メルクトゥー関
敬礼するメルクトゥー関の警備隊の形作る道を抜けると、更に正規軍が隊列を整え不動で敬礼。その向こうには相当数の隊商が街道脇にたむろしており、皆が拍手で迎えてくれた。
この後、両国の関が同時に通過受付を開始し、混雑を避けるように制限しつつ魔境山脈横断部が開放される。そのさまを見ていれば、通行税だけで管理費が賄えるのではないかと思える光景ではあるが、時を経れば落ち着いてくるだろうと思われた。
しかし、そこで動く膨大な物流量を考えれば、両国の経済の活性化は誰の目にも明らかである。
「…そして今ここに両国の間に新たな架け橋が繋がり、協調と繁栄の歴史が刻まれ始めた事をここに宣言します!」
女王クエンタの演説に聞き入っていた人々が万雷の拍手を送り、女王の名とともに「万歳」の声が上がる。
式典を終えた一行は、正規軍の敷く警護陣に包まれるように移動を開始する。ザウバまでは
国家の威信がかかっているのもあるが、その辺りを計算した対応だろうと思われた。
◇ ◇ ◇
「別にいいのに…」
女王の馬車に続き、国王名代セイナの乗る馬車は近衛騎士隊の警護の外にメルクトゥー正規軍の警備が付いている。その後の随伴政務官の馬車まで警備陣内なのは命令が下っているからだろう。
だが、巡察団の内とは言え、随行という形式のバーデン商隊やルドウ基金職員の馬車まで警備の必要はないように思える。クエンタの気遣いもあるのだろうが、正規軍兵士にだれた感じは全くなく、むしろ誇らしげに行軍しているように見える。
「なんでかなぁ」
カイはその閉塞感に苦笑い。
「そんな風に言っちゃダメよ。彼らにとっては傾きかけた国家の立て直しに大きく貢献のあった英雄に近付ける機会なんだから」
「でも、人が多過ぎて辛いからサーチ魔法は解除しちゃいましたぁ」
「まあ良いんじゃないの。これだけしっかり警備してくれていれば、外は警戒しなくても」
そうは言っても、チャムも警戒は解かない。
活況に沸く国だからこそ多くの人が入ってくる。その中に帝国の工作員が入り込む余地がある。正規軍となれば身辺調査も行われるだろうが、仔細に及ぶとはとても言えないはず。
それらを鑑みれば剣気や殺気には注意を払っておかねばならない。一番敏感な黒髪の青年が傍にいる以上、ピリピリしている必要性もないが。
「これじゃあちょっと抜け出す訳にはいかなさそうだね。道すがらオルク麦を仕入れに行こうと思ったんだけど」
彼方に見え始めた赤茶けた麦畑を見ながら零す。
「あぅっ! お餅の麦、買いに行けないんですかぁ?」
「それはちょっと問題だわね?」
「おもちー? おいしいものー?」
カイの前に乗っているティムルが問い掛けると、リドが大きく頷いて見せている。
「ぼくもたべたいー」
「家に届いていた分があと少しあるから夕飯の時に作ってあげるよ」
今後の
「ザウバに着きゃ、幾らでも仕入れられんだろうが?」
「街でなら買えるって物でもないからね。酒麦だよ。わざわざ商店で売ったりしないで醸造蔵に卸すんじゃないかな?」
「ちっ! そうか」
軽率な発言をして女性陣の反感を買うトゥリオ。
別名酒麦と呼ばれるオルク麦は、確かに一般ではほとんど食用として流通していない。
気候的に中隔地方南部及び東方南部での生産が盛んなオルク麦は、基本的に産地から酒造蔵、或いは輸出品として他国へ流通する。代わりに食用に向いた赤麦も輸入されるが、主食としては一般的とは言えない。
中隔地方での主食はやはりパン。手間が掛からず大量生産が可能な種類の小麦が流通量の半分を占めているが、柔らかくてきめ細かい製粉が容易で甘い小麦も盛んに作られている。前者を粗く挽いて焼いたパンが主に食べられているし、お菓子向きとされる後者を焼いた物も柔らかくて甘いパンとして広く親しまれている。
前者はウォロ小麦という名で、西方でも生産されているのはこちらだ。湿潤気候でも育つが、
後者はカシナ小麦と言って、中隔地方中北部や東方の一部での生産が主だ。
旧くは西方での生産も試みられたらしいが、南部のごく一部でしか育たなかった為、労力に見合わない作物として諦められたようだ。現在では海運による輸入に頼っており、一種の高級食材になってしまっている。
しかし、新街道の開通で、製粉されたカシナ小麦の西方への輸出量は数十倍数百倍に膨れ上がると思われる。単価も下がるだろうが、それでも交易品として十分な成果を上げられるだろう。
それを見越した宰相シャリアは、メルクトゥー北部での生産を強く推奨しており、生産量は確実に上がっている。交易の目玉になり得るであろう産品を、みすみすウルガンやイーサルに譲る必要などないと考えたのだ。彼女の慧眼は健在である。
「仕方ないね。ザウバでシャリアさんに穀物商を紹介してもらおう。それならオルク麦も扱っているだろうし、カシナ小麦も多めに仕入れておきたいし」
ここは無理せず、最も確実な手段を提案する。ただし、卸し屋を入れるだけ値は張るだろうが。
「カイさん、カシナ小麦はおうちにも送っていただきましょうよぅ。レッシーさんならきっともっと美味しいお菓子を開発してくれる筈ですぅ」
「名案よ、フィノ! よく気付いたわ!」
手をポンと打ったチャムが、犬娘の頭の回転の良さを褒める。
「じゃあ、たっぷり送ってもらわないとね?」
「ならよ、酒造蔵にも渡りをつけてもらって、良い酒を回してもらえねえかな?」
「それは却下」
青髪の美貌が一刀両断。
「何でだよ! 料理にだって焼き菓子だって酒を使う時があるじゃねえか? 味見しなきゃなんねえだろ、味見!」
「それもレッシーに任せればいいわ。見繕ってもらってひと通り送ってもらいましょ」
「そうしようか」
要求の通りそうにない大男は、天に向かって不条理を嘆いた。
気を回したカイがこっそり何本かは取り寄せてくれたのだが、それはまた後の話である。
◇ ◇ ◇
何事もなく行軍は進み、一行はザウバに到着した。
街の様子は大きく変わり、まるで活気を絵に描いたかのような様相を呈している。
聞けば、人の流入に歯止めが利かず住居の確保に再開発を余儀なくされているのだが、由緒ある街並みの保全と再開発地区の仕分けにかなり頭を悩ませているらしい。今も建設が盛んに行われているようで、遠く槌音が聞こえてくる。それでいて、街門からの大通りは旧き良き様式美に溢れた様子を残していた。
その大通りを進む馬車の上、大盾を備えた親衛隊士を両脇に従えた女王が手を振れば、大きな歓声が返ってきている。市民の敬愛は、美しき国王へ向けられていた。
王宮の正面玄関に馬車が着けられ、クエンタが降りると重臣一同が整列して出迎える。
そこへよろよろと進み出てきた男が、床に両膝を突き手を伸ばした。
「姉上…、よくぞお戻りくだされました。後はお任せし…。俺はもう駄目…」
目に色濃い隈を作った王弟ラガッシは力尽きてうつ伏せに倒れた。
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