巡察団出発

 手を前に畏まって俯くセイナ・ゼム・ホルツレインの頭に略冠が載せられた。

 出発式典での一幕である。


 それはセイナ専用に設えられたものであるが、形式的には貸与。国王アルバートの名代として一時的に授けられた地位であり冠である事を示している。彼女が務めを果たして帰還した暁には、王族女性として王国史に類を見ない華々しい成果を上げた事になるが、冠は返さなくてなならない。

 セイナは、クライン、ゼイン、チェインに続く王位継承権第四位のまま。それでも、女性の地位向上に大きな貢献をした王族として歴史書に名を残すであろうと思われる。


 メルクトゥーのように特殊な場合を除き、玉座は女性には遠い場所にあるのだった。

 それを改めたいとカイがどう思っても、綿々と築かれてきた文化を覆すのは大きな騒乱の種にしかならない。血を流してまでも実現すべきとは思えない彼は、こういう事例に積極的に賛成する事で少しずつ変えていきたいと思っていた。


 沸き返る拍手の中、セイナは小さく礼を返しつつ馬車の昇降台に足を掛ける。その後には厳選された随行メイドに手を引かれたチェインが続き、その従者という名目でスレイグが従う。

 二人は途轍もなく緊張している。ここまで大勢に囲まれた中で主役格という大役になるとは思っていなかったようで、早くも後悔する素振りを見せる。それも馬車が城門をくぐるまでの事で、その後は新たな景色に夢中になるであろうと容易に想像出来る。


 先行する馬車は真新しい、まだ木材が香ってくるのではないかという印象を与える。それはホルツレインからメルクトゥーに送られた、最新技術の粋である新造馬車。中には当然、クエンタとシャリア、それに供回りの者が乗っている。周りを固めるのはメルクトゥー親衛隊士。

 続く馬車は、王太子一家が新領に向かう時に使う行啓馬車が転用されている。周囲には選抜された近衛騎士。そして、獣人騎士団が固めていた。


「いいなぁ。格好良いぜ、姉ちゃん達」

 そう零したのはアキュアルだ。

「羨ましいかい? 鎧が重いだの堅苦しいだの不平たらたらだったよ?」

「でもさ、こんな華々しい場で重要な役目を任されるんだから、それだけ腕を買われているって事だろ? アキュアルもいつかあんな風になってやるんだ」

「大丈夫だよ、君なら」


 彼はもう十四歳。出会った時には子供然としていたのに、既にカイに追い付きそうな体躯に育っている。

 肩書としても、現在は獣人従騎士という位にある。新輪しんねんを迎えて十五になったら正式に獣人騎士として取り上げられるのがほぼ確定的。

 実力的には騎士団の面々と五分か時には凌ぐほどの力を付けてきている。なのに今回はアサルトと一緒にホルムトの留守を預かるように決まっていた。

 ミルム隊が背筋を伸ばして列に加わるのを、指を咥えて眺めていなければならないのが不満なのである。


「まあ、仕方ないかぁ。兄ちゃんには毛ほどの傷も付けられなかったもんなぁ」

 青年が滞在中は熱心に組手に挑んできたが、彼には全くその剣は届かなかった。

「頑張れば一撃くらいは入るかと思ったのに」

「次に会う時には背で抜かれているだろうけど、そこはまだ譲れないかな?」

 それでも真剣を持たせる時には、カイは薙刀かマルチガントレットで応じなくてはならないほどに強くなっている。以前のように不慣れな剣やナイフでは受け切れなくなっていた。

