力ある意思
ここ
正直、彼女の処理容量を完全に超えているのだが、自分の立ち位置がかなり微妙なものだとも自覚させられた所為もあって、放りだす訳にもいかず苦しい思いをしている。自分の中で整理を付けるには少し時間が必要だろう。
(あんな事やらかしちゃったんだから、御神には信用されないわよね。離別までは告げられなかったけど、距離を置かれるのが普通かしら?)
身体は結構疲れを感じるのだが、頭は妙に冴えて熱を持っているようにも感じる。
彼が女性用に作ってくれたテントの中で、毛布にくるんだ身体をころんと転がして寝返りを打つ。前髪が額をくすぐる感触に、乱れているのではないかと思うが今はどうでも良かった。
(カイがほぼ不死だといえるのは安心材料。でもその所為で平気で無理しそうだし、目にするこっちにすれば寿命が縮む思いだって言っても危険に身を置くのを止めてはくれないんでしょうね?)
急いではいないようだが、何らかの答えを出すまでは大いなる意思の意図に従うつもりなのだと思う。
目を瞑っていると、思考に没入し過ぎてしまいそうで目を開ける。布を通して見える、揺れる橙色の傍らには彼が寝転がっているだろう。何度も目にしている無邪気な寝顔が脳裏に浮かぶ。
(おそらく彼は、今後も色んな局面を持てる力を使って切り抜けていくわ。その中には必ず
あれは果断で苛烈なカイの正義への信念の表れのように感じる。その精神の在り様を具現化したかのように見えるのだ。
異空間で黒髪の青年の魔力に浸った時の事を思い出し、身体が自然にもじもじと捻転を繰り返しそうになる。暗くて見られる事はないが、羞恥心に上気しているのではなかろうかと思う。
(待って。恥ずかしがっている場合じゃないわ。彼の内で何が起こっているのか考えないと。連発したり長時間発動を避ければ良いって言ったけど、本当にそう? もしかして、少しずつでも変質していっているんじゃないかしら?)
それは感覚的な問題なので、カイにしか分からないかもしれない。でも、触れて精査すれば変質は感じられる可能性はある。
その部分の構成を編もうとして目を瞑ると、異なる疑問が脳裏に急浮上してきた。集中出来ていない証拠だが、彼女はその疑問に捕らわれてしまう。
(あの魔力量に、普通の人体は耐えられるもの? 神経系を焼くような膨大な量の魔力が全身を駆け巡るのよ。どう足掻いたところで耐えられるなんて思えない…)
変質場所を想定しようとしてその時のカイの身体の状態を想像すると、明らかに人体の限界をゆうに超えてしまっているのだと思えてしまって仕方がない。
思わず目を瞠る。しかし、その目には暗闇は映っていない。様々な可能性がチャムの思考の表面を滑っていく。だが、彼の状態に合致するような可能性は浮かんでこなかった。
(どういうこと? あり得ない。もしかして、あの人の身体はもう変質してしまっている? ううん、そんな感じは全然しない。それは触れているから分かる)
最近、とみに増えた接触でカイの身体に大きな変化は感じられない。出会った頃に比べると幾分か成長しているのは分かる。背も伸びたし、厚みも増して男臭さは上がっていると思うが、本質的には変わらない。
思わずぞくりとチャムは震えた。浮き上がってきた一つの可能性に、思考が埋め尽くされそうになる。それはカイの肉体が変化しておらず、元からそれに耐え得る構造であった可能性。
(そう…。そもそも前提からおかしいのよ。幾ら格闘技に非凡な才能を示しているからって、幾ら精神が向こうの世界から離れつつあったからって、大いなる意思は何でもない普通の人間をこっちの世界に取り込もうとする?)
ただの人間では、己が意図を実現し得るとは限らない。なのに、その意思はカイ一人でそれが成し得ると確信しているかのように、集中して関与しているとしか見えない。
その可能性を吟味するほどに、彼が或る存在であるかのように思えてきて、チャムは体の震えが止まらなくなってきてしまった。
(元から強靭な肉体? …もしかして、向こうの世界がこの世界より極めて複雑な構造をしているのだとしたら? そんな世界だからこそ、より大きな歪みを孕んでいるのだとしたら?)
その世界の大いなる意思は何をしようとするだろう?
(もし、その歪みに楔を打ち込もうと、強靭な肉体と精神を備えた存在を生み出したのだとしたら?)
思索が止まらなくなる。
(そんな存在だからこそ、歪んだ社会から精神が乖離していったとしたら? それを見つけたこの世界の大いなる意思がその意図の為に取り込んだのだとしたら?)
生唾を飲み込む。呼吸も安定しない。
(あの人は…、カイは元の世界の大いなる意思の一端のような存在。その力の一部を有する分身のようなもの…)
正解に近付いたような気がするチャムは、逆に心が落ち着いてくる。
(或る種の神に近い存在)
それは一つの結論だと思えた。
(私、御神からは見放されたようなものだし、巫女の務めなんてもう求められたりはしないわよね?)
それまでとは違う感覚が背筋を駆け上ってくるのを感じる。
(だったら良いわよね、仕える相手が変わっても?)
チャムは顔がにやけ始めているのに気付いていない。
(異世界の神の巫女。あの人の巫女。あー、なんか悪くない気がしてきちゃった)
声が漏れないよう、口元に手を添えて忍び笑いをする。
(もし宿願を叶えられたら、私は彼の意思に添う者として生きていこう)
(そう、カイは『力ある意思』)
◇ ◇ ◇
『触れるべからず
触れるべからず
其は神の意思知る者なり
大いなる意思に従う者なり
世界を断ずる者なり
その名は魔闘拳士
神
触れるべからず』
◇ ◇ ◇
いつの間にか眠りに落ちていたチャムは、早暁の中、ハッと目覚める。
それは神の啓示だ。神託である。
聖域でもない場所で自分が受け取ったという事は、世界各地の受容者が同じものを受け取っているという事を意味する。
それほどまでに大いなる意思を担うカイを怖れたのもあるだろうし、それを阻もうとする人の子を案じたからでもあろう。しかし、彼女は思う。
(御神、この御判断はあまりに危険でありましょう?)
◇ ◇ ◇
「おお…! 神への扉、開かれたり!」
「首座様、どうかなされましたでしょうか?」
レースの布越しに主人が身体を起こしているのが分かる。その身体は遠目にも震えていると知れた。
「失礼いたします」
レースを捲ると彼女の主人はカッと目を見開き、いつになく興奮しているように見えた。
膝に置かれた腕は萎れ、それだけで老境を感じさせる。皺に覆われてしまった面も、往時は美しさを誇っていたと分かる片鱗を各所に見せている。しかして、今は白髪の老女であるのは間違いない。
「神へ至る道、見出したり!」
震える腕が彼女へ向けて差し出される。
「神
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