ラシュアン

「マルチガントレット」


 領兵が剣の柄にかけた手に、銀爪が添えられる。

「儀礼剣とは言え子供を前に抜くのでしたら、相応の覚悟はしていただきますよ?」

 黒髪の青年の放つ闘気に当てられ、男の顎は外れたかのように落ち、涙も鼻水も涎も垂れ流している。まるで獰猛な魔獣の咢の中に頭を突っ込んでいる気分なのだろう。もしかしたら軽く失禁もしているかもしれない。


 逆に、闘気を感じ取れない後方にいた魔法士は、身動き取れない領兵達の中でロッドを掲げようとする。

【キイイィィ ──── ン!】

 魔力感知が出来る者は、その頭の奥にまで響くような高周波音に似た感覚に腰が抜けそうになる。見れば、害意を示した魔法士を、ティムルが斬り裂くような視線で見つめていた。


「ひっ! ひいっ!」

 それを直接向けられた魔法士は堪らない。床に腰から落ちると、視線を外せないまま擦り下がろうと必死だ。

「怪物が! 怪物が!」

「大丈夫よ。もう何も出来ないから」

 後ろから肩を抱いたチャムが囁いて落ち着かせようとする。その顔も少し苦痛に歪んでいたが。


「縛を」

 シャリアの指示で衛士が動き、クラファナル侯爵以下の全員を拘束する。

「貴様っ! ここまでして、後悔させてやるぞ!」

「無理ですよ」

 バリーマは縄まで掛けた事を追及する姿勢だが、彼女は取り合わない。


 相手が貴族であれば、よほどの事がない限り詮議も無く拘束まではしない。

 税の横領や不正請求は容疑に過ぎない。王に対する叛意は大罪であるが、それも未然に防がれた以上、詮議が必要だろう。彼はのらりくらりと言い逃れできると考えているらしい。

 だが、シャリアはそれを許すつもりはなかった。


「確かに先に語った罪状は容疑に過ぎません。独自に調査したものです。ですが、貴殿には執行されていない罰があるのですよ?」

 確信のこもった視線にクラファナル侯爵は怯む。

「何の事だか分からんぞ? 証明出来ねば貴様こそが罪に問われるが良いのだな?」

「どうぞご自由に」

 そう言うと彼女は、秘書官から新たな書面を渡される。

「先ほど語った内容は、私が着任前に記録として読んだものです」

「メイゼ侯事件の事ですね?」

「はい」

 時系列からそう悟ったカイの質問に首肯する。

「陛下より宰相職を賜った時より、触れられる記録は膨大な量に増えました。その中に、こんな物もあるのです」

 シャリアは書面を捲ると、バリーマに示す。


 それは捕らえられた領務官の自白調書である。

 彼女はそれの一部を読み上げる。

『横領の手口に関しては指南を受けた人物がいる。それはクラファナル侯爵領より訪れた領務官で、責任の重さの割に薄給の領務官がそれなりの暮らしをするにはその方法しかないと教えられた。どこの領地の領務官も当たり前にやっている事だから真似するといい。そう言われてやった』

 その内容は公的記録にも残されていないものだった。


「代官をそそのかしてまで除きたかったのですか、メイゼ侯爵を?」

 進み出た女宰相は、跪かされているバリーマを見下ろす。

「そ、そんなものは偽証だ! どこにその調書が正しいという証明がある! 実際に公文書として扱われていないではないか!」

「裏付け調査も行われているのです。目撃証言や滞在記録、通行記録などからその人物も割り出されています。ただ、汚点に汚点が重なるのを嫌った国王陛下がそれ以上の追及を不要とされたそうです」

 その視線はもう汚らわしいものを見るほどに温度を失っている。

「貴殿という人は、先々王クランカ様の御温情を知らぬばかりか、それ以降も王国を汚し続けてきました。政治家としては見るべきところがあったので見逃してきましたが、どうやらお終いにすべきのようです」

