王子と王女

 薄い板に貼られた皮紙は、囲うように四方を止め枠で固定されている。描かれているのは肖像画で、勇者王と青髪の君が腕を組んで歩いている姿、またはテラスでお茶を共にする姿、過激なものではもう少しで唇が触れそうなほどに近付いて抱き合う姿が見られた。

 普段は見られない専門露店や、委託販売の雑貨店の軒先に陳列されているそれらの前では、少女達がきゃいきゃいと騒いでいる。どれが出来が良い、どの絵柄が好みだなどと姦しい事この上ない。

 そうして堂々と吟味しているのは若い女性が多く見られるし、売れ筋としてはその層が主なのは事実なのだが、需要は老若男女問わず多岐に渡るようであった。


 それが今、ガレンシーの流行を表しているのは間違いない。

 ましてやくだんの青髪の君が時折り街区にも姿を現し、普通に買い物をしていたりするのが彼らに身近な存在だと感じさせ、人気に拍車を掛けている。


 勇者王と寵姫のロマンスは、いまや人々の心を捕らえて放さないのだった。


   ◇      ◇      ◇


 当の本人のチャムといえば、無縁とは言えないまでも王宮にいるうちは多少は観衆の目は少なく落ち着いていられる。カイ曰く、好奇の視線は常に付き纏っているが、それとは別に質の違う視線も少なからず感じられるらしい。武装を咎められないうちは皆心配ないと感じているが、最低限の警戒は必要だろう。


 しかし、現在直面しているのは更に質に違う視線であり、露骨に嫌悪を含んでいる。これが存外に問題であり、無敵の銀爪と呼ばれる男に大きなダメージを与えているのだった。

「まだいたのか、嘘吐きめ! さっさと出て行けって言ったじゃないか!」

 耳に響くような高音の声は、カイの耳にまで攻撃を加えている。


 の終わりに生まれた少年は今輪ことしで十歳になるが、まだ声変りをしていない。そして、彼が生きてきた九の人生において、もっとも苛立たしい陽々ひびを送っているのだ。

 それは今、目の前にいる人物の所為に他ならない。世界で最も強いはずの父に打ち勝ったなどとうそぶく人物が目障りで仕方ないのだ。


「殿下、そのような事をおっしゃられては…」

 お付きのメイドが諫めるが、その言葉は右から左に抜けていく。

「うるさい! なぜこんな者を野放しにしておくんだ! 近衛、捕らえてガレンシーの外へ放り出せ!」

「ルイーグ殿下、御命には従えません。こちらの方々は陛下より国賓と遇されるように聞いておりますれば」

「どうして父上はそこまで…」

 少年は悔しそうに下唇を噛んでいる。


 少年はルイーグ・ムルキアス。勇者王ザイードの長子である。

 紹介された時は、見るからに冒険者風の彼らに物珍しそうに接していたが、ザイードが口を滑らせてカイに負けたと漏らしたと同時に烈火の如く怒り出し、彼に対して暴言の嵐を吹き付けたのであった。

 ルイーグにとって聖剣を携えた父は最強の存在であり、負ける事など考えられない。そんな事を言わせた黒瞳の青年は、詐術を用いて屈辱を味わわせた卑劣漢であると思いたいのだ。

