戦闘指揮車

 戦闘指揮車は、アヴィオニスが戦場後方で自在に動き回る為に特注で作らせた軽量馬車の事である。

 その特殊な役割に着目したカイは、独自の構想を基に新たな戦闘指揮車を組み上げていた。それを彼女にお披露目する為に呼び寄せていたのだ。


「これはいったい…」

 王妃が困惑するのも仕方がない。それは彼女がこれまで用いていた物とは一線を画していたからだ。

「小さい。軽く出来ているのは分かる。でも、壊れているのでは使えないわ」

「いえいえ、壊れているのではないのですよ」


 アヴィオニスの戦闘指揮車は、二頭立て二輪馬車であった。

 構造も特殊で、御者台よりは一段高い場所に彼女の座席が設けられており、その後ろにそれほど容量の無い積載区画が設置されている。そこには、取り出して見せたようにザイードの予備の剣や、戦術考案に必要となる地図、指揮合図に用いる発煙・発光魔法具などの数々が収められている。

 それ以外の特色と言えば、座席前に立てられた望遠鏡くらいだろう。それらは風雨も凌げるように屋根の下に設えられていた。


 不要な部分を極力削って軽量化し、二頭立てにする事で機動力を増し、戦場を駆け巡るのに必要な形状を極めたのが今の戦闘指揮車であるとアヴィオニスは自負していたのである。


「壊れてない? 車軸が折れているじゃない」

 王妃が壊れていると言ったのは、大きく目を惹いた車輪の傾きだろう。

「あれで良いんです。この車両の両輪は車軸で繋がっていません」

「え? そんな事あり得るの?」


 カイの作った戦闘指揮車は、客車キャビンの両側にある主車輪がハの字に傾斜している。だから一見車軸が客車キャビンの自重で折れたかに見える。

 しかし、それは意図的に付けられた傾斜であり、旋回時の走行安定性の為に設けられたのだと説明された。


「わざと? これで走るの?」

 近付いてその構造を目にしても、想像には難い。

「はい、乗ってみたら解ると思います。まあ、不安でしょうから存分に観察してみてください」

「そうさせてもらうけど」


 まずは不安を覚える車輪回りを見る。構造上、車高は高めになっているようで、屈み込んだだけで車輪を支える機構は目に入った。

 それぞれの主車輪の車軸受けは重厚な構造をしているが、可動式になっているようだ。しかもその車軸受けは客車キャビンの外側にあたる部分にももう一つ有って相互に接続されて一体型になっていた。

 外側の車軸受けには客車キャビンの側部から二本の棒が伸びて接続されている。つまり、片方の車輪は、底部の車軸受けと側部の二本の棒で客車キャビンを支持している形だ。それが両側にあった。


「こんな形にする意味が分からない」

 観察しても困惑は度を深めるばかり。

「これは小回りが利くようにすると同時に、小刻みな振動を抑える仕組みなんです」

「揺れないってこと?」

「いや、揺れない訳ではないんですけどね」


 そう言うと、カイは客車キャビンに足を掛けると体重を乗せて揺するように動かす。すると側部の二本の棒は自在に伸縮し、その揺れを吸収して見せた。

 車体が揺れても車輪の角度が変わるだけで軋んだりはしない。それはつまり車輪の振動で客車キャビンが揺れたりしない事を意味する。


「信じられない。どういう仕組み?」

 アヴィオニスは様々な角度から覗き込むが理解出来ないでいるようだ。

「動作には魔法は使っていませんよ。単なる機構です」

「解らないかもしれないけど教えて」


 車体を支えているのは、十字に組まれた船の竜骨のような骨組みである。縦に走る骨組みには、下から馬蹄型の横骨が噛まされて全体を支える。

 横骨には重厚な軸受けが自在に動くようにリベット留めされている。二つの軸受けはロの字に組まれていて、外側の軸受けの前後からは棒が横骨上部へ斜めに伸ばされ、自在リベットで留めてある。


