本当の力
そこは王宮の裏の果樹園。
幼き
なぜセイナを始めとしたホルツレイン使節や女王を中心としたメルクトゥーの面々が揃っているかと言うと、お見送りの為である。
ティムルもそろそろ両親の下へ戻らなければならない。彼は皆にお別れを告げていた。
「いつでもおいで。あまり切迫した状況でなければ歓迎するよ」
カイに撫でられると嬉しげに見上げる。
「またあそぶのー。ひがしにくるならいつでもあえるのー」
「ほどほどにね? お母さんを寂しがらせてはいけないよ。お父さんにもよろしく言っておいてね?」
「うん、こんどはととさまといっしょにいくー」
青年の頬は引き攣る。
「それはちょっと困るかな」
金の王と懇意にしているところを見られると、またぞろ変な二つ名が増えそうだ。
ティムルの周りを風が巻くと、彼は竜身に戻っていた。
その姿に、カイ達を除いた一同は思わず一歩下がる。その威容から放たれる圧力は、常人には少々厳しい。
「ティムル!」
それでも瞳に涙をいっぱいに溜めたチェインは駆け寄っていき、スレイグも下げられた仔竜の頭に抱き付いた。
三歳児の身長では仔竜の嘴状の口に縋り付いているのが精々なのだが、それでも十分な触れ合いらしい。
「楽しかった! また遊びたいよ!」
「ぼくもたのしかったのー」
「俺の事も忘れないで!」
「わすれたりしないのー」
濡れた頬を、少年達の頭と変わらない大きさの舌が舐める。
「嫌だよ! 行かないで!」
「もっといっぱい遊びたかった!」
別れは済ませたはずの彼らの本音が噴出する。
「テュルムルライゼンテール!」
「好きな時にホルツレイン王宮に遊びに来なさい。兵には、黄色の仔竜は攻撃しないように伝えておきます。チェイニーとスレイの良い友達でいてあげて」
「わかったのー!」
仔竜の尾が打ち振られ、喜びを表していると分かる。
「じゃあ、またなのー」
ティムルは友人達に頭を擦り付けると、翼を大きく広げた。
何らかの魔法が働き身体を浮かせ、物理的にはあり得ない光景が展開されている。
「またねー!」
「きっとだよー!」
「またゆっくりあそぶのー!」
仔竜は翼を打ち振るい徐々に高度を上げると、ひと声かけてから隔絶山脈の彼方へと飛び去っていった。
チェインはセイナ、スレイグはタニアに縋って大声で泣いている。
幼児達には本当に勉強になっただろうと思う。半ば伝説のような存在であるドラゴンが、実は本当に心優しく親しくなれる存在であると知れたのだから。
本当は強大な力の持ち主でも、彼らにとっては友以外の何者でもないのだ。お互いがかけがえのない存在になれたのは、情操の成長過程においてもまたとない経験だったのは否めない。
将来が楽しみに思える出来事だった。
◇ ◇ ◇
「さて、僕達も行くとしますか?」
随行のルドウ基金職員は今しばらくザウバに滞在し、カイと調査して回った敷地に建設予定の託児孤児院の経過を監督する事になっている。その後は現地雇用の職員の採用面接などがあり、忙しい事この上ない。
セイナとともにホルムトに戻るのは半数ほどで、残りはそれらの職務に就く。彼らの扱いもシャリアに頼んであるので心配はいらないだろう。
「例の件、考えさせていただきますので」
その宰相が話し掛けてくる。
「面白いでしょう? 受け入れられるかどうかは分かりませんが」
「十分に考慮すべき事項です。一筋縄ではいかないでしょうが」
カイがシャリアに囁いたのは、メルクトゥーの今後の事だ。
王国の復興、新街道の開通、そして流通の拠点となっていくメルクトゥーは、ますます栄えていく事だろう。そうなれば、在位中にもクエンタが中興の祖と呼ばれるのも十分にあり得ることだ。
その余勢を駆ってなら成し得る法を、青年は一つ提案した。
この王国を基本的に恒久女王制にする国法を設ける提案だ。突飛に思えて、今なら可能だと思わせるその提案をシャリアは物静かに受け入れた。
「お互いに厳しい状況ではありましょうが、ご相談させてください」
宰相の会釈にカイは微笑み返す。
「僕も時には頼らせてもらいます。持ちつ持たれつでいきましょう?」
「感謝します」
それは心理的な負債にならないようにという気遣い。
「お幸せにですぅ」
ここまできて別れるなど許さないという目だ。そんなつもりは毛頭ないとは言え、このプレッシャーは責任の重さを感じさせる。
「はい、ありがとうございます…」
「せ、世話になった。期待に応えるよ…」
控え目だと思っていた彼女の本当の怖ろしさをクエンタとラシュアンは味わっていた。
「戻ったらまた飲みに行こうぜ」
それに「おうよ!」と答えるオーリーの横ではセイナが畏まっている。
「カイ兄様。お気をつけていってらっしゃいませ」
「うん、ありがとう。君も身体に気を付けて。あまり根を詰めちゃいけないよ」
祖国の為に、そして彼への敬愛を表す為に頑張る王女の額にキスを送る。堪え切れず潤んだ瞳を拭い、カイは手を離した。
チェインは見上げる。
あの晩餐会の夜、この黒髪の青年は見た事もない姿を見せた。
あれは圧倒的な強者。紛う事無き英雄の姿だ。
幼き身に備えた自分の力など
憧れのような感情が湧き上がって手を伸ばす。彼はその手をしっかりと取って頷いてきた。
(分かったね?)
そう訊ねられていると思い、チェインは大きく頷く。
見守るような笑顔に応えたいと思う。いつか青年が彼の努力を褒めてくれる
きっとそれが一番の近道なのだ。
◇ ◇ ◇
「本当にあそこで宜しいのでしょうか?」
クエンタの疑問は当然だ。
彼らに頼まれたのは、隔絶山脈へ続く裏木戸の解錠である。
「あら? それはあなたが一番よく知っているのではなくて?」
「……」
近付いた青髪の美貌が囁きとともに送ったウインクに女王は息を飲む。
あの
あの裏木戸の先には、どこかへ旅立つ方法が隠されているのだ。
幼い少女の頃ならば好奇心に駆られただろうが、今はただ見送るのだけが自分に出来る事だと分かっている。
クエンタは、その青髪の後姿に深く頭を垂れた。
◇ ◇ ◇
「頑張ってくるにゃ ── !」
獣人騎士団から大きな声が贈られた。
「後の事はマルテに任せれば心配ないにゃ ── !」
そんな事を言われると突っ込まざるを得ない。
「それが一番心配だよっ!」
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