「ぬううー…、奴めが! あのモズランデめが政治の事にまで嘴を突っ込んで来ねば好きにさせてやっていたものを! 国防に予算を持っていきたいからと領地への配分金の減額案など出さねば!」

「当時は危急の際だったのです。国防を重視しなければ国境線の維持も適いませんでした。貴殿がメイゼ侯を陥れた結果、どれだけの国土が失われ、どれだけの国民がラダルフィーの悪法の下で苦しんだと思っているのです。尋常に裁きを受けなさい」


 後に全てがつまびらかにされ、バリーマ・クラファナル侯爵は極刑に処せられる。

 彼の罪は、税横領及び横領教唆に留まらず、代官と領務官の殺害指示にまで及んでいたからだ。その証言から、公館敷地内の裏手一画で複数人分の人骨が発見された。

 クラファナル侯爵家は取り潰され、横領に関わっていた一族郎党は牢に繋がれた。


 メイゼ侯爵領汚職事件は二十の時を経て、ようやく解決に至ったのである。


 ただ、この話はそれだけで終わらせる訳にはいかなかった。


   ◇      ◇      ◇


 バリーマ以下を衛士が連行していった後の晩餐会場。

 仕事をやり終えたと言わんばかりのシャリアが控えると、クエンタは親衛隊長に向き合う。


「これからラシュアンと呼びます。良いですね?」

 女王が問い掛けると、彼は「御意」と答える。

「あなたは恨んでいますか? わたくしにも流れるこの王家の血を」

「いえ。全く」

「なぜです? 御尊父を見殺しにした者の末裔ですよ?」

 葛藤から、何度も飲み込みそうになった台詞をようやく吐き出す。

 彼女はそんな事を言えば本当に嫌われてしまうかもしれないと怖ろしくて仕方がなかったのだ。

「恨みなど微塵もございません。父は…、本望だったのです」


 ラシュアンがその背中を見ながら育った父親モズランデは実直そのものの人物だった。

 臣下として王家への忠義心を第一とし、配下を思い信頼し、自分に出来得ることは全て王国に捧げると言ってはばからない。そんな男だったと彼は語る。


「だから、配下に裏切られた事よりも、配下が王国を裏切った事のほうが父にとっては衝撃が大きかったのだと思います」

 父親の苦悩を思うように、ラシュアンの顔も歪んだ。

「それでも配下を守りたかった。自分の死で彼らが襟を正してくれればそれで一向に構わなかったのだと思います。そんな人だった」

「それほどの御仁を。申し訳ありません。詫びて済む事ではありませんが、どうか詫びさせてください」

 クエンタの頬を涙が伝う。それが本意ではないというように、慌てた親衛隊長が手を伸ばして拭う。

「父の為に涙まで流していただき、これほどの名誉はないでしょう。きっと魂の海で喜びに震えている事と思います」

 彼女を元気付けるよう、少し冗談めかした言い方をした。


「あの時、私達は何が起こったのかは分かりませんでした。でも、父がそう判断したという事はいち早く逃げ出さねばならないと思ったのです」

 ラシュアンは当時の事を語り出す。

「領地を離れてホリガスの港まで逃げ出したところで噂を耳にしました。ただ、父が嫌疑の果てに自害したと知った母は、付き従ってくれた領兵達を放逐してしまったのです。そのままでは彼らまで害が及ぶと思ったのでしょう」

「立派なお母様だったのですね?」

 彼は頷いて続ける。

「二人っきりになった私達は持ち出した私財を頼りに小さな住まいを得て暮らしました。慎ましやかな暮らしは六続き、私が幼き時より磨いてきた剣の腕で冒険者として稼ぎを得られるようになって母は安心したのだと思います」

「……」

「父の後を追って海に身を投げてしまいました。当時は捨てられたと思いましたが、今ではそれほどまでに父を愛していたのだと分かります」

 再び落ちる涙をクエンタは手巾で押さえる。


 彼女はそれ以上、ラシュアンを苦しめたくなかった。

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