異邦の女王

「ちゃんとアルバート陛下にお招きいただいたので参ったのですよ?」

 当たり前である。


 ホルツレインほどの大国ではないとはいえ、歴史ある国の女王なのである。伝統だけでなく、今や国土に於いても中隔地方最大の国家となっている。ラダルフィー事変の後、シャリアに手玉に取られた北方三国の外交部門は、関税などを理由にメルクトゥーにごっそりと領土を持っていかれていたのだ。

 希少金属の産出で国庫は潤い、十分な広さの国土の開拓も急速に進み、国内需給は極めて活発となっている。そうなればお零れに授かろうと、国内事情の芳しくないメナスフットを除き、イーサル、ウルガンの両国は関係深化を求めて擦り寄ってくる。しかし、金などの買取や物的支援、技術支援で復興を大いに後押ししたホルツレインへの感謝を忘れなかった女王は、強く手を結ぶ先を西方と定め、緊密な情報交換と連携を図っていた。


 その結実が魔境山脈横断街道の敷設であり、象徴とも言えよう。その開通にあたり、招待されたとしても特に不自然はない。

 ただ、時期はあまり宜しくなかった。

 西部に於ける魔闘拳士の動向を察知したロードナック帝国は強い警戒感を抱いている。そこへ中隔地方で右肩上がりの好況を見せるメルクトゥーがホルツレインと組むのは、見過ごす訳にはいかない事態であろう。

 何らかの妨害や、最悪暗殺の危険も高まる外遊は、選ぶべきでない選択肢と誰もが思う。なのでクエンタは、極秘裏にホルツレインへ渡航する計画を企て、実行に移したのだった。


 商人一行に偽装したクエンタ達は、警護の傭兵に扮した親衛隊士を供に、普通の交易船で南海洋を西進し、カロンの港に降り立った。

 そこで彼女らの到来を待っていた、やはり傭兵団に偽装したホルツレイン騎士団の警護も受け、一路ホルムトへの道を取ったのである。しかも、商品としての貴石類を建前通りに携えて、昨陽さくじつ城門をくぐったのだった。


「ですから大義名分は整っているのです!」

 室内に案内されソファーに掛けたクエンタは、手振りも激しく正当性を主張する。

「ええ、この外遊の正当性は疑っておりませんとも。ですが、極秘裏の渡航であるなら、軽々に一民間人の家屋を訪問すべきではないのではありませんか?」

「民間人? 魔闘拳士様が? ご冗談を」

「だから説明したではありませんか。名誉位しか持っていませんと」

 知り得た事実だとは心得ながらも、クエンタは不満気な様子を見せる。

「この国は、実に豪気でいらっしゃる。自国軍隊を一人で相手取っても引けを取らないような戦力を遊ばせておくほどの余裕がおありなのですね?」

「それは幾らなんでも荷が勝ちますよ」

 シャリアの言葉にも少々の皮肉が交えられる。勧められて、近くの卓に着いた親衛隊長カシューダもそれには鼻白む様子を見せる。

「まあ、来てしまったものは仕方ないのでおもてなししますよ」

 これも一国の女王へ向けての言葉ではないだろう。


 場所柄ゆえの無礼講で、クエンタの隣に腰掛けたシャリアは首を傾げる。

「英明なる君主であらせられるアルバート陛下にしては、手落ちだと思えます」

 宰相の立場では、国防や国力増強の観点から、英雄の名など利用の材料としか思えない。だが、彼が世界各地を動き回り掻き混ぜてくれるのは、女王の地位を確固たるものとし、メルクトゥーと西方国家との繋がりを強くするのに都合が良いと口にする。

「開けっ広げに言いやがるな?」

「こんな事はここでしか言いません。弁えております」

 冷徹なすまし顔から人間臭さが垣間見え、トゥリオは大笑する。


 シャリアの演出した簒奪劇は故国の人々を傷付ける結果を伴い、その罪の意識も払拭されてはいないだろうが、メルクトゥーの興隆に全力を傾ける事が償いだと考えているようだ。

