招かれざる客
こんな時に人目など気にしてはいけない。遠慮せず大口を開けて齧りつくに限る。
カリカリに焼き上げられた表面が心地良い歯応えを返してくる。ほのかに甘いサクサクのスコーンを噛み締めていると、プリプリとしたものに当たる。プチリと噛み潰すと馥郁たる香りが溢れ出し、程良い塩気と感激するほどの深いコクが口いっぱいに広がった。
口の中で穀類特有の甘さとバターの塩気、そして、奥深いチーズの旨味が加わって舌を翻弄する。得もいわれぬ幸福感と満足感が頭を満たし、もちろんお腹も満たしてくれた。
「うんうん、やっぱりこのチーズスコーンは絶品だね! 本当に素晴らしい仕事だよ、レッシー」
まだ少し温かいスコーンの大皿が出てくると、皆が同時に手を伸ばし嚙りついた。
カイはこのレッシーお手製のチーズスコーンが大好物。こうしてテーブルに出てくると必ず二つ三つと平らげていく。
「
「ありがとう。スコーンには
色々と問題行動があるハウスメイドのレスキリだが、家事能力は本当に高い。
チーズスコーンも、ゴーダチーズが届けられるようになってから、混ぜ込む粒の大きさや割合、焼き具合などしっかり研究してきている。好評を博したクラッカーも上の具を乗せる前に、間に少しだけサワークリームが挟んである。接着するとともに、サワークリームのまろやかな酸味がアクセントにもなって味に深みを与えていた。
カイ達が戻ってからは再び王宮牧場の
それぞれの私室もきっちり整理整頓されており、埃一つ見当たらない。とても二
十二分な報酬と待遇を約束しているとは言え、その献身には心がこもっていると感じられる。それには四人とも感謝を言葉と態度で表していた。
「もう、こぼしちゃってー。仕方ないんですから、カイ様はー」
スコーンである。嚙り付けば少しはこぼれようというもの。それを指摘してかいがいしく世話をするのが楽しくて仕方ないようだ。
「おっと、お客様の前で行儀が悪いや。いつもなら
「ほんと。こぼすの待ち受けているものね?」
「楽っちゃあ楽だからな。奴らも期待の目で見て来やがる」
「フィノは圧力に負けて、砕いてあげちゃいますぅ」
それが仔セネルが居付く理由の一つになってしまっている。
王宮牧場でも実験的に様々な餌が与えられ、中には贅沢なものも交えられるのだが、ここに来れば色々なお菓子にもありつけるのだ。優しい住人たちが彼らの分の食事も当たり前に準備してくれる。しかも出入り自由となれば通う仔は後を絶たない。
「ミルクもお入れしますか?」
擦り寄って頭を撫でられたレスキリは、上機嫌で追加を尋ねる。とても男爵家令嬢の姿とは思えない。
「そうだね、少し温めてミルク茶にしようか? スコーンにはあれが合うから」
「はいー、しばらくお待ちを」
焼き菓子にはぬるめのミルク茶も定番だ。この組み合わせの満足感は半端ではない。
「ここでは贅を凝らした訳でもないのに、上質な味のものが振る舞われているのですね?」
「素材のほうに力を入れて、苦労を惜しまないようにしていますからね」
シャリアは感心しきりである。口の端にほころびが見えるので、味にも満足しているのだろう。彼女の主はもう言葉もなく、お菓子を詰め込む作業に熱中している。
「クエンタ様、少々はしたのうございますよ?」
「…はっ! わたくし、何を?」
「遠慮するような相手でもないとお考えでしたら構いませんが」
わたわたと口元を拭うと、整然と腰掛けた姿勢に戻る。今更繕っても仕方がないと思うが。
「忘れてくださいまし」
「気に入ってくださったようで嬉しいですよ」
消え入りそうな声で弁解するクエンタに、カイ達は笑みで応える。客が満足してくれるのならそれに越した事はない。
卓に着いて向かい合って腹を満たすのに余念の無かったトゥリオとカシューダは、顔を逸らして失笑を隠していた。
◇ ◇ ◇
呼び出し音に反応して遠話器を耳に当てたカイは、相手がグラウドだと気付く。
「侯爵様、掛かりましたか?」
その言葉から想定内の連絡だと分かる。
【動いたようだ。頼めるか?】
「構いません。どうなさいます? 始末しても良いのですか?」
【捕らえてくれ。あまり抵抗するようなら仕方あるまいが】
これまでも居なかった訳ではないが、
かなりの手練れが派遣されていたようで、相当数が夜陰に紛れて城壁を越えて侵入してきている。自宅周りや王宮周辺に潜んでいる者は彼らが確保して回ったが、貴族街に潜んでいる者までは手を出していない。
そのうちの一部が、クエンタの姿を確認して動き始めたという連絡だ。
グラウドの意図としては、全てを押さえるつもりはない。多少は見逃して泳がせておかねば、余計に人員が強化されて面倒な事になってしまう。或る程度は嗅ぎ回らせておいても構わないと聞いた。
しかし今は重要な時機であり、下手に手を出されれば厄介な事になりかねない。数を絞りたいらしく、配下にも捕縛命令を出しているし、カイにも積極的に動くよう頼んでいた。
その所為で、王宮外れにある地下牢はかなり埋まってきているはずだ。その辺りも考慮して、彼は始末するかと訊いたのだった。
「欲張りですね?」
グラウドの姿勢を揶揄する。当然捕らえた間者は締め上げられて、様々な手段で情報を吐かさせられる。
【どこの者かによって持っている情報も違うものだ】
「北方三国も人を動かしていると?」
【メナスフットはそれどころではないようだが、ウルガンやイーサルは腰が落ち着かんらしい】
メルクトゥーの大きな動きが刺激になっているようで気が気ではないのだろう。
【アヴィオニス殿下の客は説得して、お引き取り願っている】
「まだ伝わっていないでしょうからね。まあ、今回の客は帝国みたいです」
微かに感じられる剣気から敵意が漏れ聞こえてきている。
グラウドもそれを釣り出すつもりでメルクトゥー女王を自由にさせているのだと知れる。事前に配下をこの家周りに動かしておいたのだろう。
「では、お土産はお渡ししますので」
【うむ、後始末はあれらに任してくれればいい。悪いが頼む】
「お気になさらず」
それで通話を終えた。
「何か問題でも? 北方三国と聞こえましたが?」
クエンタは自分に関わる事だと敏感に感じて不安に思っているようだ。迷惑を掛けているのかと感じたらしい。
「いえ、大したことではありませんので」
「こちらにはこちらの思惑が有るものです。クエンタ様がお気になさらずとも良いかと思われます」
シャリアが助言をするが、彼女は納得していないようだ。
「でも…」
「少し外しますが、表の掃除をしてくるだけなので、こちらでお待ちを。その間はトゥリオ達がお相手いたしますので」
トゥリオとフィノが護衛に残るという意味だ。それを汲み取ったシャリアは頷いて、主にそのまま待っているよう進言する。
目線で合図するとチャムはカイとともに立ち上がった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます