膨れる不安
活気に満ちたラムレキア王都ガレンシーは引き続き寵姫の話題でもちきりだ。
「おい、聞いたか? 陛下は今、寵姫に夢中だってよ」
夕闇に暮れつつある街角の酒場には、そんな話題もお似合いかもしれない。
「そりゃ仕方ないだろ? あんな別嬪が傍に居たら目を奪われるに決まってる」
「何だって? お前、まさか…?」
「へへへ、俺は拝ませてもらったぜ。
ニヤリと笑ってジョッキに手を伸ばすが、対面の男がそのジョッキを引き寄せて睨み付けてくる。
「何でそんな大事な話を黙ってやがんだよ! 教えろよ、こら!」
「返せよ、おい! 教えろっつったって無駄だ、無駄。あれをどうやって説明しろってんだ」
男はどれだけ言葉を尽くしても足りないとばかりに、手をヒラヒラと振って見せる。
「そこを何とかしろよ! お前、いつも自分は結構学があるって自慢してんじゃないか?」
「無茶言うなよ」
噛み付きそうな勢いでジョッキを死守する相手に、優越感からか苦笑いを送っている。
「そうさなあ。あれはまさしく美神マゼリア様の化身って言われたって不思議じゃねえくらいだったぜ」
「そんなにか? はー、羨ましいなぁ。俺もそんな美人とお近付きになりたいなぁ」
「ばーか、見てないからそんな事言えるんだぜ? あんなんが横に居たら恐れ多くて何も出来なくなる事請け合いだ」
更なる挑発に完全に臍を曲げてしまう。
「偉そうに。手前ぇなら口説けるとでも言うのかよ?」
「無理無理。俺にだってどうにか出来るなんて欠片も思っちゃいねえさ」
「何だよ。それなら早く言えよ」
態度を軟化させた男はやっとジョッキを解放してくれた。
「あれはな、勇者王陛下だから釣り合うような女だ。俺らみたいな小物じゃ歯牙にも掛けてもらえねえって」
「だよなー。きっと俺らの国を守ってくれる陛下にマゼリア様が御褒美を遣わしてくれたんだろうなー」
「そうそう、羨んでも仕方ねえって」
自分達が敬愛する国主にならそんな事が起こってもおかしくないと彼らは思っている。
「でもな、その陛下が青髪の君に首ったけで、王妃殿下が怒って政治を放り出しちまわないか心配で仕方ないと思わないか?」
ジョッキを呷りながら男はそんな事を口にした。
「そんなのは俺らにゃ関係無いんじゃないのか?」
「関係無いって事はねえだろ? お国の事が疎かになったら俺らの生活にも関わってくるし、何より帝国に隙を見せる事になるだろうが?」
「そうか…。良くそんな事思い付いたな? 確かに俺よりは学が有るんだろうな」
腹立たしくはあっても、自分には無い発想の意見には頷かざるを得ない。溜息交じりに零す男。
「つっても受け売りだけどな。この前、ホーバンの酒場でそんな演説をぶってた奴がいたんだよ」
「ちっ! それならそうと言えよ。でも、それ…」
「ああ、大丈夫かな、ラムレキアは?」
男は噂の寵姫の姿を見ただけになおさら不安を感じているようだった。
本当にそこまで美しい寵姫が傍らにいたのだとしたら、国政がないがしろになったって仕方ないのではないかと思ってしまう。同じ男として勇者王の気持ちが理解出来なくもないから余計にだ。
そんな風に街区では少しづつ少しづつ不安が醸成されていく。
ガレンシーの活況は、妙な方向に進んでいるのが感じられた。
◇ ◇ ◇
(世論の誘導は上手くいってるみたいね)
報告を受けたナミルニーデは椅子に深く腰掛けて思いを巡らせた。
元は王妃の専横を世に知らしめるために作り上げた手段だった。
アヴィオニスが勇者王ザイードの意見を無視して国政を行っていると、僅かずつでも情報として浸透させる為のもの。王都の各所に手の者を配して噂話のように情報を流し、市民の意識に刷り込むようにする方法。
領地を持たない宮廷貴族は、国政に関わると同時に様々な事業に手を出している場合が多い。国庫からの俸給とは別に、収入源を持っていないと贅沢な暮らしなど望めない。深く本音を問えば、出世の為の袖の下を賄う為にはそれくらいはしないとやっていけないのが現実。
そんな貴族の中でも若手に人気で伝手を広げたナミルニーデは、彼らの協力を得て情報網を構築している。事業を手掛けているのは宮廷貴族でも、実際に現場で働いているのは市民達に決まっている。その従業員の中に彼女の息の掛かった人物を、少数ずつ手広く配置していったのだ。
彼らは普段は普通に働きながら世論の動向を監視しているが、ナミルニーデから指令が下れば即座に煽動役に変わる。さりげなく聞いた話をしゃべるように、同僚達の耳に意図的な情報を囁くのだ。それだけで情報は噂話に変わり、勝手に拡散されていく。
侯爵令嬢は、座したまま世論誘導が可能な手段を手に入れた。
それは彼女が王妃アヴィオニスを排除したいが為に努力に努力を重ねて手に入れたものだ。
美しく在ろうとする努力は、女の本能であるとともに、愛しのザイードに振り向いてもらう為のものであり、そして忌々しい高飛車女を潰す為の手段になる。だから自分磨きを怠らず、洗練された所作や弁舌を更に学び、流行に目を光らせる事も忘れず励んできた。
それはもう少しで結実の時を迎えようとしている。準備は整いつつあるのだ。
(もう少し我慢すれば邪魔者は全部排除出来るわ)
計画は、青髪という新たな因子を突然加えられた所為で変更を余儀なくされてしまったが、それに対する修正も問題無く考量して着実に進行している。
(陛下の御手にこの栄えある
ナミルニーデはその願いが実現する
◇ ◇ ◇
「母上まで篭絡されてしまった!」
王子ルイーグは通り掛かった小卓に置かれていた花瓶を握ると振り上げ、そしてギリギリで自制してその手を下ろす。後ろに付き従うメイドがそっとその手から花瓶を受け取ると、再び後ろに下がって控える。
「どうか怒りをお納めくださいませ」
「悪かった。怖がらせてしまった」
半
伺いに行った先の馬場ではアヴィオニスがせっせと新しく購入した
それは新しい戦闘指揮車で使うのだそうで、高価な属性セネルらしい。今や母もあの男が作った物に夢中になってしまったと感じてしまう。そうやってラムレキア王宮に取り入った黒瞳の青年が何を企んでいるのかが分からなくて不安ばかりが増していく。
(父上までがチャムやあの男を気に入っている。母上まで取り込まれてしまったら誰が止められようか?)
苦悩に歪む顔を見られたくなくて片手で覆う。
(僕があいつを疑っていないと我が国の中心が乗っ取られてしまう。僕だけはあいつに気を許してはいけないのだ!)
そう強く誓う。大切な父母を守る為に。
母はセネル鳥にニルベリアを乗せてあやしていた。自分にも乗るように促してきたが拒んでしまった。
王都を空ける事が多い母と接する時間はあまり取れないことに不満があるとは彼は認めたくない。将来、勇者王となる自分がただ母に甘えたいだけだなどと言ってはいけない。
まずは心を強く持って、自分まであの男に篭絡されないようにしなくてはならないと強く思った。
彼の後ろのメイドがその様子を窺っているのには気付いていない。
彼女が誰かに篭絡されているなどとルイーグには思いも寄らなかった。
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