隠剣マークナード
長兄と違って、この次兄は邸宅の奥の自室に籠っているか、帝宮にいるかのどちらかである。行き会ったとしても全く変な話ではない。
逆に戦場で姿を見るような事があれば何事かと問い詰めたくなるほどだ。まあ、そんな事態はまず無いだろうし、それを指図出来るのは父である皇帝その人以外に考えられない。
だから帝宮で擦れ違うのは普通のことなのだが、頻度を考えれば珍しいと言える。ただしその様子はまさにいつも通りでもあった。
背中まで伸ばした波打つ黒髪を持つひょろりとした長身は、二十名に届こうかという男女に囲まれたままゆるゆると歩んでいる。取り巻いている彼らは亡国の高官や将達。
従う男女はマークナードに敬意を含んだ目を向ける。敵方であった自分達を重用する次兄に度量を感じているのだろう。
だが、彼らはこういった移動中は、男女比が偏っている理由に気付いていない。
策謀家であるがゆえにその異名を持つ
つまり彼らは凶刃から第二皇子を守る為の替えの利く鎧であり、斬り飛ばされようが磨り潰されようが痛みを感じない手足なのである。敬意を向けているからこそ失われた者は力足らずと感じているようで、捨て駒にされているという意識は無いらしい。
それはおそらくマークナードの人心操作術の賜物なのだろうが、ディムザにとれば唾棄の対象でしかない。わざわざ伝えたりはしないまでも、心の中では軽侮の目で見ていた。
「ディムザか。どうした? 度重なる失策の言い訳にでも来たのか?」
この次兄がそういう物言いを彼に向けてくるのは日常茶飯事である。あまり芸がないと思うが指摘してやるほどマークナードを好いてはいない。
「いえ、陛下のお召しではありますが、お叱りではなく魔闘拳士への今後の対応のお話のようです。俺からも幾つかご忠言したい事もありますし、上がった次第です」
「ふっ、確かに二度も出し抜かれたとは言え、最も縁の深いのは君だ。多少は役に立つとでも思っておられるのだろう。陛下の御恩情に感謝するといい」
「なるほど。ご存知でしたら兄者には学んで欲しかったですね? 厄介な相手だと。それであればラムレキアでの失策も無く、西部の現状もあり得なかったものを」
強烈な皮肉に取り巻きが気色ばむ。
「あれは現地のギアデめが能力も足らないというのにご支援を拒んだからのこと! 決してマークナード殿下の策が破られた訳では!」
「何も知らないと思っているか? あれは泳がされていただけだ。既に王妃の網に掛かっているとも知らずに、事を起こしたからこそ全てが裏目に働いたんじゃないか」
「ぐっ…」
抗弁が続かない。
確かに十分に準備がされていたから、優勢だった盤をぐるりと引っ繰り返されてしまったと理解している。
「まあ、そう憤るな」
「申し訳ございません、マークナード様」
「ディムザが二敗を喫し、私も敗れた事で魔闘拳士の実力のほどは見えてきたところだろう? 次に仕留めれば最数的には我らの勝利なのだ。驕り昂る敵の足元をすくうのはそう難しくはあるまい?」
諫めて取りなす事で余裕を見せようとする
(出来もしない事をいけしゃあしゃあと。もう見失っている癖に)
侮蔑の思いをおくびにも出さずに
「ですが、残念ながら兄者は罠にかけるべき相手が見えていらっしゃらないではないですか?」
落ち着きを取り戻した取り巻きの中で笑みさえ浮かべていた次兄の表情が固まる。
「何を言い出す?」
「ですから、追跡しようにもホルムトの目も手も失ったでしょう? ザウバは女狐の手でいつも綺麗に掃除されてしまっている。その先が見えていないのは、俺と一緒の筈ですが?」
「ぬうぅ…。お前、なぜそれを知っている?」
ホルムトに置いている
それは中隔地方やジャルファンダル動乱時に、彼に付けた紐がことごとく切り離されていたのに起因している。その為に、発見したらそれを伝えるとともに距離を置くようにディムザによって厳命されていたからだ。
なので、メルクトゥー女王クエンタのホルムト来訪の報を彼が知ったのはかなり後の事だが、目自体はグラウドやカイの粛清の手から逃れていた。
だから巡察団の出発を遠く見送りもしていたし、城壁内に帝国諜報部の手も
それは幾度も煮え湯を飲まされていたからこそ出来る対応であり、マークナードには考えもつかなかった事だろう。
「メルクトゥー女王が無事に旅立ったという事は、兄者は仕損じたという事でしょう? 人の事を笑える立場ではないのをお忘れなきよう」
ディムザは挑戦的な目で睨み付ける。
「陛下にも伝え辛いでしょうから、俺のほうから伝えて差し上げますよ」
「ま、待て!」
帝国諜報部も丸ごと粛清された以上、次兄の失策も皇帝には伝わっていない。今、ホルムトはぽっかりと情報の欠けた場所になっている。それを良い事に、彼は揉み消すつもりだったらしい。
「おや、差し出口でしたか? では黙っている事としましょうか?」
「余計な事は言わないでいい」
「そうだな。妙な雑音が入って心穏やかでいられなくなればうっかり漏らしてしまう事もあるでしょうが、嫌味など耳に入らず平穏でいられる限りは口が滑ったりはしないと思います」
すまし顔で毒を含ませる。
「…もういい。行け」
「久しぶりの会話は楽しかったですよ、兄者」
「ふん!」
鼻息一つ吐くとマークナードは歩き始め、取り巻きも追随する。
擦れ違い様に罵詈雑言を投げ掛けてくる者もいるが、周りに窘められている。
「あれでは宮廷の受けも悪いでしょうな?」
ちらりと振り返ってマンバスが皮肉る。
「数に任せれば良いってもんじゃないさ。ただの盾にも口は付いているからな」
「これは手厳しい」
彼の腹心は失笑しつつ返してくる。
「本当に信用できる者が一人ふたり付いているくらいが丁度いい。お前は良くやってくれている」
「もったいないお言葉にございます、殿下」
邪魔が多かったが、二人はようやく皇帝の居室に足を向けられるのだった。
◇ ◇ ◇
標高
折り重なる針葉樹林のその奥に異様な気配の元はあった。
「あれが暗黒点かぁ」
そこは或る時代より禁域とされる場所。
暗黒時代の幕開けとなった魔王の神殿があったところである。
彼らも以前別の場所で見た事のある黒き神殿が置かれていた筈である。
勇者一行の手で魔人の軍団と魔王が討滅されたのち、奇禍を怖れた軍勢の手によって完膚なきまでに破壊された神殿は、その土台を残すのみとなっていた。
四十
そして今も濃密な魔の気配が残滓のように漂っていると感じた。
「あなたの理屈だと、ここはまだ
チャムにとっては相当厳しい環境なのだろう。彼女はひどく眉を歪めている。
「あくまで推論だったんだけど、この様子を見れば否定は難しいんじゃないかな?」
カイの言う通り、そこにはまだ黒い粒子がそこかしこに漂っていた。
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