王宮の渦

 ウキウキでふわふわしているナミルニーデを置いておいて、ザイードはチャムの手元に視線を移している。その包みが甘い香りを発散していたからだ。


 彼は見た目の武骨さとは裏腹に甘い物も好んで口にする。それだけに気になっていたらしい。

「それはどうした?」

「これ? 厨房で分けてもらったのよ。カイのおやつにしようと思って」

「魔闘拳士のところに行く途中だったか?」

 包みを開いて見せるチャムに、自然に手を伸ばした彼はクッキーを一つ抓んで口に放り込むとポリポリと咀嚼する。

「こら! バカ! 何やってんのよ!」

「駄目だったか?」

「あなた、曲がりなりにも国王でしょう? その辺の物を適当に食べるんじゃないわよ! 毒でも盛られたらどうすんのよ!」

 指摘されて気付き頭を掻くが、騎士達が苦い顔をしているのを見てザイードも反省する。

「ああ、そうだな。だが、魔闘拳士に食べさせるつもりだったんじゃないのか?」

「あの人に毒なんて効かない。触れただけで看破しちゃうわ」

 言われて思い出したようである。魔法も使えるから魔闘拳士なのだから。

「すると、お前に毒を使う者がいると思っているのか?」

「いるでしょうね、私が邪魔な人間もあの人が邪魔な人間も。例えばその辺にとか?」

 チャムは深紫の髪の持ち主の方を指さす。

「な、何をおっしゃいますの!? わたくしがどうして貴女に毒を盛らないといけないの?」

「さあ、なぜかしら?」

 考えを巡らすように上を見ると人差し指で顎をツンツンと突く姿も様になっていて、騎士達がうっとりと眺めていた。

「憧れの君の傍をブンブンと飛び回る目障りな虫を退治したりとか?」

「ふにゃっ! そ、そんな事、思ってもおりませんわっ!」

「そう願いたいものね」

 その流し目は妖艶さを含んでいた。


(彼の言う通りよねぇ)

 あの王の間で、宰相側に立っていた人物には、特に注意を払っておくようにと言い含められていた。

 向こうから接触してくる可能性が高いから、程よく距離を取るのが得策だと考えているようだ。

(どうせ巻き込まれるにしても、いきなり渦の中心に飛び込みたくはないもの)


 ここでの駆け引きが罠に掛けるほうか掛けられるほうかの分かれ目になりそうだった。


   ◇      ◇      ◇


 ザイードとチャムが並んで歩いていると、行く先々に王宮の住人が鈴生りになっている。

 確かにその様は、絵画にすれば王の間の一画に飾られていたとしても誰も苦言を呈したりはしないほどだと思う。そうなるように仕向けたのもナミルニーデ自身である。


 愛しの君を監視していた彼女は、チャムを監視させていた者からその経路上を彼女が横切ると分かると、先回りして話し掛け足留めを掛けた。その結果として、さも偶然二人が出会ったかのように演出したのである。

 そして、運命のように交差した二人がともに歩み始めたのだと見せかけることに成功した。それとなく偽客さくらも潜ませて、噂になるよう囁かせてこの場面が広まるように仕向けもしている。


(でも面白くない)

 あからさまな仏頂面を見せない為の努力が口元に表れて、むにむにと微妙な動きを見せていた。

(本当ならあそこにいるのはわたくしの筈ですのに! 目的の為とは言え、こんな我慢を強いられるなんて辛すぎますわ)

 手に握ったハンカチはグニャリと握り潰されている。全ての鬱憤を押し付けられている様子は実に不憫だ。

(この屈辱、絶対に忘れるものですか! 二人を取り除いたらわたくしが…、あのお方はわたくしだけを見つめてくれるはず!)