 その姿を見れば、カイも彼女を手に掛けなかったのは正しかったと思える。

 権力を振りかざした搾取や虐殺には過敏な反応をする彼ではあるが、シャリアの行動然りナミルニーデのような例も然り、信念に伴う未必の故意と言える行いにはおおらかな対応をする。身を投げ出す覚悟の上の行動には、酌量の余地が有ると考えていた。

 シャリアの覚悟は、今後の大きな仕事の糧になるだろう。


 ティーカップとともに、テーブルの上には軽食がずらりと並べられた。

 この家の特殊な構造、裏手の大きなスイングドアからは自由にセネル鳥せねるちょうが出入りし、土間を経由してフロアまで普通に入ってくる様を驚きの目で眺めていたクエンタも、そちらに目を奪われる。

 大皿には、湯煎して薄く延ばし切り揃えたモノリコートが乗ったクラッカーに、同様に各種チーズをスライスして乗せたクラッカーが色とりどりに広がっていた。

 モノリコートクラッカーは、漂う香ばしさに濃厚な甘みと程よいほろ苦さの上に、クラッカーの塩味が加わって絶妙な味のハーモニーを舌の上で奏でる。

 柔らかなモッツァレラチーズのクラッカーは、爽やかな香味と塩味、そしてほのかな酸味が口の中に広がる。

 プロセスチーズのクラッカーは全体に塩味が強いが、プチプチとした心地良い食感とその中でしっかりとした旨味が舌で踊る。

 そして新たに作っているゴーダチーズのクラッカーは、ムチッとしたしっかりとした食感が口中に弾けると、後からやってくるどっしりとした旨味と満足感がお腹の底まで溜まるように感じさせた。


「こ、これは!」

 それなりに美食を知っているクエンタだが、何気なく口にした軽食に固まる。

「え? え? 何ですか、これ? こんなに濃厚なチーズ…、かなり高級品のはず。嬉しいですわ、こんなに歓迎されるなんて」

「はずれ。取って置きなんかじゃなくて普段から私達が食べているものよ」

「嘘です。これほどの品質なら結構な値が付くはずですよ?」

 女王は疑わしい目付きを崩さない。

「基金の牧場の製品です。引き合いは多いのですが、特に高騰しているとは聞いていませんね」

「これほどですか…?」

 シャリアは少なからず情報を持っていたようで、手にしたクラッカーをじっと見つめている。

「これがルドウ基金の牧場の製品なのですか!?」

「そうですよ、クエンタさん。普通の製法で作っているものですが、原料の牛乳は黒縞牛ストライプカウ、つまり牛系魔獣のものなので、普通は口にする事はないでしょうね」

「魔獣!?」

 街道から見えたであろう牧場で飼育されているのが人類の天敵と聞けば、こんな反応が返ってくるのは当たり前だろう。

「穏和な魔獣ですよ。子供達に世話をさせているくらいですので」

「噂には聞いていましたが本当なのですね?」

「共存できる種は意外と多いのですよ? この子達みたいにね」

 クラッカーを齧るのに夢中のリドの頭を撫でる。

「この事業もザウバ周辺で展開可能でしょうか?」

「これは少し細工が必要なので難しいと思います。何より理解が必要なので」


 街壁外とは言え何百頭もの魔獣が飼育されているのが許容されているのは、それを管理しているのがルドウ基金であり院の子供達であるのが大きな要因だった。

 元々信用の高かった彼らが手掛けているからこそ、大きな批判は上がらなかったと思われる。その素地が無い状態で、都市近郊に魔獣の牧場を運営するなど極めて困難だと言わざるを得ない。


「なるほど。つまり段階的に進めるのは可能みたいですね?」

 メルクトゥーの宰相はやる気満々である。

「魔獣除け刻印の使用契約も進める気なのでしょう? 色々と大変ですよ?」

「詰めさせてもらっても宜しいでしょうか?」

 引いてくれないようでカイは苦笑い。

「甘い塩っぱいの繰り返しは危険ですわ!」


 傍らで手の止まらなくなったクエンタの様子が原因だろう。

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