世界の特異点

帝都の刃主

 冷たい石造りの廊下を進む。

 行き交う者はまばらだが、彼の姿に気付けば皆が深く腰を折ったまま通り過ぎるのを待っていた。


「いつ来ても辛気臭い場所だな」

 舌打ちとともにそんな言葉が口を吐く。

「御慎みください、ディムザ殿下」

 彼の後ろに続く男が真摯な顔で諫言する。


 それも致し方あるまい。そこは帝宮、畏まっている者一人ひとりが、誰の息がかかっているかなど見分けもつかない。

 敵手の配下が図り、皇帝の耳に入れようと考えたとしても変な話ではないのだ。そうなれば癇性を浴びるのは千兵長マンバスのあるじになるかもしれないのだ。


 マンバス・ダルバン騎士爵は軍籍を持っているが、帝国第三皇子ディムザ・ロードナックの腹心である。

 階級的には上に将格の者が多々在っても、その命令に従う必要は免除されている。それどころか他の皇子の命にも従わなくていい。彼に命令出来るのは、ディムザを除けば皇帝その人だけである。


 これは帝位継承争いに於いて、その実力を見極める為に皇子に認められている特権の一つになる。

 千には満たない兵力と、それを統べる指揮官を直下に置いても良いとされている。ディムザは三百の精鋭部隊と、各地に散らせた六百余名の諜報部隊を抱えていた。

 第一皇子『剛腕』ホルジアは諜報部門を僅か百に絞り、九百の兵を率いて戦場に在る事が多い。

 第二皇子『隠剣おんけん』マークナードはその全てを諜報工作部隊として世界中に散らせているらしい。その実態は皇帝本人さえも把握していないと言うのだから徹底している。ごく最近に大きく失われる事態に襲われたようだが、すぐに補充されるだろう。

 目が届かないのを良いことに、おそらく彼は千では利かない数を動かしていると二人は睨んでいた。


「例の件は本当か?」

 ディムザの青緑の瞳が向けられないまま尋ねられた。

「はっ、事実だと聞いております。魔闘拳士はホルムトで確認されたと」

「いったい何なんだ、奴は? 神出鬼没にもほどがあるだろ?」

 その情報は諜報部から直接仕入れたもので、信憑性は高い。疑うべくはないのだが、どうにも辻褄が合わない。


 ラムレキアで隠剣おんけんが進めていた謀略が破られた情報は掴んでいる。それに魔闘拳士が絡んでいたのも知っている。

 なのに、あの黒瞳の英雄はいきなり西方に姿を見せたというのだ。海路ジャルファンダルを経由して中隔地方を南下したにしても、その間のディムザの網に欠片も掛かっていないのはおかしい。

 そもそも時間的にも明らかに計算が合わない。


「やはり、あれ・・を使っているとしか思えません」

 帝国はその移動手段の情報を掴んでいる。

「神使の転移穴、か?」

「左様にございます」

 二人はその可能性を以前より疑っていた。


 謎の民『神使の一族』が、世界各地に移動する技術を持っているのは古くから語り草になっている。各国の首脳陣なら確実に把握している情報だ。

 だが、その内容に関してはどこの国も把握していなかった。


 しかし、帝国は密かにその方法に触れていた。

 得られた情報から、とある山中で特殊な魔法錠の施された扉を持つ土山を発見している。扉の解錠は困難を極め、結局横合いから掘削して内部を調査しようとした。

 すると、その転移穴と名付けられた土山は自壊した。そういう自衛魔法記述が刻印されていたらしく、何もかもが土に還ってしまう。幾ら掘り起こしても何も出てこず、一つの情報も得られなかった。

 ただ、そのような土山が各地に存在するのであろうという事実が得られただけに終わった。


 その事実を知っていた彼らは、早い内から魔闘拳士一行が転移穴を使用しているのではないかと疑念を持っていた。

 ホルムトで勇者と試合をした魔闘拳士が、帝国南西部でその足取りを掴むに至るに、時間的に困難な旅程である上、どの港でもその姿が確認されていないと調査結果を得ている。あれほどに目立つ一行が、全く目撃されずに上陸出来るとは思えない。

