彼女の災難

 執事に入室許可が与えられて、案内された政務官が恭しく差し出した書類に目を落としたアヴィオニスは渋い顔を見せた。


「あなた、こんな案件をあたしまで上げてくるってどういうこと? 期待し過ぎているんだとでも言いたい?」

 厳しい言葉が飛んでくる。

 しかし、彼はそれを覚悟の上での行動なのか、一文字に引き結んだ口元は揺るがない。

「いえ、あまりに特殊な案件なのでご裁定が必要であると判断致しました」

「そこまで言うの? ただの詐欺としか思えないけど、ここに記されていない情報があると思っていいわけ?」

 どうやらその書類は捕縛した容疑者の調書であるらしい。

「は、本人が強硬に主張したので、念の為に確認させたところ、全て本物だと判明しましたので」

「本物!? 馬鹿を言わないで! どこにそれだけの数の燐珠りんじゅが存在したって言うの? そんな有り得ないこと…」

燐珠りんじゅ?」

 尋ねると同時にカイが失笑し、チャム達も隠そうともせずに吹き出して、互いに目を合わせている。

「何かご存知?」

「いやいや」

 頬を引き攣らせて睨みつけてくる王妃に、青年は馬鹿にしているわけではないと弁明する。

「それはきっと僕の知り合いなので解放してもらえませんか?」

「事情を聞くから連れてきなさい」

 溜息を吐いた彼女は政務官に指示した。


 衛士に連れられてきた女性は、室内に見知った顔を見つけて泣きついた。

「チャムさん、チャムさん、私何も悪い事なんてしていませんよぅー! ここの人達に説明してくださいー!」

 子供のように泣き叫びながら青髪の美貌に抱き付いた彼女を、チャムは優しく宥める。


 急に犯罪者扱いされて連行され、拘束尋問された上に、更に厳めしい建物の奥深くまで連れてこられた彼女は相当心細かった事だろう。もしかしたら、いきなり死罪にされてしまうのではないかとびくびくしていたのかもしれない。


「災難だったわね、モルセア」

 しゃくり上げる真珠卸し屋の女性の背中を、彼女は苦笑いで撫でている。

「あなたなら問題無く販路を構築出来るだろうとお任せしたのですが、何か失敗なさったんですか?」

「そんな事言っても従来の販路しかありませんから、まずはそこに持ち込んだだけなんです! 別に騙そうだなんて欠片も思っていません! ちゃんと『試作品で質も落ちますから価格は半値で良いです』って断りました!」

「…一気に二百個以上も捌こうとすれば疑われるに決まっているでしょ?」

 その弁明にはアヴィオニスのツッコミが入る。実際、怪しいことこの上ない。


 モルセア・ヤミルガンは真珠卸し業界では、地味でも堅実な商売をするし、商品も安定して良いものを出すので有名で、かなりの信頼を得ていた。

 しかし、いかんせん二百個以上の燐珠りんじゅというのはあまりに衝撃的だったのだろう。取引相手は一度話を持ち帰って確認しようとしたし、彼女もそれは仕方ないだろうと思っていた。

 ところがその取引相手の周囲の者は、その異常事態を心配するあまりに詐欺ではないかと通報してしまったという話らしい。


「それで、私、いきなり衛士さん達に捕まって牢屋に入れられて、燐珠りんじゅも取り上げられてしまって…。やっぱり私なんかがあんなに大きな取引をしようとしたら駄目だったんですね?」

 本人は悲壮感が漂っているが、周りはしらじらとした空気に包まれている。

「モルセアさん、小出しにしようとか思わなかったんですかぁ?」

「え? 小出し?」

「だって、誰だってビックリしちゃいますよぅ。今まで一往ひとつきに一回市場に出れば良かったものをそんなにずらりと並べられたらぁ」

 思い抱きもしなかったような風情を見せている。


 彼女は初出荷の取引に相当舞い上がっていたらしい。

 普通の真珠なら港町ホルウィンでも取引出来る。大量に取り扱ってくれる大手仲卸業者も事務所を開いているから、結構な数量を持ち込んでも対応してくれる。

 しかし、こと燐珠りんじゅとなると、そういうところへ持ち込もうとすると買い叩かれてしまう。輸送や保安の経費を引き合いに出されて低めの価格を提示されてしまうのだ。そうすれば島の人々の儲けがその分削られてしまうので、モルセアは燐珠りんじゅだけは王都ガレンシーまで出向いて直接価格交渉をしていた。

