メイゼ侯爵領汚職事件

 それは二十前のこと。

 王都ザウバの南東に広がる領地を有していたメイゼ侯爵は、軍閥貴族の一門として辣腕を振るっていた。


 既にラダルフィー王国が拡大政策への舵を切っており、国境を押し下げようとする動きに対し、国境線全体を睨んで有機的な軍の運用を行い、王国の防壁を担っていた人物である。当時の国王クランカ・メルクトルの信も篤く、王太子アラバルも彼を頼みにしていた。

 そんな中、一件の密告から事件は始まる。


 それは『メイゼ侯爵が税を過少申告して着服している』という疑惑だった。

 半信半疑だったクランカも、宮廷貴族に促されて秘密裏に調査団を送る。すると、それは事実として噴出してしまう。本来納税を求められるべき額と申告された額との間に、認識の差とは到底言えない開きがあったのだ。

 その証拠を提示されたクランカは困り果て、内々に処理出来ないかと直接本人に問い質し、反省を促そうとした。ところが、その席に現れたモズランデ・メイゼ侯爵は証拠書類に目を通すと愕然とした顔を見せていたという。

 それを見たクランカは、猛省していると感じその場を収めたらしい。


 公式な謝罪と改めての納税の機会を与える為にモズランテは王宮での謹慎が命じられる。だが、それが大きな間違いだったと後世に問われる事になった。


 考える時間が欲しいと、副官に退室を求めたメイゼ侯爵。半は待ったものの、いつまでも入室許可が得られなかった副官は大きな声を掛けてから扉を破る。そこには血溜まりに沈むモズランテの姿があった。


 彼は自ら首筋を薙いで、自決して果てていた。

 机上には「全ての責は自分にある。命を以てお詫びとし、他の者を罪に問わぬよう望む」と書き残し。

 王宮には副官の慟哭が響き渡ったという。


 遺言はあったが、これほどの大事となるとそれで終わりとはいかない。調査の王命が下ると、メイゼ侯爵領には徹底的な調査が入る。

 すると、公館には代官の姿も、彼の配下で領地に於ける政務官に当たる領務官の姿も欠片もなく、ただ取り急ぎ逃げ出したような状態の各部屋から、出るわ出るわという感じで本来の決算書類と偽装を匂わせるメモなどが発見された。

 蓄財に血道を上げていたのは彼らだというのは、誰の目にも明らかだ。


 当然といえば当然だろう。

 モズランテは、国境近くの砦にいるか王宮で作戦立案をこなしつつ軍議にも参加するという陽々ひびを送っていた。領地にその身を置く期間など僅かである。

 その侯爵本人が、領地全体の収支を詳細に把握し、目立たぬように偽装を指示するなど不可能なのである。全てを主導したのは代官と領務官であろうとの結論が出た。

 手配された代官以下領務官達のうち、数名だけは捕縛され尋問の末に自白を得られたが、代官を始めそのほとんどが逃げおおせてしまった。


 それだけでも十分な汚点ともなるが、その後の処理も問題となる。

 状況を鑑みて、メイゼ侯爵本人の過失無しと認められ、名誉の回復を図ろうと事務処理と同時に手立てが講じられたのだが、時すでに遅し。家族が身を置いていた別宅を訪問するともぬけの殻となっていた。

 モズランテは家族だけはと人を走らせ、全員を出奔させていたのだった。


 メルクトゥー王国は、責任はあるとは言え多大な功のあった無実のメイゼ侯爵を失い、更に名誉を挽回する機会さえ永遠に失ってしまったのだ。

 国王クランカは誰はばかる事無く嘆き悲しんだという。


 屋台骨の欠けたメルクトゥーは、この後に国境線を大きく南に押し下げられた。


   ◇      ◇      ◇


「これが私の知っている『メイゼ侯爵領汚職事件』の顛末です」

 シャリアはホルツレイン勢に説明した。

「そして、あなたが当時八歳だった、メイゼ侯爵の遺児ラシュアン・メイゼ様ですね?」

「……」

「本当なの、カシューダ…、いえ、ラシュアン?」

 クエンタは縋るように彼の腕を引く。


 彼女はラシュアンに会っていた。それは記憶の彼方にある。

 王国主催の大きな晩餐会。まだ四歳だったクエンタは、王宮メイドの介添えを受けつつ、一つのテーブルに着いて料理にフォークを伸ばしていた。

 壁際の王宮衛士に目線を送って、所用でメイドが席を外した隙に王女クエンタは隣のテーブルのケーキが欲しくなってしまう。自分で椅子から降りると、とことこと歩いて目的地には達するがいかんせん背は届かない。