 結果として、神使の転移穴の使用がその予想線上に浮かんだのだ。


「だがなぁ、『神ほふる者』だぞ?」

 或る意味、それが彼らにとって一番予想外だったのだ。

「はい、魔闘拳士の後ろに神使の一族がいる可能性は無くなりました」

「余計悪い。もう想像の埒外だ」

 カイが神使の一族の意図で、ひいては神意を受けて行動しているのではないかという二人の予想は覆されてしまった。

「奴が神々の味方なんだか敵なんだか全然分からなくなってしまったんだぞ? いや、そもそも何者なんだ?」

「ホルムトでの情報は全て噂話の域を出ないものでした。私にも何とも…」


 あれほどの武威を誇る者なら、何らかの痕跡を追えるものだ。

 ところが見た目通りと考えて東方各地の徒手武芸者一門を探らせても、西方の武芸者一門を探らせても何も出てこない。

 出自どころか、まるで十九前のホルムトに忽然と現れたかのようにそれ以前が掴めない。彼らは頭を抱えるしかない状態だった。


「それでも命拾いしたのも事実です。ご慧眼でございました」

 そう告げるとディムザはやっと苦笑いの顔を腹心に向けてきた。

「たまたまさ。あまり俺の勘に頼るなよ? 確かなもんだぞ?」

「ご謙遜を」


 実は、マンバスはあるじに一つの献策をしていた。

 もし、魔闘拳士が神使の転移穴を使用しているのだとしたら、無理をしてでも情報を引き出すべきだと主張した。

 具体的には、魔闘拳士一行の盾士の男トゥリオ・デクトラントをディムザが呼び出し、そのまま拉致して精神操作魔法士の魔法で転移穴の秘密を聞き出す作戦である。当然相手は警戒してくるだろうが、ウィーダスの酒場での一件を見れば分かるように、彼一人を秘密裏に呼び出すのも難しくはないと考えていた。

 露見すれば反発はあるとしても、拉致してしまえばあとはどうとでもなるとマンバスは考えたのだ。しかし、それは大間違いだった。

 それをやれば、魔闘拳士は完全に彼らを敵視し、何をし始めるか分からない。託宣で『神屠る者』とまでされた相手を本気で怒らせれば、何が起きるのか予想だに出来ないからだ。


「ともあれ、分かったんならその線は捨てろよ?」

 ディムザは言い聞かせるように指図してくる。

「仰せのままに。もう直接の手出しは避けるべきだと理解いたしました」

「奴らの事は俺に任せろ。何か考える」

「はっ」

 マンバスも分かっている。本当に偶然だったのだ。


 ディムザは権力争いにあの大男を巻き込みたくないと思っている。そうでなければ躊躇いも無くマンバスの献策に乗っただろう。あるじも指揮官としてそれくらいの冷淡さは持ち合わせている。

 根底に、青臭い感情が混じっているとも理解している。それでも彼を軽視したりはしない。むしろ人間としては好ましいと思う。

 上に仰ぐ者に道徳心が欠けていれば、下はずっと怯えていなければならない。だが、情が感じられれば安心して忠を捧げられる。余程でなければ見捨てられはしないと思いたいのだ。


「言っては何だが愉快じゃないか」

 ディムザの顔には意地の悪い笑みがある。

「ラムレキアとホルムト。隠剣おんけんは二つの失敗をやらかした。もうネチネチ言ってくる事は出来ないぜ?」

「おそらくは」

 マークナードは、ディムザのメルクトゥー絡みとジャルファンダルの失策をせせら笑った。

 その顔は、策略家として自分のほうが上だと確信したかのようだった。そんな顔は出来なくなったろう。

「あとはホルジア様ですか?」

「あれは猪武者だ。機を見て魔闘拳士やつをぶつければ潰してくれるさ」

「お人が悪い」


 マンバスは、自分もあるじと同じ笑い方をしているだろうと思った。

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