チェインとクエンタ
女王クエンタの入場に定例のそれとは思えない、控えめながら熱のこもった拍手が送られる。王冠をいただいた彼女は見回しつつ頷き返すと、楚々とした風情で中央を進んで壇上に上がる。
雅やかな礼からこの晩餐会の趣旨を語り、貴賓の紹介に移ろうとしている。この辺りは宰相の草稿通りの進行だろうと思われた。
クエンタの紹介で大扉が再び開くと呼び込みの声が上がり、清楚なドレスを纏ったホルツレイン国王名代のセイナ・ゼム・ホルツレインが入場する。彼女が緊張しないような配慮か、控えから同席していたタニアも影のように付き従い、二人を見守るように彼女の母アリサも続いた。
輝くような気品を放つ王孫に、綻びつつある優美な花を思わせる友人、包み込むような母性を孕んだ笑みの婦人は参加者の目も楽しませた。
続いて呼び込まれたのは随行メイドに付き添われたチェインである。斜め後ろに一歩引いてスレイグが従い、ティムルが目を丸くしながら入場する。
チェインに頼み込まれて同行を許したのだ。ようやく大勢の人間の目にも慣れてきたであろう彼を、試しに子供達だけの輪に入れてみたが心配はなさそうだ。
順番を守っておずおずと入場した後は三人が手を取り合って進む様子を、参加者は微笑ましく見守っていた。
しかし、子供というのは意外と簡単に雰囲気に馴染むものである。
主に華やかな少女達が衆目を集める中、彼らは少しづつ大胆に動き始める。多種多様な料理が所狭しと並ぶテーブルを巡っては、口いっぱいに頬張る。声を掛けてくる参加者に満面の笑みで応じては、また次のテーブルへ駆けていく。
そして、腹を満たした頃には悪戯心が頭をもたげてくる。自由気儘に駆け回って人々を少し驚かせると、その前には白い影が立ちはだかる。耳を抓まれてぎゃあぎゃあと悲鳴を上げるが、そんな事でこの二人は容赦などしてくれない。黒髪の青年が片眉を上げて睨むとティムルもしゅんとして謝罪を口にする。
青髪の美貌からお説教を食らって解放されるが、しばらくするとまた空気に当てられてうずうずした挙句に暴走が始まる。その繰り返しだった。
そのくらいの事は当然だろう思っていた冒険者達は、幼児達を自由にさせていた。これも良い経験である。雰囲気に酔って悪戯すれば痛い目に遭うと覚えてくれればいい。
掴み上げられたチェインが連れ戻されると、彼の父の御用商人が豪快に笑いながら茶色い髪を掻き混ぜる。やんちゃなくらいで丁度良いと思っているようだった。
「楽しんでいますか?」
クエンタが王冠を席に残してきたのは、皆に近く接して欲しいという意思表示だろう。ただ、代わりにカンム貝殻のバレッタを着けているところを見ると、見せびらかしたいだけなのかもしれないが。
「ええ、主にこの子達が」
「良かったですわ」
傍らのシャリアと頷き合って笑う。
幼児達をセイナのおまけみたいに扱わなかったのは女宰相の口添えだった。
それをやると彼らはセイナと一緒に政治向きの挨拶に付き合わなくてはならなくなる。無論、同じ王孫であるチェインを尊重してホルツレイン王宮への配慮を見せる意味もあるが、まだ三歳児の彼らは自由にさせたほうが場を楽しんでくれるだろうと思ったからだ。
「ねえ、女王様」
下ろしてもらったチェインが駆け寄ってクエンタを見上げる。
「何かしら?」
「この国の人はみんな優しいね」
「そうなの?」
女王も褒められているとは分かっても、その意味は掴みかねている。
「うん、あにうえやあねうえ、あのおじさんとおんなじ目で見てくれているんだ。全然、気持ち悪い感じがしないから嬉しい!」
未だ幼くあろうとも彼は紛う事無く第三王位継承権者である。社交の場に出る機会はまだまだ少ないが、多少は場の雰囲気を知っている。
そこにはチェインにおべっかを使ってくる大人も少なくない。侮る気配を露骨に見せようが巧みに隠そうが、王孫に取り入ろうとする空気を感じさせているのだろう。