 今回はその道行きが仇になった。超高額商品をそれも大量に持ち運ぶ重圧と、悟られてはならないと周囲に対する警戒の精神的疲労と、最初の取引から失敗する訳にいかないという意気込みから、彼女の精神は限界を迎えてしまったらしい。伝手を利用して多くの業者と少数ずつ取引すれば良いものを、辿り着いた安心感からかいつもの相手の前に全てを曝したと語った。


「そいつぁ、俺でもマズいって分かるぜ?」

 気持ちは分からなくもないが、込み上げる笑いを抑えきれない。

「でもでもぉ、お金が要るんですよ! 長老会との約束通り、中型漁船を大量発注しなきゃいけないし、その為に桟橋を増築しなきゃいけないからその大工も手配しなきゃいけないし。そう! 何より島に常駐してくれる治癒魔法士を大勢手配しないといけないから魔法士ギルドとも交渉しなきゃいけないんですよ!? お金が幾らあっても足りないから早く用立てないと…」

「確かに考えなくてはならない事はいっぱいです。なのでまずは数個の燐珠りんじゅを捌いてから、本職の交渉人を雇っても良かったと思いますよ?」

「何でいまさらそんな事言うんですか!? 先に言っておいてください、先に!」

 過大なストレスから解放されたモルセアの感情の起伏はいつになく激しく、カイに食って掛かる。

「さすがのお前も形無しだな、魔闘拳士」

「魔闘拳士?」

 愉快そうに笑い声を立てる男が掛けた呼び名が、胸倉を掴んでいる相手カイと繋がらない。

「どうして伝説の人の名前なんかを…」

「お前が掴み掛かっているそれが魔闘拳士だぞ?」

「はひぃ? な、な、な、なん…!」

 あとの言葉が出てこないモルセア。

「あなた、この人にも正体を隠していたわけ?」

「だから僕は基本的にその通り名を自分では名乗ってはいませんから」

「ほ、本当に魔闘拳士なんですか? あの英雄の?」

 手を放すのも忘れて何とかその質問を発すると、渋々頷いて見せる。

「あ! そういえばこの方々は?」

 身形の良い二人の男女だとは思っていたが、それどころではなかった彼女は改めて尋ねる。

「勇者王と王妃だねぇ」

「……」

 限界突破を余儀なくさせられるひと言にモルセアは気を失った。


 彼女が気絶していたのも僅かな時間で、チャムとフィノの介抱で目覚めた。

「申し訳ございませんでした! その…、このような無様を」

 跳ね起きたモルセアは床に平服する。

「別にいいわ。あなたをどうこうしようとは思ってないから」

「ああ、楽にしろ。魔闘拳士の友人なら我らの客だ」

「はぅあぅ、そのようなお言葉をもったいなく存じます。私はどうすれば…」

 舞い上がりっ放しで気の毒にも思えてくるのだが、笑いの発作が先に立ってしまう。

「十分に楽しんだ。本当に楽にするがいい」

「そうさせてもらいなさい」

「はい…。でも、チャムさんはどうして陛下と?」

 彼女にはもっともな疑問だと言えよう。

「私達も捕まっちゃったのよ」

「人聞きの悪い言い方は止めて」

「あら、自覚がないわけ? あんた、結構強引だわよ?」

 チャムと王妃の言い合いの原因が自分だと思ってしまったモルセアはまた視線が定まらなくなってくる。

「そろそろ勘弁してやれよ。焼き切れちまうぞ?」

 トゥリオの忠告でいつもの口喧嘩たわむれはすぐに終わる。


「そうね。まずは事情を聞かなくてはね?」

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