牧場の大騒動

 乳製品製造作業場でチーズやバターの生産風景を見回り、試食等をしたメルクトゥー女王は搾乳小屋にも足を運ぶ。

 子供達に教えてもらい、搾乳機での乳搾りを経験するとその作業効率化にクエンタとシャリアは驚きに目を丸くする。そこまでは想定していた視察経路だったのだが、そこからクエンタの要望で隣接する牧場へも足を延ばした。


 広大な牧場のそこかしこにいる黒縞牛ストライプカウや立ち働く子供達を眺めたところで、どうなるものでもないと思っている付き添いの文官は困惑を隠せないでいた。

 しかし、そこで女王は突飛な行動に出る。

「これはどうするの?」

 尋ねられた子は正直に答えただけ。

「あっちの置き場まで運んで堆肥にします」

「あっちね?」

 彼女は普通に台車に手を掛けると運び始めた。

「陛下!」

 仰天したのは文官である。

 台車に乗っているのは牛の糞。出来れば近付けたくもなかったのだが、クエンタが先に立って歩いているので止めるに止められなかった。

「そのような事をなされなくても!」

「どうして? お邪魔しているんですもの。少しくらいは手伝いたいわ」

「いえ、その…。お客様のお手を煩わせるような事では…」

 文官はカイに視線を送る。暗に止めろと言いたいのだろう。

「服を汚してしまってもいけないので、一度だけにしてくださいね?」

「そうですね。ご迷惑だったみたい」

 説明をした少女が自分の所為だと泣きそうになっているのを見て考えを改める。

「わたくしも子供の頃は王都ザウバを駆け回っていたの。道端に馬のボロが落ちているなんて当たり前だったから全然気にならなくて」

「女王様がですか?」

 不思議そうに少女は見上げる。

「ええ、だってそれが人の暮らしですもの。場所を教えてくださる?」

「はい!」


 彼女は世界の違う存在だと思っていた女性を、庶民的だと知って嬉しそうに笑った。


   ◇      ◇      ◇


 牧場で黒縞牛ストライプカウと触れ合ったりしていると、フィノがぶるると胴震いをする。

「これ…、は?」

「どうしたの? これ…?」

 チャムも、遠いのに怖ろしく強い魔力のうねりを感じる。

「ヤバいかも」

「ん? これかぁ。誰だろうね? …ああ、なんだ」


 にわかに牛達が騒ぎ始めると、潮が退くように彼らの周りから逃げ散っていく。反対に街門からは速駆けの騎馬が叫びながら駆け込んできている。それに伴って護衛の騎士達も追随してきた。

 不安な様子を見せる子供達にカイは「大丈夫だよ」と落ち着かせようとするが、大事おおごとと感じた彼らはそわそわが治まらない。


「何事です?」

 女王を守らねばならない立場のシャリアは問い詰めてくる。

「すみません。あれは僕の客です」

「しかし、名誉騎士殿! あれは…!」

 その頃になると彼らからも見えている。誰がやってきたのかも分かった。

「マジかよ、あいつ」

「来ちゃったのねぇ。仕方ない子」

「困っちゃいましたねぇ」

 トゥリオ達は警戒を解いてしまっている。


 腰が引けつつも青褪めて柄に手を掛ける騎士が続出する中、攻撃しないように呼び掛けると黒髪の青年は集団から少し離れて手を挙げて合図する。

「ここだよ!」

 それはふわりと舞い降りるとカイに襲い掛かったかのように見え、「ひっ!」と悲鳴が上がる。

「きたよー」

「いらっしゃい。来るのは構わないけど、人の多い時は困るかな?」

 両の前肢を肩に掛け、見下ろす頭部は彼の上半身くらいはあろうか?

