ザウバの恋
過労で臥せってしまった王弟ラガッシだったが、留守を守ろうと最大限の努力をしたらしく、多少の残務を除いて国政に大きな支障は起こっていなかった。
宰相シャリアは旅疲れも見せずに執務室に入ると、留守中の懸案にざっと目を通し満足げに微笑んだ。もちろん、決断の必要な案件に関しては遠話器で話して処理していたのだが、彼の努力は評価に値すると確認出来たからだ。
(もう少し責任あるお立場に立っていただいても良さそうですね)
ラガッシを閑職に追いやるのは容易い。軍の信頼が篤いとは言え、替えが利かない訳ではないし、事実そう考えた事も少なくはない。
ただ、それでは為政者という立場で孤立するクエンタの精神的負担になってしまう。先王妃である王母カルデナは健在だが、全く政治に明るくなく助けにならない。この上、
ありがたい事にシャリアを家族のように扱い頼りにしてくれているが、やはり血を分けた肉親を傍に置くのが有効だろうと考えていた。
新街道開通に伴い、政治案件は増大の一歩になるであろう。これはシャリア自身を含めて、臣一同で支えていけばいい。
西方への門戸として中隔地方各国はもちろん、東方諸国とも渡り合っていかねばならなくなるのは十分に予想出来る。国王としての重要度はいや増し、時に難しい判断を迫られる苦しい立場にもなるだろう。
確かに政治家として優れているとは言えない彼女も、皆で盛り立てていけば何とかなるはず。
今回の外遊で、頼れる地盤を作り上げられたと思う。
ただ、精神的な支えは近く在らねば意味がない。現実に距離が近くないと、心までは見えてこないものだ。そういう人材を求めてきたが、目星がついたのは最も大きな収穫だったかもしれない。
(あいかわらず見事なもの)
一枚の決裁文書に目を通しながらシャリアは思う。
かなり巧妙な迷彩が施されて誤魔化されているが、一地方としては相当額の税がどこかに消えているのが分かる。
(有能だからこそ見逃してきましたが、この辺りが潮時でしょうか?)
その手札を切るべき時が来たように感じる。
(
怜悧な瞳をした女宰相は、書類を指で弾いた。
◇ ◇ ◇
「陛下」
意識して落ち着いた声音を使ったつもりだ。
「はひぃー!」
しかし、当の人物はびくりと軽く跳び上がってしまう。
「どうかもっと中ほどをお進みください」
回廊を移動中、親衛隊で警護しているのだが、女王は徐々に徐々に窓側に寄っていってしまう。そのままでは魔法狙撃の危険性が高まってしまうので忠言した。
刺客の待ち伏せを懸念して、扉側を親衛隊長であるカシューダが先行する。窓側も隊士が固めているが、クエンタは彼のほうへ少しずつずれていく。まるで自分との距離を取りたいかのように。
件の暗殺騒ぎ以来、こういった傾向が時折り見られるようになった。
それは保安上、良くない状況を作ってしまう。彼女を慮って役職を下げてもらうよう申し出たのだが、頑として受け入れてくれない。怒りとも哀しみともいえない表情を見せて、側近くに控えるよう命じてくる。
正直に言ってカシューダは嬉しかった。
彼女の心を波立たせるほどに、クエンタの中で大きな存在であったのが確認出来たから。
しかし、いかんせんこの状況は宜しくない。何らかの手立てが必要だと思う。
(陛下の御決断が得られないなら、宰相に申し出て説得してもらうべきだろうか?)
それはそれで彼女を傷付けてしまいそうで、カシューダも決断出来なかった。
◇ ◇ ◇
「なるほど、それは困りものねぇ」
青髪の美貌が相槌を打つ。
公職上の重要度はそれほど高くないが、信頼に足る人物として冒険者達を選び、「といった感じなんだが?」と語り終えた親衛隊長に向けた台詞だ。
「カイ、君の言葉なら陛下も耳を傾けざるを得ない。何とかやんわりと言ってみてくれないか? 役職を下ろせとまで言わないから、当面距離を置くのを許してくれるように」
何のてらいもなく言ってくる。その言葉には、女王の身を案じる心情しか込められていない。
「そっちは疎いんで何とも言い難いのですが、それを僕が言うのはお門違いな気がしますよ?」
「もっともね」
「そりゃマズいだろ?」
口を揃えて言われるとカシューダも二の句が継げない。
相手を間違えたかと困っていると、獣人魔法士が満面の笑みで正面に立つ。
「素敵ですぅ。応援しますから頑張って欲しいですぅ」
フィノは口元で手を組んで瞳をキラキラとさせながら言い募ってくる。
「いや、頑張るとかそう言うんじゃなくてな、保安上の問題が…」
「何言ってんだ、色男!」
背中をどやしつけられる。痛いし、この美男子に言われてもあまり説得力はないと思う。
「分かってんだろ?」
肩を組んできた美丈夫は、少し声をひそめて内緒話のような口調で続ける。
「いいから機を見て押し倒せ。お前だってちったあ遊んできただろ? 相手の反応で満更でもねえんだか脈がねえかくらいは見分け付くんじゃねえか? 俺の見立てじゃすぐに落ちふぉごおっ!」
チャムの拳がものの見事に鳩尾に潜り込んでいる。
「滅茶苦茶言ってんじゃないわよ、この馬鹿! 街娘口説いてんじゃないのよ? そんな出鱈目が通用する相手じゃないくらい分かるでしょ!?」
「げっふ…。でもよぅ、相手が相手だからこそ荒療治じゃねえと無理な時があるんじゃねえか?」
「はぅ! 身分違いの恋に思い悩む男が、辛抱し切れず想い人のところに忍ぶのですねぇ…。はあぁ、素敵…!」
更に興奮度上昇中の犬娘。
「フィノ! あなたまでいい加減なことを言って焚き付けないの! 後々面倒な事になったらどう責任取れば良いってのよ!」
大変忙しいチャムであった。
「だがよ、他にどんな方法があるってんだ?」
トゥリオは、色恋沙汰なら一家言あると自分を信じているようだ。
「唇塞いで力が抜けるようだったら突き進んでも良いんじゃねえか?」
「いや、そういう訳にはいかないんじゃ…?」
頭の中で想像が膨らんで頬を染める女性陣を余所に、黒髪の青年が意見する。それぞれ、誰を相手に妄想しているかはここでは置いておくべきだろう。
「役立たずは黙ってろ。女も知らねえ癖に何が分かる?」
「それを言われると立つ瀬ないなぁ。僕の不得意分野だもん」
「え?」
カシューダは完全に意表を突かれた顔をしている。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。カイ、君、その…、まだなのか?」
「はい、お力になれなくて申し訳ないんですが、僕では有用な策を出せそうにありません」
親衛隊長は呆気に取られている。
英雄とまで呼ばれる人物が、おしなべて色を好むとまでは思わない。だが、全く何も無いというのは想像の外だ。
どの国にあっても彼はそれなりに注目を浴びるはず。当然、高貴な婦女子でさえそういう目で見るだろうし、もしかしたら家族の後押しもあるかもしれない。そんな状況下で何も無いとはどれだけ自制心の塊なのだろうかと思った。
(本人の性格的に、色恋に潔癖なところがあるのか? いや…)
青年のほうを見やる。
そこには青髪の美貌という巨大な壁が立ち塞がっていて、彼は納得してしまった。
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