終わりへと踏み出す女

(止めても下さらないのでしょうか、陛下?)

 深更を迎えつつある街区にナミルニーデはその身を置いている。


(わたくしに止めろと言ってくだされば…、お前が間違っていると言ってくだされば…、立ち止まる事くらいは出来るというのに)

 街の喧騒はある程度の収まりを見せている。残っているのは興奮にその身を委ねた若者の一部だけだろう。


(それとも否定する価値もないと思っていらっしゃるのでしょうか? あの女に対するわたくしの言葉は讒言に過ぎぬとお考えなのでしょうか?)

 しかし、夜が明けて、また燃料をくべてやれば簡単に燃え上がるだろう事は彼女には分かっていた。


(勇者の血を継ぐ貴きお方であれば…、高潔なる正義の意思を継ぐ聖剣の主であれば…、高き位置にて善く導いてくださると信じていたのに)

 その燃料はナミルニーデの手の中にある。効率良く燃え上がらせる方法も知っている。


(あなた様があの女のやり方を良しとされるのであれば、わたくしに何をお望みになるのでしょう? ただ、黙って従うことをお望みですか? それとも、口煩くさえずり、あの女の引き立て役になるのをお望みですか?)

 以前ならそんな事まで思い至りなどしなかったはず。だが、今は躊躇いも感じずに手を下してしまうだろう。


(もし、栄えある我が国を取り戻すために魔王の役をお望みになるのでしたら、喜んで愛しきあなた様の前に立ち塞がりましょう。でも…)

 それは彼女の中に燃え上がる怨嗟の炎を魔法で顕現させるかのように。


(わたくしはラムレキアを燃やし尽くしてしまうかもしれませんですわよ?)


   ◇      ◇      ◇


 クルファットは眉間に寄った皺を隠すように手を当て、考える振りをしていた。


「明らかに度を過ぎておりますぞ、閣下! なぜお止めにならないのですか!?」

 口煩く吠えたてているのはオルーク子爵である。

 宰相執務室の扉をあまりに叩くので、仕方なく招き入れて見ればこのざまだ。

「このままでは宰相閣下まで任命責任を問われるかもしれません! あの暴走した娘と心中なさるおつもりなどないのでしょう? でしたらすぐに捕らえて陛下に差し出して身の潔白を訴えるべきです! そうしなければ破滅です! 僕は道半ばで諦めるつもりなどありませんよ!? すぐさま御決断を!」

「まあ、待て」

「しかし!」

 顔の前に手の平を突きつけて無理矢理黙らせる。


(企み事があるのを大声で吹聴してどうする? 役に立たんだけではなく害悪だな)

 彼は子爵を切り捨てる算段を始める。切り捨てるにしても少しは役に立ってもらわないと我慢して付き合っている甲斐がない。


「どうせ真っ向からでは切り崩せん。先陽せんじつの事は卿も忘れてはおらんだろう? 奸知だけ見れば王妃に盾突くのは骨が折れる。少し揺るがしてやらねば糸口も掴めんではないか」

 言い聞かせるようにオルーク子爵に説く。

「この事態も利用されるとお考えなのですか?」

「無論だ。でなければ勝手などさせんよ。民衆には不満を植え付ける。王妃には不安を植え付ける。何らかの手が打たれてこの状況が落ち着いたとしても、緊張状態は維持させる。そこに付け込む隙を生み出すのだ」

「さすがは閣下!」

 真っ赤になって怒りを表していた若い貴族の顔も、ようやく冷めてきたようだった。

「では、あの娘は捨て駒なのですな? 使い潰されるので?」

「そうなるな。どうにも思い込みが激し過ぎて使い勝手が悪い。ここで掬い上げてもまた何をやるか分からんでは難しい。行けるところまで行ってもらおう」

「精々燃え上がって熾火を残してもらう訳ですな? なるほど、相応しい使い道で」

 オルーク子爵にとっては、ナミルニーデが中心に事態が動いている事自体が憤懣やる方無いらしい。


(度し難い事だな? それなら王妃に振り回されているだけのお前など、まったく使い物にならない存在だろうに)