「また鍛え直しておくよ。楽しみにしていて」

「頼もしいね」

 青年は、黒狼の少年の後ろにも目をやりながら答える。アキュアルの肩には、その意気だと言わんばかりにアサルトの手がかけられた。

「じゃあ頼みますね、アサルト」

「王族の事は任せておけ。お前は思うがまま暴れてこい」

「人聞きの悪い事を言わないでください。調査ですよ、調査」


 狼頭の目には笑みが浮かんでいた。


   ◇      ◇      ◇


 人員も物量も投入して整備した新街道は、車両にも騎馬にも非常に走り易い作りをしている。道幅も広く、離合にも困らない状況は道程を捗らせるのに十分であった。

 巡察団名簿リストを考えれば、本来なら先触れを走らせながらゆっくりと進ませるのが常道だが、今回は警護要員の能力の高さに任せて進行を速めていた。


 王都を離れて人目が少なくなれば、形式に拘らずとも良くなる。

 さっそくセイナは友人のタニアを馬車に呼んでおしゃべりに興じている。カイにも同乗をせがんだのだが、未だ遠く森林帯が臨めるこの辺りでは危険の可能性が拭えず、断られてしまっている。

 対人戦闘に於いては専門家の騎士が揃っていても、対魔獣戦となると訓練程度の経験しかない者がほとんど。専門の冒険者か、それを生活の一部にしていた獣人騎士団を中心に対処するのが順当だ。

 現実には、ティムルが同行している限り、絶対と言っていいほど魔獣が襲ってくる可能性はない。魔獣とて自分が餌でしかないと心得ている。青年がそれを伝えていないだけ。


 一行の旅は順調そのものだった。


   ◇      ◇      ◇


「はぁ、身体の中に溜まった、なんつーかおりみたいなもんが抜けていくみたいだぜ」

 オーリーはご機嫌そのもので御者台に腰掛けている。

「何言ってんだ、おっさん。あんた、大商会の会頭じゃねえか?」

「あーん? フリギアの坊ちゃん、お前さんは知らないだろうが、私はこんな暮らしのほうが長かったんだよ」

 馬車こそ商会所有の最新鋭のものに変わっているが、御者としての腕は鈍っていないようだった。


 一行は既に、以前は国境の外、魔境山脈緩衝地帯と呼ばれていたところに入ってきている。その所為もあって旅程も少々遅くなりつつあった。

 魔獣への警戒もさることながら、立ち寄る街々での歓迎式典の連続が主な原因。大国への帰順を選んだ領主は、初めての貴人の訪問に張り切って歓待の姿勢を取ったからだ。

 その歓待を無視する訳にもいかず、セイナは笑顔を絶やさず対応していた。


「旅暮らしが性に合ってんだが、嫁さんと可愛い娘の為に我慢してるとでも言うのかよ?」

 トゥリオも冗談めかして言った台詞が正鵠を得ているとは思っていなかった。

「違う。いや、違わないか…。私は商売が好きだ。それはどんな形でもいい。ただ、もっと客の顔が見える商売がしたいのかもしれないな」

「オーリーさんは僕の我儘に付き合ってもらっているんだよ」


 一概にそうとは言えない。オーリーも妻アリサと娘のタニア、そして従業員達に豊かな暮らしを与えられているのには、一家の主としても会頭としても自尊心を満足させている。それだけでなく、大国の後継たるクラインに頼りにされるのも商人として光栄な事だし、その生き方にも不満は少ない。

 それでも、時々見渡す限りの草原の中の一本道を、御者台に座ってどこまでも馬車を走らせる夢を見る。目覚めた時、無性にあの危険な旅路が懐かしく、そして戻りたいと思ってしまう。

 誰にも言えないその衝動を、彼は理解しているのだろうか?


「だから、恩返しの意味でも東方をもっと健全な状態にしたいと思っている。好きなだけ旅が出来るようにね」

 その言葉にオーリーは放心する。

「カイ、お前はそんなことを考えていたのか?」

「気にする事はないわ。そんなの余禄よ」

 アリサの話し相手をしていたチャムが、客車キャビンから顔を覗かせて言う。

「この人は本当に欲張りなんだから、それも目的の一つってだけ。でも期待してもいいと思うわよ?」

「ああ、そうか。そうだな。やれるだけやってみて、隠居した時には色んな所を見て回るのも良いな」

「その時はわたしもお付き合いしますわ、あなた」


 その夢だけで、オーリーはまだ走れる気分になるのだった。

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