「だめー?」

「まあ、報せろって言っても報せる手段がないよね、ティムル?」


 一ぶりくらいに見る薄黄色い仔竜はずいぶんと成長しているようだ。体表を覆う鱗にはところどころに金色に輝く部分が見られ、後頭部から伸びる棘もかなり伸張しているようだった。

 正直に言っていかつくなった。その仔竜が、青年に甘えて頭を擦り付ける様を見ると、何とも形容しがたい雰囲気がある。それでも仔竜が人語を発した事で、違う意味の動揺が広がる。当然と言えば当然なのだが、ドラゴンが会話の可能な相手だと知る者のほうが圧倒的少数派なのだった。


「よくここが分かったね?」

 出会った地とはあまりに離れている。探し当てる術の見当もつかない。

「カイのにおいするー。おいかけたらすぐわかるのー」

「におい?」

 どこかで聞いたような台詞だが、少々意味が違うように思う。


 聞くに、魔力の固有波長が匂いのように感じられるようだ。しかし、それだけで説明するのはいささか足りないと思う。極めて似通った魔力波長の持ち主は大勢存在するし、発信源はそれこそ無数に在る。


 興味を惹かれた彼は、どんな風に感じるのか突っ込んで訊いてみた。

「みみをすませたらわかるのー。だいたいこっちってー」

 どうやら探り探りやって来たらしいが、匂いと言ったり耳を澄ませたりと表現が曖昧だ。

「ドラゴンには超感覚器官が備わっているのかな? うん、後でゆっくり話そうね?」

「いっぱいはなすのー」

 ゆっくりと考察するには視線が痛い。とりあえず事態の収拾が必要なようだ。


「だから、東方でちょっと出会いがあってね、あの子はカイにとても懐いているのよ」

 頑張って遠巻きにしている騎士達に説明しているが、安心させるには材料が足りない。人類にとってドラゴンは遥かに強力な存在であり、未知であるだけに脅威としか感じられない。

「ちょっと難しいだろ? 解れって言ってもな」

「逃げ出さないだけ立派だと思いますぅ」

 フィノはそう言うが、彼らとて本心では逃げ出したかった。


 義務感が無いとは言わない。相手がドラゴンであれ、盾となって民を守らねばならないと思う。だが、そこで踏ん張れているのは、魔闘拳士という英雄が前に出てくれている部分が大きい。もし、それが無かったら逃げる理由しか考えられなくなっていたとも感じていた。


「カイ! 限界よ! とりあえず何らかの対処をしてあげないと崩れそう!」

 一向に優れない顔色から、そんな心理状態を察したチャムが気を遣う。

「了解。ティムル、人化しておこうね?」

「うん、するー。にんげんのいるところはにんげんのかたちでいるの、おぼえてるー。えらいー?」

「いや、それなら最初から子供の姿で来いって!」

 思わず突っ込むトゥリオ。

「とべないのー」

「ああ、飛べないよね? それは仕方ないかな。ひどいなぁ、トゥリオ」

「俺が悪いみたいな雰囲気出すの止めろよ!」

 白々とした視線を受けて美丈夫はちょっと傷付いた。


 風が巻いて竜身が霞むと、ティムルは子供の姿に変わった。

 目の前で変化を見せてそれが仔竜だと分かっていても、目に見える形が人型であれば少しは安心してしまうものらしい。ようやく、遠巻きの一団は落ち着きを取り戻しつつあった。


 駆け寄ったティムルはチャム、フィノと順々に抱き付いて回る。少し癖のある金髪を掻き回されると、彼は嬉しそうに二人の頬にキスをした。

「ずいぶん長い距離を飛んできたんじゃないの?」

「お腹減っていませんかぁ?」

「だいじょうぶー。あっちのおやまでおやつたべてきたのー」

 そう言って東のほうを指差す。

「あ…、はは…、それって魔境山脈よね?」

「おやつなんですねぇ」

 の地の凶悪な魔獣も、仔とは言えドラゴンには軽食なのだという意味。格の違いに汗が流れる。

「ぎんのおじさんにもあいさつしてきたのー。ひとりでおでかけできるのえらいってほめられたー」

「ええ、偉いわね」

 どうやら魔境山脈には銀の王の棲み処が有るらしい。チャムは心に留め置く。


「はい。僕の客なのですが街門内に入ってもらっても良いでしょうか?」

 カイは遠話器を耳に当てている。


「一応、ドラゴンですので判断いただけないかと?」

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