 彼にとって高潔なる勇者王である父は、そんな敗北も敗北と認めるような気高き存在なのだった。


「では、少しは役に立ってみせよ。ここはラムレキアの中心、国の為に働く者の場所なのだ」

 せめてひと言なりともと考えたのか、少年は理屈を捻り出す。

 だが、それはきちんと的を得ており、しっかりとした教育と躾を受けている事を窺わせた。

「ええ、殿下のおっしゃる通りですね。なので微力なりともと考え色々と準備をしておりますので、今しばらくお時間をいただければと思います」

「そ、そうか。殊勝な心掛けだな? それならば今陽きょうは勘弁してやろう。だが、また良からぬ企みをしているのなら、僕が許さないからな!?」

「気を付けます」

 腰の低い態度なのに、その向こうに何か揺るがないものを感じたルイーグは少し気圧されている。


「こらこら、あまり無茶を言わないのよ?」

 視界に割り込む青髪に少年は更に気圧される。

「でも…、本当の事だから…」

「だからってご両親のお客様を困らせていい訳ではないわ。自分の行動が時には国の面子さえ貶めてしまうのだと分かりなさい」

「…はい」

 一転して頭が上がらなくなるルイーグ。

 それもそのはず、彼はチャムとの試合に挑み、完敗している。


 カイに食って掛かるルイーグだったが、青年は取り合わない。子供好きの彼は多少は傷付いた風を見せながらも、まともに相対しようとはしなかった。

 嫌われているのに、そこを曲げてまで干渉する必要を感じなかったからだ。王子は少々父を信奉し過ぎるきらいがあるとは言え、健やかに成長しているように見える。黒狼の獣人少年のように苦悩を抱えていないのであれば、敢えて深入りしようとは思わなかった。


 ただ、彼の怒りの矛先は青年だけに留まらず、彼の仲間にまで及ぶ。悪し様に罵ってくる王子に業を煮やしたチャムは、自らの正当性を主張したいのなら実力を見るべきだと手合わせに持ち込んだ。理屈で説き伏せるには彼はまだ幼い。解り易い方法を提示しただけである。

 結果は火を見るより明らか。振り込んで馴染んだ筈の木剣は王子の手に着かず、彼女の手練の前に地に転がり遠く飛ばされるばかりだった。

 悔し涙に耐え、肩を震わせる王子にその傍に付いていた近衛騎士がその耳に囁く。勇者王の周りを固めていた近衛騎士でさえも、チャムの剣の前に撫で斬りにされてしまったのだと。


 目の色が変わったルイーグは、その姿を認めては彼女に教えを乞うようになった。

 そして教えの中で更にチャムの実力の高さに触れていく。師事する相手の技量の深さと、度量が見せる穏やかさ、柔和な口調と更には女神とも見紛う美しさ。

 少年が傾倒していくには十分な条件が整っていたのであった。


「でも、間違えても父上に勝ったなどと妄言を吹聴してもらっては困るからな」

 ルイーグはもう引っ込みが付かなくなっているだけなのだ。

「ええ、心得ておりますよ。大人しくしておきますので、どうかお目汚しを見逃してください」

「分かっているならいい…」

 語尾に不満が滲む。

 チャムの仲間であるならば、彼女に並び立つだけの実力があるだろう事は少年にも分かり切っている。なのに腰抜けを演じて、頑として立ち会おうとしないカイを王子は歯痒く思う。認めたいのに認めさせてくれない彼に抱く鬱屈が口汚く罵る形で表出してしまうのが抑えられなかった。


 ルイーグはまだ感情を御し切れない子供なのである。


   ◇      ◇      ◇


「にいちゃ!」

 転じて今、カイの脚にがっしりと抱き付いてきた幼女は、驚くほどに彼に懐いている。

 彼女は王女であるニルベリア。まだ覚束ない足取りを見せる二歳の幼女は、初めて会った時から常ににこやかな笑みを崩さないカイに安心感を抱いてべったりになっていた。

「ご機嫌だね、リア」

「うん、リア、げんき!」

 抱き上げると花のような笑顔を見せる。


 戦地を転々とする勇者王夫妻は、子育てにも国際情勢が影響してしまう。本音ではもっと子供が欲しいのだろうが、王妃が欠ければ状況が厳しくなると分かっているだけに、戦況を鑑みない訳にはいかなかった。

 ニルベリアが出来た時も本当は男児を望んでいたのだろうが、女児が生まれてきても彼らは二人とも平等に心から愛し慈しんで育てている。


「また、あの子がうるさくした?」

 アヴィオニスの耳にも入っているようだ。

「いえ、お気になさるほどの事ではありませんから」

「許してね。それで、今陽きょうは何の話?」

 少し時間が欲しいとカイから請われて彼女は出向いてきている。呼んだのは王妃だけだが、ザイードも物見遊山に同伴していた。

「ちょっと見ていただこうかと思いまして」

「あれは何!?」

 指し示した先には小型馬車のようなもの。


「僕の考案した戦闘指揮車です」

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