傍らの猫
カイの懸念はレスキリとルドウ基金の事である。
これからまた東方に出向くのは決定事項。そうなれば帝国は過敏な反応を示すだろう。今回、かなり掃除はしたが、ホルムトにも多くの工作員が再び送り込まれるのは十分に想定出来る。
国王アルバートは国民である彼らを守護対象と考えてくれるであろうし、グラウドも配慮はしてくれるだろう。しかし、如何にも即応性には欠けると思えてしまう。何か起きればすぐに動いてくれても、それでは手遅れになる場合もある。
彼との関係性が認められる孤児院には一、二羽の
「みゃー…、みゃ!」
黒猫は身を起こすと首を傾げるような風を見せたが、すぐに群れのほうに向き直った。
「誰か心当たりがある?」
「なぁーおぅ、みゃん」
まだ若い個体なのか、ひと回り小さい子が後ろのほうから歩み寄ってくる。
「みゃー」
「君はもしかして…」
白地に黒ブチが散る体色には見覚えがある。
「前のボスの家系…、孫とか?」
「みゃ」
見上げる目は興味を示すように、大きく瞳孔が開いている。
「ボス…、お祖母ちゃんから何か聞いている?」
「みゃ」
カイの腕から降りたボスが、任せると言わんばかりに黒ブチの頭に右前肢を乗せる。少し頭を下げて受領した彼は、青年の膝元でじっと見つめてくる。
祖母である前ボスにその存在を認めさせ、現ボスがあそこまで心を許している相手に興味津々なのだろう。その好奇心が冒険心に繋がっているのかもしれない。
「僕と一緒に来てくれるかい?」
「みゃ」
左手を差し出すと匂いを嗅ぎ、頭を擦り付ける。覚えたという合図だろう。
「じゃあ、頼むね?」
その後はくつろいで、カイ達が取り出した肉塊に猫達がわらわらと群がり、そして彼らには珍味であろう燻製魚に舌鼓を打っていた。
◇ ◇ ◇
「ただいま」
帰宅を告げると、奥からパタパタとレスキリが駆けてくる。
「カイ様!」
慌てた様子は、何か不測の事態が起きたと思わせた。
「王宮から人が来て、あの子を置いていったんですよう!」
「うん、来たね」
土間部分には緑色の身体に鮮やかな黄色い飾り羽が目を惹く
「セイナに頼んであったんだ。一羽届けてくれるように」
「ふぇっ? もう一羽お連れになるのですか?」
「いや、この子は君の。裏手で組み上げた馬車があるだろう? あれも君の分。買い物でも遊びに行くのでも使えば良いからね」
これまではルドウ基金に出入りする商人に注文していたようだが、これからは街に出て、自分の目利きで食材を集めてくれば良いだろう。
「そんなに良くしていただいても、私がお返し出来るのはこの身体くらいしか…」
「いえ、それは結構です」
拒否されると同時にレスキリの後頭部が小気味良い音を奏でる。
「労働で返しなさい、労働で」
「えー」
「文句言わない!」
不屈の精神である。
「それと、この子も君のお友達」
黒髪の青年が腕に抱いていた猫がハウスメイドを見つめる。
「みゃー」
「なーぅ」
「会話すんのかよ!」
トゥリオは新たな特技に慄いた。
「いえ、分かりませんけども」
「分からねえのかよ!」
良いように振り回されている。彼女のほうが一枚上手だ。
カイの腕の中の、白地に黒いブチを持つ猫に顔を近付けるレスキリ。すると右前肢が伸ばされ、彼女の左頬にポンと置かれる。
「何でしょう、この手は?」
ぐいぐいと押されるが、レスキリも意地になって顔を押し付けようとする。
「いきなり距離を詰めるなって事じゃないかな?」
「だってこんなにもふもふなら、もふもふしたくなるではありませんか? しかも公然とカイ様に抱き付けます」
「自分で抱きなよ…」
もう苦笑いしか出ない。
両の前肢を突っ張る猫と、メイド娘の押し合いが始まっている。