 その棒は空気圧緩衝装置エアサスペンションだ。シリコンゴムパッキンの採用で加工が容易になり、耐久性と保守性が上がった空気圧緩衝装置エアサスペンションは細く、長ストロークに加工する事が可能になり、太い円筒形でなく棒状に出来た。


 金属製の軸受けは円筒コロベアリング。車軸留めと車輪留めにはボールベアリングを採用して、円滑な回転を実現している。

 そして、縦骨の尾部にも小さな車輪が取り付けられていた。その車輪も上下稼動軸と小型の空気圧緩衝装置エアサスペンションで組み上げられている。

 後部重心になっている骨組みは三つの車輪で接地しているのだ。


 縦骨の前部にはもう一つの馬蹄型の横骨が取り付けられ、駆動力となる動物に繋げるながえが二本の横骨を繋げて前方に延びている。

 これで駆動系と骨組みが構成されて、馬車の基本となる構造体が出来上がっていた。


 その上に積載する為に、客車キャビンは玉子のような形をしている。玉子の前方は割り開かれ、そこに座席が設置され、後部は積載区画にしてあった。

 しかしこの戦闘指揮車にはあるべきものがない。御者席は有るが、指揮者が乗る座席がないのだ。


「座席が足りない。悪いけどこれでは使えない」

 構造の凄さが解るだけに、王妃は残念そうに告げる。

「軽量化も念頭に置いて設計したので、御者席も廃しました。なのでこれの使用には条件があるのです」

「御者席を廃したって、どうやって動かすの? 条件?」


 カイが手招きするとセネル鳥せねるちょう達がやってくる。紫と青のセネル鳥二羽をながえに繋げると、青年はアヴィオニスに座席に着くように促した。


「とりあえず軽く駆け足」

「キュイ!」

 座席の横に立った彼が声を掛けると、二羽は歩調を合わせて駆け出した。

 動き始めた新しい戦闘指揮車に、王妃はその滑らかな走り出しと加速性の高さに唖然とする。

「速い! 何これ!」

 そして流れる風景と感じる風に比べて、ほとんど感じられない振動に驚愕する。

「ぜんぜん揺れないじゃない! 走ってる感じが全くしない!」

 王宮の馬房傍にある馬場の中を、緩やかに円弧を描くように走る。

「曲がりますから、ちゃんと掴まってくださいね?」

「え? はい!」

 確かに座席の肘掛けには持ち手が設けてあり、彼女はそれに掴まる。

「右」

 短く指示しただけで、パープルとブルーはぐるりと右旋回する。


 それは普通の馬車であれば横転ギリギリという旋回速度だったが、難無く実に円滑に曲がり終える。車体は慣性に従って外側に傾ぐものの、車輪はしっかりと地を噛んで、安定した旋回を見せた。

 ただし、乗員に掛かる慣性まで殺すことは出来ず、アヴィオニスは横に身体が持っていかれそうになった。身体全体を包むような丸みを帯びた座席と、持ち手のお陰で放り出される事はなかったが。


「何なに!? 今の! 嘘みたいに速く曲がった!」

 また緩やかな駆け足で走っている車両の中で興奮を隠せない王妃。

「今くらいの速度ならごく小さい半径で曲がれます。本気の駆け足だとそうはいきませんが」

「何か凄く気持ち良かった!」


 それからも幾度か曲がりを試して、旋回性能と安定性を確認する。そして、次に馬場の隅のほうまで移動して距離を確保すると、一気に加速した。

 セネル鳥が前傾になる駆け足では車体も前屈みになり、後部の小さな車輪は宙に浮く。それでも主車輪とパープル達に支えられた車両は何のブレもなく高速走行に耐える。


「速い、速い! これ凄く楽しいじゃないのよ!」

 彼女は子供のような笑みを浮かべて、風に負けないように叫んだ。

「言っておきますが、これは乗って楽しむ為に作ったんじゃないですからね?」

「そうだったの?」

「それにこれだけが本領ではありません」


 屋根に手を掛けて身体を支えながらカイが指を一本立てて振った。

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