新街道巡察行
成長の形
緩やかに湾曲する回廊を二本の矢が走る。
茶色い二本のうちの一本は大男の前で不規則に軌道を変えると、差し出された手を搔い潜って突き立った。
「ごふぁっ!」
もう一本も鋭い変化を見せるが、標的は微動だにしない。十分に幻惑して突き立ったと思った瞬間、標的を見失っている。
「捕まえた、スレイ」
気付くと掴み取られていた。
「確保」
そう言うと、彼の茶色い髪を軽く撫で、青髪の美貌が覗き込んだ。
彼の名前はスレイグ・リーガンモーツ、年齢三歳。親類にはリーガンモーツ伯爵家を持つが、彼自身は新たなリーガンモーツ騎士爵家の長子に当たる。
父はハインツ・リーガンモーツ、近衛騎士団長補の一人である。王家付きで、騎士としてはエリート中のエリートだ。
スレイグにはまだはっきりとは分からない階級や人間関係だが、友人が本来は友と呼んではいけないほど身分の差があるのだと、母ファリアに言い聞かされている。
その友人も今、黒髪の青年に担ぎ上げられて「や ―― !」と暴れている。
友人の名はチェイニー、同じく三歳。チェイン・ゼム・ホルツレインといって、この国の名を家名に冠している。つまり、王家の血族なのだがスレイグ自身はおぼろげにしか理解していなかった。
「チェイニー、無理ー。お終い」
少し抵抗してみたが、この青年に捕まってしまうと
「ぶー」
友人は不平たらたらのようだが、暴れるのを止めると青年は笑いながら床に下ろしてくれた。
すぐにあの場所に駆け寄る。足に縋ると、緩やかに打ち振られる白地に模様のある尾が背中を優しく叩く。尖った爪のある手がふわりと友人とスレイグの頬を包む。
枝葉越しに差し込んでくる
二人は、その暖かな場所が大好きだった。
◇ ◇ ◇
ここ数
それも、内一人は王孫チェイン殿下その人である。わずか三歳とは言え止められる者などいない。
いや、正確に言うと、物理的に誰にも止められなかった。
彼は
当初は「さすが王家のお方」と手放しで褒めそやす者がほとんどだったが、彼がその能力に振り回されず、意のままに行動を可能にするようになると手が付けられなくなった。
そして、それに輪を掛ける事態が到来する。
ほぼ同時期に生まれて、赤ん坊の頃から懇意にしていたリーガンモーツ騎士爵家の息子も身体強化能力を発現したのである。
おそらく、この二人が行動をともにしている事があまりに多かった為に接触も多く、誘発現象として発現したのだろうという魔法院の見解だった。
誰もそれは責められない。
長姉セイナは齢十二にして既に研究結果を出し、事業にもしている。長兄ゼインは十歳になり、後継として多くの事を学ばねばならない時期を迎えている。二人とも忙しい身の上だ。
父クラインは王太子として国政に深く関わっているし、母エレノアはそれぞれ子供達の世話の上に、外交上の公務も少なくない。不本意ではあろうが、チェインだけにかかずらってはいられないのである。
なので、王家と深い関りを持つ、年頃の近いリーガンモーツ騎士爵家の長子を友人としてチェインは過ごしてきた。
その結果が現状の暴走幼児の出来上がりである。
止められるとすれば、スレイグの父ハインツがギリギリと言える水準で、後は狼頭アサルトを始めとした獣人騎士団の面々以外に該当する者はいなかった。
ところが、十
青髪の美貌は、本気にさせると彼ら二人を手玉に取ったし、青年に至っては幼児達ではまるで歯が立たない。赤毛の美丈夫はあの手この手で翻弄出来るが、怒らせると捕まってしまう。そして、可憐な獣人女性は彼らの憩いの場所であった。
ホルツレインの英雄、魔闘拳士一行の面目躍如である。
◇ ◇ ◇
「めっきりこの子達のお目付け役ねぇ」
チャムはチェインの茶色い髪をくしゃくしゃと掻き混ぜる。
一応は「やっ!」と拒む姿勢を見せるが、二人がその美貌を憧憬の眼差しで見上げているのには気付いているから、からかっているのである。
「めっ! ですよ?」
フィノはそう叱るが、彼らを見る瞳には慈愛が籠っている。
「大丈夫?」
金的に痛烈な一撃を受けたトゥリオをカイが助け起こすと、顔を顰めて立ち上がり睨み付ける。
「このクソガキどもが!」
「ダメだよ。まだ小さい子の前で汚い言葉を使っちゃ」
「甘やかすな。こっ酷く叱ってやらねえとこいつら分かんねえぞ?」
悔しげに肩を怒らせるのだから説得力はない。
「このくらい元気で良いんだよ。何なら君が反面教師として見せてあげれば? こんな大人になっちまうぞって」
「どういう意味だ、そいつは?」
「この子達は素直だよ。君はもっとへそ曲がりだったんじゃないかな?」
口元を歪めて「うるせー!」と反論する大男だが、カイは取り合わずに笑っている。
「あねうえ」
「あねうえー」
男児二人が回廊向こうから現れた少女に反応する。
彼女は二人にとってすごく親身に接してくれる優しくて大人っぽい大切な姉だった。
悪戯が過ぎると真摯に諭してくれ、一緒に大人に謝ってくれる。控え目だが微笑みを忘れずいつも見守ってくれ、彼らが纏わりついても嫌がらず、何かを訊けばきちんと答えてくれ、知識も広く思慮深さを持っている。
この
駆け寄ろうとした二人だったが、今まで見た事もない表情をした彼女に躊躇ってしまう。
「お兄ちゃん!」
ドレスの裾が踊るのにも構わず駆け出した彼女は、黒髪の青年の胸に飛び込んでいった。
「やあ、タニア、元気そうだね? 大きくなったし、それに綺麗になった」
「そんな…、恥ずかしい」
彼女の名前はタニア・バーデン。王孫セイナと同じ十二歳でありながら、僅かに大人っぽさを漂わせていると男児達は感じている。
それは単にセイナが彼らにきちんと責任を感じ口煩く叱ったりするからであり、貴族でもないタニアが男児に少々の気後れを感じている結果なのであるが、彼らにはそんな事は分からない。
その彼女が誰かに甘えるという意外な姿を見せているのが二人には珍しくて目を丸くしていた。
「そして重くなった」
膝を突いたカイが、まるで重さを感じないように抱き上げる。
「もう! お兄ちゃんったら!」
「ごめんごめん」
怒り口調だが表情はそれを裏切って、笑みが絶えず少し涙を滲ませていた。
社交界でも、蕾が花開くように美しくなっていく彼女に注目は集まっているのだが、男児達が纏わりついている間は半端な貴族では近寄れないので、その人気には気付いていない。ただ、自慢の姉が注視されているのは敏感に察し、鼻高々になっている。
「よお、やっと会えたな」
問題が有るとすればこの人物に限る。
「お疲れ様です、オーリーさん。例の件ですか?」
「ああ、話が通りそうだぜ」
男児達は優しい姉の父親である彼が苦手だった。
このオーリーだけがどこに在っても、彼らがやんちゃをすると声を荒らげて叱ってくる。いつもならタニアの後ろに隠れるのだが、今はそれが適わずフィノの後に逃げ込んだ。
その様を見て、ニヤリと笑う顔が怖かった。
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