彼もゼインの弟である。勘は悪くはない。それを察知してしまうと、気持ち悪いと思ってしまったとしてもおかしくはない。
「チェイン殿下に褒められたと言われたら彼らも喜ぶわ」
カイに説明を受けたクエンタは、微笑んで膝を折ると王孫の手を取る。
「そしてわたくしも嬉しいわ。だって皆が宝物なんですもの」
「そうなんだー! だから女王様の事、好きなんだね!」
その純真な言葉は彼女の心の奥に響くものだった。
内紛時にラガッシやクエンタに色々と吹き込もうとした野心家は今、国政から遠ざけられている。いざという時の情報を握っていたシャリアが粛清の嵐を吹き荒らした所為だ。完全にとはいかないが、現在のメルクトゥー王宮はかなり綺麗に掃除されていた。
残っているのは伝統ある家系を継ぐ、格式を大事にしながらも鷹揚な人々が多い。その懐の広さがチェインを心地良く感じさせているのだろう。
ホルムトで、ゼインとも会話をしてその勘の良さに舌を巻いた女王は、チェインの中にも似たようなものを感じ取ったのだった。
「殿下にはこの国の事、もっと好きになって欲しいわ」
その言葉に彼は首を傾げる。
「もう好きだよ。僕、御爺様に我儘を言って来させてもらったけど、本当に良かったと思ってるんだ。帰ったらいっぱいお礼を言って、いっぱいここのお話するから」
「本当にありがとう」
クエンタの本心からの喜びは、少し涙を滲ませてしまうほどのもの。
だが、チェインは何かを察したように顔を顰めた。
◇ ◇ ◇
「陛下におかれましてはご機嫌麗しゅうございましょうか?」
配下を引き連れて姿を現した貴族がいた。
「クラファナル候、現在陛下は外交上の大切な話の途中にございます。ご遠慮いただけますか?」
「名代殿には先ほどお言葉いただいて参りましたぞ。他に何があろうか?」
「こちらも王孫殿下にございます。ホルツレインに於かれましては大事なる御身。ご紹介した筈ですが?」
口の端をひくりとさせた貴族は、少し平板な表情を見せる。
「こちらも大事な話があるのだ。下がっておれ、チルム伯」
その貴族の名はバリーマ・クラファナル。侯爵位を持つ名家であるが、それを鼻に掛けるきらいがある。今も露骨にそれが表れていた。
国家の再建に大変な貢献をしたシャリアは、女王たっての望みでチルム伯爵家の家督を継いでいる。前伯爵も未だ壮年であったが喜んで退き、今は領地の片隅の別宅で、夫人と優雅な隠居生活を過ごしていた。
内紛時には宰相の役職だけで、ただの伯爵令嬢だったシャリアも今ではチルム伯の位の持ち主だ。それでもバリーマは侯爵の目線でシャリアを見下ろしている、鼻持ちならない人物だった。
「少々お待ちいただけますかな、殿下? 大人の話というものがあるのですよ」
相手を子供と思って完全に侮っている。威圧で退かせようとしているのが見え見えだ。
ムッとした表情を見せたチェインだが、後ろからフィノが肩を抱いて軽く引くと後ろに下がる。犬耳娘はカイの目配せで彼を抑えにいったのだ。
「あんなのに勝手をさせんのかよ?」
当然、面白くないトゥリオは一応囁き声で青年に文句を言う。
「メルクトゥー内部の事だよ。あまり差し出口は良くない」
「そうよ。それに前に出ているのはシャリアよ。単なる論戦ならこの人と五分でしょう? 任せておけばいいわ」
それに彼女の動きは妙だった。
普通なら、クエンタが劣勢になれば出て行けばいい。それまでは傍らで助言していれば済む話だし、そうでなければ王権をないがしろにしているという風聞も立つ。
それなのにいきなり前に出たという事は、何か目論見があるとカイは感じたのだった。
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