戦略転換の鍵

 突然、雲の上の方々の前に引きずり出されたモルセアだったが、つっかえつっかえしながらも燐珠りんじゅ養殖の成功に至るまでの話をアヴィオニスに語った。


刃主ブレードマスターに目を付けられたっていうのは分かるけど、あなた達は北の島でそんなにのびのびと暮らしていたわけ?」

 王妃の半目に籠る感情が怖い。

「はい、四往五ヶ月ほど骨休めしていましたね。ロカニスタン島で」

「まったく羨ましい。あの北洋人スクルタンの島ね。相当のどかな場所な筈だけど?」

「泳いでいるか釣りしているかどっちかみたいな毎だったわ」

 王都と戦場を行ったり来たりしている夫婦には想像も出来ない暮らしだろう。チャムの挑発にアヴィオニスの視線はどんどん鋭くなっていく。

「あたしだっていつか…」

「まあまあ。確かにのんびりとした空気が流れている美しい場所ですが、都会人には足りないものも多いのですよ?」

 何か思うところがありそうに彼女が口を開きかけたところで再びノックの音が聞こえた。


 かなり大きなバッグが二つも運び入れられ、皆の注意を引く。

「一応、返しておくわね。その上で確認させてもらって良い?」

 了解を得たアヴィオニスがバッグを開くと、中にはずらりと小箱が並んでいる。その一つを手に取って蓋を取ると、緩衝材に入れられた真っ白な綿の中央に1メック1.2cmの艶々とした真球が座していた。

 鈍く白い光を反射する真珠だが部屋の明かりを絞ると、内からほのかに青く燐光を放ち始める。

青珠せいじゅ…」

 知らずごくりと喉が鳴る。

 王国最高位の女性である王妃であっても個人で持っている燐珠りんじゅは数個であり、一つの紫珠しじゅを除けば他は最も多く出回っている黄珠おうじゅであった。

「これが全部…」

「今回は他に黄珠おうじゅ緑珠りょくじゅを同数ずつお持ちしました」

 隣の小箱も青珠せいじゅで、小箱の蓋の隅に青い塗料がチョンと付けられている。それが緑のものと黄色のものもそれぞれ幾つか確認したが、確かに対応した燐珠りんじゅが収められていた。

「本物だわね」

 国王夫妻と報告を上げてきた政務官、バッグを運んできた衛士は息を飲んでいる。モルセアとチャム達は喜び合うように手を合わせ、それを見守る男性陣は当然という顔だったが。

「これは…、ひと財産という例えを超えている」

「でも試作品で燐光が浅いので、品質はあまりよくないんですよ?」

「それでも十分に燐珠りんじゅと呼べるものなら、どんな値が付くかあなたも良く知っているでしょう?」

 神妙な顔の王妃にモルセアは静かに頷いて見せた。


「養殖っていう事は、これが計画生産出来るという事…」

 王妃の呟きに、政務官は生み出されるとんでもない額の利益を計算して顔を上気させていた。

「生産量としてはどんな感じになりそうなの、モルセア?」

「あの…、全島規模で切り替えましたので、最低でも間五~六万個は安定生産可能だと思います」

「五~六万個…」

 半待てば、品質は天然物と呼ばれる物かそれ以上になると考えられるとモルセアが補足する。

「想像を絶するわね」

「希少性はがくりと落ちるので相当値崩れすると考えても、通常真珠よりは遥かに利益を生み出すと思いますよ?」

「それを計算に入れてもとんでもない事になるじゃない。分かって言っているでしょ、カイ?」

 問い掛けに意地の悪い笑みで応じる。

「ふぅ…、ちょっと待って…」

 腕組みして、右手で口元を隠したアヴィオニスは瞑目して思考に没頭している。それを量るような目で見るカイを、仲間達は苦笑いで見ていた。


「モルセア。悪いけど、今後の燐珠りんじゅの取引はこっちで取り仕切らせてもらうわね」

「え? あの…?」

「生産した燐珠りんじゅは全てまず王宮に持ち込みなさい。これは王命よ」

 ザイードに目顔で尋ねて了解を得ると、王妃は一方的に宣言する。取り上げられると思った彼女は「そんな!」と悲鳴を上げた。

「さすがに現金での買取りは不可能だから手形を切らせてちょうだい。その価値は王宮が保証します」

「は、はい!」

 つまり召し上げるのではなく、全品買取りの申し出だとモルセアはやっと理解した。

「治癒魔法士の手配は王宮から魔法士ギルドに申し入れて派遣します。あと、桟橋の増築? それも王国が人を集めて送るわ。それと、中型漁船の購入だったわね?」

「そうです」

「軍船並みの高性能の物を手配して至急建造させます。その代金は手形から引くので悪しからず。あとは? 要求があれば書面にして寄越しなさい。出来得る限り応じます。それでいい?」

 彼女は跪くと祈るようにアヴィオニスを見上げる。

「とんでもございません、王妃殿下! ありがとうございます! ありがとうございます!」

「気にしなくていいわよ。あなた達は途轍もない大仕事をしてくれたからそのお礼」

 その視線はすぐに政務官に向けられる。

「記録、良いわね?」

「はい、これに」

「あと、帝国西部の有力貴族の選定。身辺の洗い出し。送る密使の人選。親書の草案作り。忙しくなるから着いてくるのよ?」

 政務官は深く腰を折ると「御意」と答えた。


「この案件の裁定は王の間で行うから、モルセア、あなたはもう一度さっきの燐珠りんじゅ生産予測をきちんと報告するのよ?」

 彼女は一瞬何とも情けない顔を見せたが、島の人々の為と奮起したのか真顔で首肯する。

「分かりました、王妃殿下」

「気を楽になさい。横槍が入っても条件は曲げないから」

「はい、感謝致します」

 ようやく退室許可を得たモルセアは与えられた客室に下がる事になり、フィノに付き添われてやっと笑顔を見せた。

 腰を上げた彼らだったが、チャムはカイの背中を押して「先に行ってて」と声を掛けて送り出した。


「なに?」

 素知らぬ顔でもう一度腰掛けてカップを傾ける青髪の美貌をアヴィオニスは気味悪げに見る。

「大したことじゃないわ」

「問題があるか?」

 ザイードの問い掛けにも首を振る。

「あなた達が命拾いしたと思っただけ」

「命拾い?」

「そう」

 鋭い視線が彼女に凄味を与えている。

「もし、ロカニスタン島から搾取するような判断をしていたら、ラムレキアは切り捨てられていたわよ?」

「魔闘拳士に、か?」

「ええ、きっと彼は対帝国戦略からラムレキア王国を除外して考え始めるわ。その先は蚊帳の外か、或いはぶつけて消耗を強いるだけの駒として扱うか。そんなところね」

 それはゾッとしない類の忠告だった。それを告げる為に彼女は残ったのだと分かる。

「やっぱり? 何か圧力のようなものを感じた気がしたのよ」

「俺は巨大な獣の足音が聞こえたように感じた」

「その予感には今後も従っておく事をお勧めするわ」

 チャムの、命拾いという表現は的を得ているのだと感じた。


「島にいた頃からよ」

 彼女は言葉を継いだ。

「外憂を抱えて国内に目が向かない状況なのは分からないでもない。でも、彼、国内の福祉にあまりに配慮が欠けると気にしていたのよ」

「ふむ、何とか魔闘拳士の要望には添えたか?」

「及第点だと思うわよ」

 思わぬところで綱渡りをしていたのだと気付かされる。

「通すぞ、アヴィ」

「分かっているわ。任せなさい」

 勇者王の決意に王妃は快く応じる。

「確かカイは燐珠りんじゅ養殖の実現にずいぶん執念を燃やしていたって言った? もしかして、あたし達、踊らされている?」

 誘導されたかのような感覚を覚えたらしい。それにチャムは微笑で応じた。


「さあ、どうかしらね?」

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