 そのケーキを取り上げて小皿に移す手があった。

「どうぞ」

「ありがとう!」

 たったそれだけの触れ合いだったが、彼女にはその金髪と同じくらい輝く少年の笑顔が印象的で、記憶の波間を微かに漂っているのが分かる。


「…はい。私の本当の名はラシュアン。父は侯爵の位を賜わっておりました」

 クエンタと視線を合わせもせず沈んだ表情をしているのが、正体の露見が不本意である事を如実に表している。

「ああ…、貴方があの…」

「姉上! 姉上殿!」

 そこへ切羽詰まったような声が掛かる。

 それは王弟ラガッシの声だ。公的な場ではきちんと陛下と呼び掛ける習慣を守っている彼が、私的な場での彼女への呼び掛けを使っているのが、その動揺の度合いの深さを教えてくれる。

「どうか…、どうかお願いにございます! この愚弟の一生の願いを聞いてください!」

「ど、どうしたの、ラガッシ?」

 いつからか傍らで話を聞いていたらしい彼は、興奮に顔を赤らめている。

「どうかメイゼ候の復権を! これは祖父殿の悲願にございます! それに俺は…、あの事件の記述を目にするにつけ、口惜しくて恥ずかしくて…。歴史ある我が国にこのような汚点が残っているのが無念でなりませんでした!」

「そんなにも?」

「はい」

 応えとともにラガッシはこれ以上ないくらい深く腰を折って見せる。

「他には何も望みませんので、この一件のみはどうかお聞き届けください!」

「そう…」

 クエンタはその意思を伝えるように、カシューダの腕を掴む手に力を込めた。


「このように王族の方々はお望みのようですが、貴方はどうなされますか、親衛隊長?」

 シャリアは答えを迫る。

「しかし、今更そんな事をすれば大きな混乱が起きて…」

「事務処理には少々時間をいただきますが、それも全体を思えば些少のこと。貴殿のお心ひとつで全てが丸く収まるものとお考えを。ええ、色々と」

 ほくそ笑む宰相を見れば、何もかもが計算づくの事であると容易に察せられる。彼女は機を狙っていたのだ。抵抗の余地などほとんど残されていない。

「御意でありますれば、臣として従います」

「ラシュアン…」

 花のように微笑む女王に彼はこれで良かったのかとも思うが、迷いは捨て切れていなかった。


 向き直ったシャリアは、奥歯を噛み締めて怒気を強めているバリーマを見やる。

「メイゼ候であるならば、陛下の傍らに在っても申し分ないものと思われますが、臣下としてどうお考えでしょうか、クラファナル侯爵?」

 勝ち誇るように見下ろしてくる彼女を、睨み付けるクラファナル侯爵。

「こんな専横が許されると思うか、チルム伯。永く仕えてきた臣を無視して進めれば、必ずや不満が王宮を覆うぞ?」

「そうでありましょうか?」

 参加者は、見つめ合うクエンタと親衛隊長カシューダの様子を微笑ましく見守っている。

「不満が募るとすれば、貴殿の行状へ向けられるものと思われますが?」

「ぐっ!」

 バリーマは視線を走らせる。

 配下の領兵がさりげなく囲いを作る。主人が逃走を図るのであればそれを助けようという動きなのだろう。

 それに気付いた親衛隊やラガッシの配下が応じる姿勢を見せると、領兵は柄に手を掛け一触即発の空気が満ちる。


 その横で、闘気が陽炎のように湧き上がった。

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