 皺くちゃになったハンカチに気付いたナミルニーデは後ろ手に隠した。


   ◇      ◇      ◇


 どんどん集まる観客には閉口するが、跡を尾けたりはしない節度があるのは、王宮の住人たる矜持なのだろうかと思える。


(恣意的なものを感じるけど、微妙ね)

 どこに行っても噂の的になる事が多いチャムにはこの辺りの区別が付かなかったりする。

(カイなら何か裏があると考えるんでしょうけど、あの人は穿ち過ぎるところがるものね。でも、彼のその安全を考えた注意深さに幾度となく救われている私達がどうこう言える立場でもないわ)


 それでも人の行き来が少ない辺りまで歩を進めると観客の数も少なくなり、おのずと絶えてしまう。彼らの分別には感謝すべきだろうか?

 カイのやる事に興味を示したザイードが同道を申し出て、近衛騎士はただ黙々と着いてくるのみ。なぜかナミルニーデまでもが着いてきているのが不思議だが、カイのところまで辿り着けば彼に任せれば良いだろう。


 馬房の裏手に回ると、そこにはカイの姿しかなかった。

 そそくさと駆け寄ると、これまでの経緯を耳打ちする。何も言わずに最後まで聞いた彼は一つ頷いて手元に視線を落とす。作業に集中する振りをして隠した表情は、非常に意地の悪い笑みに彩られている。

(まったく、この人は!)

 自分から乗った仕掛けながら、その様子に苦笑するチャム。

(まあ、彼の選択肢を増やすくらいの役には立つでしょう)

「ところでフィノは?」

「試作して仕組みだけひと通り説明したら満足したみたいだよ。勉強したいって言って、あれを持って部屋に帰っちゃった。トゥリオも一緒に」

 護衛だとは口にしない。カイもナミルニーデの存在は警戒しているのだと分かった。

「それで、なぜザイードさんが?」

「邪魔か?」

「いえ、貴方が興味を持つような分野ではないと思いましたので。それとも何も聞いておられませんか?」

 チャムに彼が工作中だと聞いていた勇者王は首を振って答える。

「いや、お前が何を作っているのか気になった」

「大したものではないですよ」


 そこには見慣れない円筒形の金属部品や組み上げる前だと思われる木材の数々、傍らには大きな木箱のような物まである。素人目にかろうじて理解出来るのは車輪くらいだろうか?


「何なの? 小道具?」

 単なる興味なのか、敵情視察のつもりなのかまでは分からないが、ナミルニーデも覗き込んでいた。

「『小』は付きませんね。道具です。形になれば誰でも知っているものですが、この段階では分かりませんよね?」

「ええ、全然分からない…、ふひゃっ!」

 見た事もない光景に彼女は奇妙な悲鳴を上げる。カイは掴み上げた木材を無造作に引き延ばして成形したからだ。

「あら、見た事無いのかしら? 変形魔法よ。この人は変形・変性魔法士なの」

「変形魔法…。こんなに簡単に変化してしまうものなの?」

「いや、俺は何かの機会に見たが、もっとじわじわと変形していたぞ?」

 ザイードは手渡された部品が木材の固さを持っているのを叩いて確かめながら語った。

「イメージがしっかりしていたら、変形速度には制限はないのですよ」


 変形魔法も変性魔法も触れる必要性があるものの、実際に粘土をこねるような成型は不要。脳内のイメージを構成に変換して、物体に対して発現させる。

 普通の変形魔法士は大まかなイメージから始めて、徐々に細部に至る形で変形させていくのが当たり前の手順である。なのでザイードが言うように、じわじわと変化していくように見えるのが普通。

 しかし、日本で多彩な形状の工業製品を見てきているカイは、最初から脳内に立体形状のイメージが出来上がっているのが当然となっている。それを構成にして物体に発現させているから、一気に変形しているように見えるだけの話である。


「これは一芸秀でていると言えるな」

 勇者王は感心しきり。ナミルニーデに至っては、半分何を見せられているのか分からないようだ。


 微妙な笑いを顔に張り付けているだけだった。

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