民のものは民の手に
ナミルニーデに続いて扇動役の者も全て捕らえられて、こちらは衛士詰所に連れていかれる。結果、指揮戦車の勇者王と王妃、そしてカイ達が群衆に囲まれている形になった。
衛士隊長が解散の指示を仰いだが、その命令は下らなかった。
「『民のものは民の手に』か。その言葉は否定しない。あたしも国という仕組みは民の為にあると思ってる。私物化するつもりはないわ」
それは異端な考えだと言えよう。王国に於いて、国は王と同様と考えるのが普通だ。民は付随するものとされても変ではない。それが欠かざるべきものであっても思想としてはそうなのである。
「あたし達は邪魔なの?」
煽動された結果とは言え王妃の排除に賛同する声が満ち渡り、体制側の人間を不要と訴えられたのは、深くアヴィオニスの心に突き刺さっていた。
「……」
周囲からは応えはない。怖れているのではないが、誰もそれには答えられない。
「無理ですよ。彼らに政治は出来ません」
「ちょっと!」
「国内情勢や国外情勢、経済状況、諸外国との現在の関係、軍の配置、そういったものが分からないから出来ないと言っているのではありません」
群衆に対して意見を始めたカイを、経緯を説明した者としてチャムは制止しようとするが、彼は無視して続ける。
「それらは知れば済むこと。ですが、普通の市民には統治というものが根本的に理解出来ないのです。国体の維持に身を投げ出す意識などありません。自分の事で精一杯です」
「我が国の民を馬鹿にしないで!」
カイの意見を否めないとはアヴィオニスも感じているのだが、そのまま受け入れるのは業腹だった。
「馬鹿にしたくもなるでしょう。あんな噂話一つで煽られて、あわや体制転覆というところまでいったのですよ?」
青年は肩を竦める。
「次はどうするつもりだったのか訊いてみてください。ナミルニーデ嬢を国王に据える気だったのでしょうか? それでは民に手による国ではない」
手をヒラヒラと振って見せる。
「全てを自分達でやるつもりだった? 一つの事だけでも、皆が顔を合わせて決めるとでも? それが非現実的だってのは子供だって分かるでしょう? 彼らにはどういう組織を作れば『国』という『人の集団が効率良く生活する仕組み』を維持出来るのか、考える事も出来ないんですよ」
民衆は静まり返っていた。
英雄という或る種一つの正義の象徴に否定されている。普通なら腹立たしい内容の筈でも、それが彼らを動けなくさせている。
しかも後ろめたさは否めない。現状を作り出した原因は自分達にもあるのは明白。
更にその内容は、辛辣ではあっても間違いではない。反論出来るほどの能力が自分の中に見出せない。
俯いて視線を逸らすしかないのだった。
「考えられないなら考える事が出来るようにすればいいのよ!」
反論の声は王妃から上がる。
カイはぐるりとアヴィオニスに向き直るとニヤリと笑う。
(乗せられた!)
