渡り来た同行者

 自宅前の空き地にずらりと並んだ金属棒。それは全て細型の空気圧緩衝装置エアサスペンションである。

 腕慣らしにと並行作業で組み立てたものが既に六十本ほど。あの指揮戦車として試作した新型馬車一台につき、四本の装置が必要。現在、一部統合を果たした事で稼働中の孤児院が四十八。残り百三十本強の緩衝装置を組まなければならない。あと数は工作を楽しめそうだ。


 現状、それぞれの院に円筒コロベアリングを採用した、少々高性能なだけの荷車を配している。それは基本的に黒縞牛ストライプカウ牧場通いの子供達の足であり、牛乳保冷缶の運搬用である。

 全ての院が午前中に牧場へ往復し、一分の牛乳と個々に消費するバターやチーズを持ち帰る。そして、自分達で調理して食事を作っているのだ。

 職業訓練を兼ねた躾と教育を目的とし、本人や親の要望で託児の子も運搬や牧場作業に従事する。自然に出来上がったそんな習慣も、もう二以上も続いている。


 そんな院だが未だ卒業者はいない。当初、子供の保護は積極的に行われたのだが、基金の方針で十三歳以上の子供は職業斡旋のほうに回され、どこかに弟子入りして一人前になっている子が多い。

 十二歳以下の子が院で暮らすようになり、十四~五歳から希望職を尋ねる面接をするようになる。なので、既に面接を受けた子供は少なくないのだが、今のところその全てが院に残る道を選んでいるので卒業していないのだ。


 別に彼らが気楽な院の暮らしから抜けられずにいるのではない。皆、職員として責任を負って働いている。当然、給金も払われているので住み込み職員の形式になっている。

 いずれ彼らも社会を知るうちに目標が出来るのかもしれないと思って、カイは好きにさせている。今は下の子達に頼られるお兄さんお姉さんで構わない。やりたい事が出来た時に、十分な備えを持って巣立っていってくれれば良いと考えているのだ。


 その託児孤児院は十全に機能していて、結構な利益を生み出してしまっている。ホルムトに入る前に立ち寄った牧場の規模は、二と少し前の三倍近くまで膨れ上がっていた。

 牛乳はかなりの量をモノリコート工場に持っていかれるものの、生乳販売としても各地区の商店に卸している。生産されるバターやチーズも好評を博し、注文は引きも切らない。王宮からさえ注文は継続中。

 その為に人力作業には早々に限界を感じ、牛達の身体を洗ったりする為に選んだはずの川の側にはずらりと水車が並んで、攪拌機や遠心分離機の動力と化してしまっている。

 全てはカイの判断の下にイルメイラが手配し、牧場に付随する作業場は壁内からの雇用の従業員で機能している。なので、子供達がやっているのは三倍に膨れ上がった黒縞牛ストライプカウ達の世話と搾乳作業、あとは自分達で消費するチーズ作りを小規模にやっているだけになっていた。


 カイ達が自宅に帰ると、新鮮な牛乳やチーズが山ほど届いており、彼らの疲れを癒すのに一役買ってくれた。

 そのお礼と言っては何だが、新型馬車をそれぞれの院に一台ずつ送る為に彼は作業に精を出しているのであった。


「ん? おやつの時間かな?」

 背後から近づく人は、サーチ魔法で脳裏に投影されている。それはチャムかフィノだろう。

 牛乳を傍らに置いて作業しているので喉の渇きは覚えていないが、少し手を休めるには良い時間かもしれないと彼は思ってそのまま声を掛けた。

「少しだけ待って。キリがいい所までやっちゃうから」

「……」

 ところが返事はなく、ただ背中に縋り付く感触がする、触れて感じる魔力は彼女達のものではない。

 咄嗟に振り返ると、そこには印象的な鮮やかな黄色の頭頂部が見える。

「何をしていらっしゃるのです?」

「感動の再会を噛み締めております」

 悪戯に見上げる紅い瞳が填まった非常に整った顔には見覚えどころではない記憶がある。

「広くて暖かい背中。わたくし、あのの事を思い出してしまいますわ」

「僕にはそこまで親しくした覚えがないのですけれど」

「そんなつれない事をおっしゃらないでくださいまし、魔闘拳士様」


 知り合った仲ではある。

 その、朝陽とともに飛び始める蝶の羽のような美しい黄色の長い髪を、彼女の民は敬愛とともに見つめる。

 彼女の民。ここにいる訳の無い人物。なぜなら一国の女王だからである。

 彼女の名はクエンタ・メルクトル。これから出向く先であるメルクトゥー王国の女王。


「どうしてまたこんなところに?」

 張り付かれているのは気になるが、無理に引き剥がすほどには嫌ってもいない。

「貴方様にお会いしたくてはるばる海を渡って参りました」

「嘘を吐いてはいけませんよ? 本来の務めは別にあるでしょう?」

「わたくし達の間には邪魔なものですわ」

 説得は功を奏しないようなので、別の人物に救援を請う事にする。

「貴女が付いていて、どうしてこういう事になるんですか、シャリアさん?」

「何ら問題がないようでしたら、私は御意に従うまでですよ、カイ殿」

「それじゃあ、いったい他の誰がお諫めするんですか?」

 少し離れた場所で控えている人物も頼りにはならなさそうだった。


 黒髪をショートボブにした女性は、藍色の瞳で彼をじっと見てくる。

 刃主ブレードマスターをして『女狐』と言わしめた人物は、そのメルクトゥー王国の宰相シャリア・チルム。膨大な情報量データベースを誇る彼女にはカイも時折り世話になってきた。

 女王と宰相、の王国を統べる中心人物が二人して、遥か彼方のホルムトまでやって来ているのである。カイでなくとも何をやっているのか訊きたくなるというものだ。


「ご自分のお立場を考えてください。今、メルクトゥーはどうなっていると思っているんです?」

 やっと両肩を押して距離を取った黒髪の青年は覗き込むようにして訊く。少しでも後ろめたければ視線を逸らすであろうと思ったからなのだが、彼女はその美しいかんばせを見せつけるように上向かせてきた。

「何ら問題有りませんわ。わたくしがいなくとも我が民は皆、陽々ひびを楽しく生きていることでしょう」

「…そういう事ではないのですが」


 外憂は取り除かれ、急速に回復を見せた経済状況の中で国民は平和と安寧を享受しているかもしれない。だからと言って暮らしの中で起こる様々な懸案事項が無くなる事は決してない。

 裁定すべき人物が遠く離れた地にいるならば、その対応が完全に滞っているという意味。それは統治を放棄していると言われても仕方がないだろう。


「お気遣い感謝致します。ですが、現在の政務はラガッシ殿下に一任されております。王国は滞りなく運営されていると考えておりますので」

 当然の疑問には、シャリアが明確な答えを返してきた。

 ずいぶんと大胆な方法を取ったものだ。王弟ラガッシは前国王であり、姉弟で王国を二分して奪い合いをした間柄である。王位継承権は剥奪されたとは言え、彼の中で野心が燻っていないとは限らない。

「帰ったら、国が奪われているのではないですか?」

「軍事には一切関与出来ない仕組みにしてあります。それにおそらくは現在、御方は眠る暇も無いほど政務に忙殺されている事でしょう」

 宰相は、主筋の血を持つ貴人に対して実に冷たく分析の言葉を放った。

「あー…」

「今や我が国は、陛下と私抜きでは回らない国となっておりますので、ご心配は不要かと」


 シャリアの面に浮かぶ表情は笑顔以外の何物でもないのに、カイは怖ろしいと感じてしまうのだった。

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