「とても友好な態度とは思えないんですけど!?」
「ふみー!」
「君の姿勢も決して友好とは思えないよ…」
そして首根っこを掴まれた彼女はチャムに引き摺られていく。
「どうして私のほうが掴まれているんですかー!」
「あんたが大人げないからよ」
見送りながら、カイは絶対に爪を立てなかった猫の頭を撫でている。
「みー」
彼は心地良さげに目を細めた。
◇ ◇ ◇
夕食の準備を始めたレスキリは、隣にやってきた猫が彼女の手元を覗き込んでいるのに気付く。
「有難いですけど、猫の手を借りるほど忙しくはありませんよ?」
「みゃ」
調理ナイフで野菜を刻みつつ声を掛ける。
トントンとテンポよく音を立てる手元と、レスキリの顔を交互に見ながら猫は動かない。
「好き嫌いはありますか?」
「みゃーう」
肉が乗せてある皿を肉球で叩く。
「やっぱりお肉ですか? 野菜も少しは食べましょうね」
「にゃう」
「良いお返事です。チーズも食べてみますか?」
脇にある皿の上のチーズをくんくんと嗅ぐ猫を見て、興味があるのだろうと思って提案した。
「みゃ」
「色々ご馳走しますから、少しずつ教えてくださいね?」
「みゃー」
基本的に面倒見が良いレスキリだった。
◇ ◇ ◇
食卓の上にはずらりと皿が並んでいる。
主菜にチーズを乗せて焼かれたチャモ肉と平パン。根菜と葉物の芯を刻んだ具のスープには溶いた玉子が流され、サラダボウルにも様々な種類の生野菜が盛られている。良い匂いが食堂に満ち、否が応にも胃袋を刺激してくる。
黒ブチの前にも大きめの皿。細かく刻んだ葉物野菜とゴロゴロとした肉が煮込まれて柔らかくしてあり、上に乗せられた細く切ったチーズが熱で溶けてくたりとなっている。明らかに専用に作られたメニューだ。
冷めるのを待った猫はがつがつと食い付いている。
「美味しいですか?」
「みゃみゃっ!」
「そんなトゥリオ様みたいな食べ方をしてはダメですよ?」
食卓に着いた大男は固まる。
「どういう意味だ、そりゃ?」
「そのままよ。お行儀悪いってこと」
鼻頭に皺を寄せるトゥリオを皆が笑う。
皿の中身に夢中だった猫は、食べ終えるとレスキリの膝に上がってきた。
「足りないのですか? こっちのチーズはお塩が入っているので少しだけですよ?」
「みゃ」
ナイフで小さくしたチーズを、フォークで口に運ぶとぱくりと平らげる。その後は聞き分け良く下に降りると皆の食事を眺めていた。
居間に移動した一同は、
テーブルの上では、立ち上がったリドの前肢に猫が自分のそれを合わせるという遊びをしている。
「この子は
カイが切り出すと、レスキリは驚く風もなく頷いた。
「ですよね? リドと同じ反応をしますもん」
「異存がなければ一緒に暮らして欲しいんだけど?」
金色の瞳が彼女を窺い、尻尾の先が期待を孕んでパタパタと動く。
「この子が良いって言うなら」
「問題無さそうだね。じゃあ、名前を決めてあげてくれる?」
「それは決めてください。この子の尊敬はカイ様に向けられています」
それは納得できる理屈だった。
「うん。じゃあ、『ニルド』にしようか?」
「はい。仲良くしましょうね、ニルド」
「みゃ!」
セネル鳥の名はレスキリが『ヴィスキー』に決めた。
◇ ◇ ◇
天気の良い
近くで黄色い飾り羽の緑色のセネル鳥が雑草を啄み、椅子に掛けた彼女は豆の鞘を剥きながら歌っていた。
傍らに置いた椅子には白地に黒ブチの猫が座り、腰に寄り添って目を細めている。
その光景がルドウ基金本部裏庭の馴染みになるのに、そんなに時間は必要ないだろう。
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