 女性を見下している暇が有るなら自分を高めれば良いものを、下に誰かを置かねば上を見た気分になれない者には本当の高みなど知る由もない。

(それならまだ、あのシュッテルベ侯爵家の小娘のほうがまだ役に立ってくれた)


「そこでだ。卿にもやってもらいたい事がある」

 いやらしい笑いを浮かべている若者に、クルファットは真剣な眼差しを向けた。

「難しい役なのだが頼まれてもらえないだろうか?」

「おお、閣下がそこまでおっしゃられるのなら僕でなくてはならないのでしょうな?」

「そうだ。明朝、街区のとある場所に行って欲しい」

 そう告げられるとビクリと震えた。大きい事を言ってはいるが、現在の街区に向かう危険を冒したくはないようだ。

「街区、でありましょうか?」

「うむ、そこに手紙を届けてもらいたいのだ」

「内容を伺っても?」

 それ如何では断る気なのかもしれないが、宰相は逃がすつもりはなかった。

「そこに、この騒乱の扇動役を取り纏めている者がいる。その者に機を伝える内容の手紙だ」

「機、とは?」

「このまま民衆どもの好きにさせれば最悪体制転覆などという良からぬほうへ向かうやもしれぬ。そうさせない為には、機を見て上手く矛を納めさせねばならないだろう?」

 オルーク子爵は「なるほど」と頷いた。

「その機を記した手紙なのですな? しかし、それなら下男でも走らせれば済む事ではございませんか?」

「事が事だけに、信を置く者を向かわせる約束をしてある。万が一、王妃に気取られて利用されては敵わないからな。だからこそ卿にお願いしたい。危険が伴う故に無理にとは言えないが、受けてはもらえないだろうか?」

「た、確かにそれほどの大事な役目であれば、僕以外に適任者はいないでしょうね?」

 暗に、断れば別の者に振ると匂わせると簡単に釣れる。

「お任せください。その大役、果たして見せましょうぞ」

「受けてもらえるか? 有難い。では、すぐに用意する故、待っていただきたい」


 クルファットは封蝋までした手紙を用意してオルーク子爵に手渡した。

 しかし、手紙の内容は伝えたようなものではない。『手紙を持ってきた者を、そのまま捕らえてそこに監禁せよ』と記してある。


 それは保険だ。

 宰相が告げた場所にはルイーグ王子が監禁されている。何かの間違いで誘拐された王子が発見されたとしても、彼が手引きして城門外に連れ出したところで暴走した市民の手によって拉致されたかのように見せる策である。

 解放後に子爵が何を主張しようが、彼は貴人を連れ出した罪人だ。戯言に過ぎないと一喝してやれば誰も追及など出来ないだろう。

 それ以前に、せっかく捕らえた王子を手放すつもりもない。大切な身柄なのだから、もっと有効利用する算段を立ててあるのだ。


(さて、どこまで引っ張るか? あまり動かないようなら王妃の尻を叩いてやらねばなるまいが)


 クルファットは次の手順に思いを巡らせた。


   ◇      ◇      ◇


 翌陽よくじつの朝、ザイードとアヴィオニスが王の間に戻り城門外の様子を探らせていると、慌てた様子でルイーグ王子付きのメイドが王の間に駆け込んできた。


「陛下、申し訳ございません!」

 段の下で両膝を突くと床に頭を擦り付ける。

 聞くと、王子に起床を促そうと彼女が部屋を伺うと、ベッドがもぬけの殻だったのだと言う。

「どうしたという?」

「そうよ。居ないにしても貴女が謝るようなこと?」

「それが…」


 彼女は昨陽きのう、ルイーグから相談を受けたのだと告げる。城門外の騒動は市民が誤解しているのだから自分が出て行って説得に当たりたいが、外に出る手段が無いかと問われたと。当然断ったのだが、王子が独自に何か手段を見つけて出ていったのではないかと主張した。


「昨夜のうちにわたくしがご報告申し上げておけばこんな事には…」

 メイドは涙ながらに訴える。


 これには、さすがにアヴィオニスも面を青くしていた。

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