人外の客
ホルツレイン国王アルバートは、やっと遅い昼食を摂った後であった。
何より陳情が多い。新領絡みのそれが落ち着きを見せ始めたのはそんなに前の事ではない。ここ半
何にせよ、新たな試みというのは活況を生み出しもするが、それまでに見られなかった軋轢などの問題も生む。苦心惨憺して乗り越えてきているが、そんな事まで知るかと言いたくなるような問題も目に付く。
思えば、あの黒髪の青年が帰ってきてくれてからはずっとそんな感じだと思う。それこそ苦労に見合う発展が実感出来ていなければ、とうに放り出していたかもしれない。
彼はとにかく色んな事を持ち込み過ぎだ。意図的に自分を忙しくさせているとしか思えなくなってくる。それでも、あの量ってくるような視線に負けるようでは自分は玉座に着いている資格を失うと思って、必死に食らい付いていくしかないのだろう。
心を落ち着ける為に、
斜め後ろに控える秘書官の脇の小卓には書類が塔を築いている。このひと時の憩いを満喫したら、気を引き締めならなければならないだろう。
その僅かな間隙を縫って遠話器が呼び出し音を奏でる。以前はビクリとしたものだが、それにも慣れてきた。
ただし、この時はその内容にビクリとさせられる事になるのだが。
「そなたか。構わんぞ」
聞こえたきたのは件の青年の声だったので嫌な予感はした。
【僕の客なのですが、街門内に入ってもらっても良いでしょうか?】
「何を躊躇う? 身分の証となるものが無ければ、そなたが保証すればよいのではないか?」
【一応、ドラゴンですので判断いただけないかと?】
何か聞き慣れない単語が聞こえたような気がした。
「もう一度言ってくれんか?」
【ですから、子供とは言えドラゴンですので街壁内に入れるのはお困りになるかと思ったのですが?】
「……」
頭の中で色々なものが入り混じって灰色に染められたような気がした。意識せず溜息が漏れる。
【陛下?】
「ドラゴンと言ったか?」
【はい、間違いなく。東方で知り合った仔竜です】
継ぐ台詞が見つからず、「少し待て」と言って遠話器を耳から離す。しかし、考える時間は与えてもらえず、扉がけたたましい音を鳴らした。
「失礼いたします、陛下! どうぞお許しを! 只今、ドラゴン接近の報を受けました! 護衛いたしますので避難の準備をお願いいたします!」
許可も得ずに入室してきたのはガラテア軍務卿だった。
「…騒がんでくれんか? 今、それに関する連絡を受けているところだ」
「は? それは如何なる事で?」
警備上の最上位者の自分を通さずに、脅威情報が国王まで上がるのは彼女の沽券に関わる。
「宜しいか、軍務卿?」
「何さね!?」
後ろから掛かった声に荒々しく振り向くガラテアは、開いた扉をノックしつつもたれ掛かっている紳士を目にする。
「私のところにも情報が来た。こういう事をやる人間は、不肖の息子一人しか心当たりが無いので確認したいのだが構わないだろうか?」
「何を言ってるさね!? ドラゴンだよ、ドラゴン!」
「あれならやりかねんから困るのだよ」
クラインは渋い顔で応じる。
「ご名答だ、グラウド。今、カイから遠話がきている」
「お詫び申し上げます、陛下。それで何と?」
「知己のドラゴンを街壁内に入れて良いかと訊いてきている」
ガラテアはたちの悪い冗談を聞いている気分になる。
「ほう? 読めぬ男ではありますが、その意味が分からぬほど馬鹿ではありません。おそらくは何か民を怯えさせぬ方法が有るということでしょう」
「じゃろうな。訊いてみよう」
「我が国の中心ホルムトと言えど、ドラゴンを招き入れられるほどの巨大な街門は持っておらぬ。遠慮してもらえんだろうか?」
知と武の重臣の到着で、少し落ち着いたアルバートは冗談めかして尋ねる。
【それはご心配に及びません。彼はまだ仔竜ですので
「三歳児だと?」
【はい。ほんの子供です。脅威たりえないとは申しませんが、言って分からない相手ではございませんので】
判断に苦しむ話ではある。何と答えたものかと悩んでいると青年は言い募ってきた。
【無理にとは申しません。安全を思えば拒絶して然るべきです。僕は彼とその辺の森林帯で過ごしますので、何かの時は遠話器で連絡お願いします】
「いや、待て」
ここは退くに退けない。
国主としての度量を試されているような気がする。ドラゴン相手でも鷹揚な対応が出来るほどの王器を示さないと、カイの中でホルツレインは少し軽くなってしまいそうで躊躇う。
何より、備えには余念のない男である。自分で対処出来ないような問題を自ら持ち込むとは思えない。要は、彼の対処出来る規模のほうに不安が残るだけの話だ。
「よい。会おう。連れてまいれ」
政務卿が頷いて見せるので判断に自信は深まる。
彼であれば今の内心の葛藤などお見通しで、正解だからこそ意見してこなかったと思われる。
【城門内まで入れますか? 豪気ですねぇ? 良いとは思いますが、あまり人の多いところには出さないようにしたいのです。慣れていませんので怯えさせたくありません】
「公表はせん。余自ら見定めて、滞在の許しを出そう」
【ありがとうございます。それでは連れていきますので。では】
遠話が切れた途端、アルバートは椅子に深く身を預けた。
寿命が縮む思いだ。国の発展の為に人生を切り売りしているような気さえする。それも本望だ。魂の海は国王を優しく受け止めてくれるだろう。
「御英断でございました、陛下」
気の抜けたアルバートは軽く手を挙げて応じる。
「しかし、危険は危険。ご同席させていただきます、陛下」
「許す。好きにせよ」
ガラテアは油断をしていないのか、興味に駆られているのか判断に困る笑いを浮かべていた。
◇ ◇ ◇
「来やがった」
選りに選ってとトゥリオは思う。
ただでさえマズい状況だと彼は思っているのに、そこへ暴走幼児達の参上だ。
「カイ、お前はティムルを見てろよ。俺達で何とかする」
「チェイニー! 今はダメですよぅ!」
フィノも両手を振って彼らを止める努力をしている。
「そんなに気にするほどじゃないと思うけどね」
「どうしたのー?」
努力も虚しく二人は急接近。
「おいかけっこー? ぼくもするー!」
大男と犬娘を擦り抜けてきた二人に、カイの手を放したティムルは両手を広げて行く手を阻む。ところが敵もさるもの、床に悲鳴を上げさせると瞬時に軌道を変えて仔竜の横を通り抜けようとした。
「あっ!」
通り抜けかけたのだが、そこからティムルの動きは鋭かった。
反転すると、床から煙が上がるのではないかと言うほど蹴り付けて一気に加速。もう背を見せていたチェインの背後に迫ると、腰に抱き付いた。
腰に余計な重みの加わったチェインは堪らない。バランスを崩すと、ビタンと床にキスをする羽目になった。
一瞬の静寂がよぎる。
「ふっ…」
王孫の背がぷるぷると震える。
「んああああー!」
痛みと衝撃で、大声を上げて泣き始めた。
彼が止められた事で、少し行き過ぎて立ち止まっていたスレイグも火が点いたように泣き始める。そうなれば泣かせてしまったティムルも悲しくなって泣き始める始末。
泣き声の三重奏が奏でられる。
「仕方ないわねぇ…」
チャムは腰に手を当てて苦笑いしていた。
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