そうは思うが、もう後戻りは出来ない。
「あたしだって何もかもかなぐり捨てて勉強したから今がある。それは時間を掛ければ誰にでも出来る事よ」
「どうやって? 市井の民には勉強する場所もなければ、師もいませんよ?」
「そういう場所を作れば良いんでしょう。財源は目途が付いたから作って見せるわよ!」
必死に頭を回転させる。道筋は作ってくれたのだから、間違わないように辿ればいい。
「大人にはそんな時間はありませんよ。家族の生活を守らなければいけない」
「もちろん、子供を主眼に置いた教育の場を作る。将来、国の事も考えられるような子供を育てるわ」
「それでどうするんです?」
夢物語を語っても仕方ない。ここは実現が可能な手段を提示しなくてはならない。
「市民の代表が国政に意見出来る組織を作る。いきなり政治参加は無理だから、それが出発点。政治を理解した人と、後進を導ける人を生み出すの」
「なるほど。でもそれにはすごく手間と時間が掛かりますね?」
王妃は頷くと、市民のほうを向いた。
「もっとあなた達の声を聞かせて」
差し出した手を胸に当てる。
「あたしはこの通り、元は伯爵の娘でしかないの。皆の生活も皆の心も正直言って分からない。だから教えて」
城門広場に面した大きな建造物を指差した。
「あの政務公館に置いてある意見箱はただの建前ではないの。あたしが皆の心を知りたいから、皆の本心を聞きたいから置いてあるの。利用してちょうだい」
そこで一人の女性がおずおずと手を挙げたので、アヴィオニスは出来るだけ優しく「なあに?」と問い掛けた。
「あの…、あたし達はさっき魔闘拳士様に言われたみたいに政治の事が全然分からないんです。意見を出せと言われても、何を書けばいいんだかそれも分からなくて…」
「そうね」
微笑を浮かべて何度も頷いた王妃。
「今は日常の困り事とか、そういうので良いの。何が足りないとか、何が高くて買えないとか。いきなり政治的な意見は無理。それが出来るようになるまでは長い時間が必要だと思う」
膝に抱いていたルイーグを下ろして、すっくと立ち上がる。
「だから、それまではあたしに任せて」
腰を折って群衆に向けて頭を垂れた。
「どうかお願いします」
その姿を見た市民は理解した。統治が出来る人間というのは彼女のような人だという事を。
最初のひと声は、今度こそ煽動されたものでなく心からの言葉だっただろう。
「王妃殿下、ばんざい!」
その勇気あるひと声は切っ掛けには十分過ぎるものだった。
「王妃殿下! 俺達はあなたに着いて行きます!」
「勇者王陛下とともにあたし達を導いてください! お願いです!」
「やっぱりラムレキアには殿下が必要なんだ!」
「俺は最初からそう思ってたぞー!」
「なに調子の良いこと言ってやがる! 馬鹿野郎ー!」
どっと笑いが起こり、笑顔が広がっていく。
「勇者王陛下、ばんざい!」
「ラムレキア、ばんざい!」
「この国に生まれて本当に良かった!」
「帝国なんか怖くねえぞ! 我が国には勇者王陛下と王妃殿下がいてくださる!」
皆の言葉を受けてアヴィオニスの頬を歓喜の涙が伝う。
「必ずさっきの方針を叶えて見せるから、待ってて!」
王妃が震える声で伝えると、ザイードが聖剣ナヴァルド・イズンを抜いて天に掲げる。
「ラムレキアに栄光と繁栄あれ!」
人々の熱狂はこの時最高潮に達し、その声で城壁が震えていたと後に警備の衛士が語ったという。
◇ ◇ ◇
群衆の歓呼の声に応えながら、指揮戦車が城門の中に消えていくと、近衛騎士団や衛士隊は撤収準備を始める。
そんな中、我慢し切れなかったのか、一人の娘が駆け寄ってきて声を掛ける。
「あ、あのっ! 青髪の方! 貴女は勇者王陛下とは…、その…」
するとカイがするりとチャムの横に並び、その腰を抱いた。
「彼女は僕の女神ですよ? 仮に相手が勇者の末裔であれ、容赦しませんから」
娘の瞳は落胆を映さず、新たな興味に輝き始める。
チャムは青年の腕を絡め取ると、空いているほうの手の指を自らの唇に添え、その指をカイの唇に当てる。
興味津々で集まってきていた娘たちの口から黄色い悲鳴が上がった。
◇ ◇ ◇
(しくじりおったか、シュッテルベ侯爵の娘は)
城門外の様子の報告を受けたクルファットは舌打ちする。
(存外に脆かったな。少し時間が足りんかもしれん。王子の件はオルーク子爵に被せるとしても、もう一手打たねばならんか?)
思案を巡らすが、今一つ名案は浮かんでこない。そうしているうちに王の間への召集の伝令がやってくる。
(仕方あるまい。この騒動の責任を王妃に問う論調で攻めてみるか)
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