冗談みたいに長いし、その分魔力消費量も跳ね上がっているの。効果を考えたら範囲絞らないと」
これは確かに難問である。
魔石による魔力補充手段があるのは間違いない。だが、幾らカイやフィノの魔力容量が高かろうが、直接チャムに補充するのは不可能なのだ。
それをやると受け入れ側が、相手の固有波長の魔力に酔ってしまう。魔力の抜けていない魔獣の生肉を食べた時に罹る魔力酔いと同じ状態になるのだ。
では、なぜ魔石に充填した魔力はそのまま取り込めるのか?
それは魔石の一定した水晶の厚さで魔力波長が変調し、均質な純魔力となった結果、他人でも補充用魔力として使用可能になるのである。
「じゃあ、書き留める?」
チャムが提案してくる。
「文字構成を読めば、あなたなら魔法陣化出来るんじゃないの?」
「それは無理」
「え? どうして?」
心底不思議そうな顔をする。
「長いって言っても、紙に起こして束になるほどじゃないわよ?」
「ううん、実際にはものすごい文字数になるよ。君は大きな勘違いをしている」
「分からないわ。私の魔法の事なのよ?」
おかしな事を言われていると思うのに、分析力で劣るが故に自信が持てないでいるようだ。
「たぶん、フィノのほうが僕が言っている事が理解出来ていると思う」
「そうなの?」
「…はい」
彼女は申し訳なさそうに肯定した。
フィノは以前よりチャムの魔法が奇妙だと思っていたらしい。具体的に言うと全然
例えば彼女の
打ち明けてくれなかったフィノに麗人は責めるような視線を向けるが、その間に青年が手を差し入れる。
「実際に光述している訳ではない人には知り得ない秘密があると思っても不思議じゃないからね?」
「じゃあ、その秘密を明かしてくれるんでしょうね?」
不満げに鼻息を一つ吐くとチャムは彼に流し目を送る。
「うん、実験しよう。フィノの協力は不可欠だよ」
例に挙げた
その二の腕には犬耳娘の手が触れていた。構成の接触感知である。
普通に考えればチャムは構成を筆記しているのだから、腕を魔力パルスが流れる事はないはず。なのに、彼女ははっきりと魔法構成パルスを感じていた。
「予想的中、だね?」
無言で頷くフィノの様子を見て、カイはそう告げる。
「何で?」
「元からそういう風に発展した魔法なんだよ」
自分が解らなくなったように手を見つめるチャム。
「おそらく君の教材は刻印のようなものじゃなかったかな?」
「どうしてそれを!?」
「やっぱりね」
子供の頃にチャムの学んだ教材は金属板に刻まれた刻印記述。それを覚えるように、何度も何度も擦り切れるのではないかというくらいになぞった。
段階が進めば、より実践的に魔力を込めた指でなぞる。輝線が金属板の上に描かれて、同じ形をとる。それをまた、幾度も幾度も繰り返す。時を忘れるほどに。
「それが光術魔法の習得法なのさ」
別に彼女の間違いではないというように頷いて見せる。
「それは普通の刻印じゃなくて、魔法文字で描かれた魔法文字だったんだよ。君はそれを何度もなぞって、頭に刷り込んでいった。そして今、文節を描いただけでそこに構成を乗せられるようになった」
彼女が何をやっているのかというのを表すかのように、カイは指を宙に彷徨わせた。
「君が光述しているのは、魔法文字で構成された図形なんだよ」
「…そうだったのね」
チャムは大きく息を吐いた。
それが理由でカイは魔法陣を描けないという。
不可能なのではない。その膨大な文字数の記述構成を魔法陣に構築して機能するように組み上げるには、
押し黙っていた麗人も、諦めたように肩を竦めると笑みを戻す。
「じゃあ、私の構成を読んであなたが使ってよ」
「はい? 僕にそれが出来ると思う? 聖属性みたいに思いっきり抽象的な概念を僕が編めるとでも?」
「そうよね」
悪戯げな目で見られたカイは「意地悪だなぁ」と零した。
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