勇者王の寵姫

 宰相書記官の追及から様々な事柄が重なり、騒がしかった勇者王周辺も落ち着きを取り戻してきた。

 修練場での件以来、彼らの意図に関して王妃が勘ぐってくることはなくなった。それも当然だろうが、ただカイが西方はもちろん、中隔地方や帝国領内も旅していたと聞くとアヴィオニスは各地の現状を知りたがって彼に纏わり付く場面は増えてきている。

 ザイードも暇を見つけては彼らとの鍛錬を望む事が多く、王都に於いては無欲な印象が強かった勇者王の、意外な一面が垣間見えてきたと宮廷人は噂する。


「抜きが甘いのよ、分かる? 浅いと感じさせてしまうようでは捌かれる可能性があるでしょ? 有る筈のものが無いって感じさせるくらいでないと崩し切れないの」

 渡り廊下を二人並んで歩いているのは、チャムとザイードだった。

 彼女は鞘に納めたままの剣を持っているかのように握りを見せると、手首の返し具合や指使いを実践して見せている。

「それは無理だ。剣の重さが違い過ぎる。そんな事をすれば切っ先がブレて思い通りの軌道が描けない」

「分かっているわよ。右でしっかり支えて、柄尻の左で振ろうとしているからそう感じるの。右も親指の付け根、股のところで支持するくらいのつもりでふわりと握る。それと小指の上に乗せるような感覚かしら? 握り込むのは当たる寸前。それでグッと押し込むだけで十分」

 そこで押し込むか絞るかで剣圧を制御出来るのだとチャムは説明する。ザイードも構えの形を取ると手を握ったり緩めたりする。イメージしているらしい。


 この、カイは素材の買い出しに街に出ると告げてきた。

 フィノも食材の買い出しや生活用品の補充などで街を見て回ると言い、トゥリオはその護衛に着いていくと言った。

 チャムはどちらに着いて行こうか迷っていると、ザイードがやって来て皆が出掛けると知ると情けない顔を見せる。仕方なく彼の鍛錬に付き合ってあげることにしたチャムは、先ほどまで修練場で勇者王と剣を打ち合わせていたのだ。

 彼の剣技はかなり磨かれていると思う。しかし、あまりに真正面から当たり過ぎて、彼女の技巧の前には振り回される事のほうが多かった。

 足腰も十分に鍛えられているし、十二分に振れてもいる。ただ、手先の技には弱さを見せ、翻弄される傾向が強いようだ。

 余程の巧者でなければ彼の剛剣を受けに回るだけで精一杯で、その弱さを見せる事など無いから戦場でも困ったりはしてこなかったのだろうが、チャムはその巧者である。弱点を掴まれてからは完全に翻弄され、その克服の為に助言を求めた。

 この辺りが彼が強者であり、これからも伸びていくだろうと感じさせる部分だ。矜持に囚われずに教えを乞う。それをチャムも心地良いと感じて笑みが零れる。


 剣の事となると饒舌になり上機嫌で良い表情を浮かべるザイードと、見る者すべてを魅了するようなチャムの笑顔が重なると、通り掛かるラムレキア王宮の住人はその煌びやかな取り合わせに目を奪われた。

 美の神マゼリア神話の一場面のような光景に、誰もが溜息とともにその様を見守る。決して触れてはいけない禁域のように。不用意に踏み入れば壊れてしまう夢の世界のように。


 その光景は噂となって王宮を駆け巡る。見た者はしきりと自慢し、生憎と見損ねた者は地団太を踏んで悔しがる。宮廷雀達はけたたましく噂する。

「勇者王に真なる女神が現れた」と。

 何も無ければ一過性のものだったかもしれない。ただ、王妃の命で魔闘拳士の存在が伏せられていた事が噂を加速させる。勇者王の敗北を公にしない為の配慮が裏目に出て、その勇者王の移り気の噂を助長させる結果になってしまった。


 そして急騰したこの話題が出入りの商人や通いの使用人の耳に入ると、ガレンシーの街区へと広まっていく。市民の口に上るまでになった噂は完全に独り歩きを始める。

 噂を基にした勇者王と青髪の女神が並び立つ姿の肖像画が数多く描かれては飛ぶように売れていく。中には、本当に降臨した女神の前に跪く勇者王の姿や、神々しい青髪の女性を掻き抱く勇者王の姿を描いた肖像画もあり、驚くほどの種類のそれらが出回るようになっていく。


 そして、彼らの頭の中には一つの構図は浮かび上がる。


 勇者王には、王妃の他に寵姫が居る、と。


   ◇      ◇      ◇


 アヴィオニスがひらひらさせている皮紙に描かれた肖像画が目に入って、カイは苦笑する。

「こんなものがそこら中にばら撒かれているのよ」

「それですか」


 実際にはばら撒かれている訳ではなく、商品として生産されては買い取られていっているだけで絶対数はそれほどでもないだろう。それでも、今が稼ぎ時と見込んだ売れない絵師は、寝る間も惜しんで必死に量産しているのは間違いない。ばら撒かれていると表現するに足る数が市井に出回っている。


「勇者王の人気の証明と思って良いんじゃないですか?」

 カップの黒発酵茶シュワルバで唇を湿したカイは提案してみる。

「もちろんそう思っているわよ」

「精神衛生上、それが得策だと思います」


 先購入してきた素材をひねくり回して模型のようなものを作っていたカイを置いて、チャム達は市場に出掛けた。

 偵察を済ませたフィノから、ラムレキアには様々な発酵食品が有ると聞いたチャムはそれが気になって仕方がなかったのだ。最初のほうこそ彼の工作に興味を示していたが、試作品の製造に無口で挑むカイに飽きて、街に出ると言って部屋を後にした。


今陽きょう、彼女が街に出ちゃいましたから、肖像画それの種類は更に豊富になると思いますよ?」

 アヴィオニスは苦虫を噛み潰したような顔をする。

「厄介な事この上ない…」

「妬けますか?」

「そんな事ない」

 口調に動揺は見られない。強がりではなさそうだ。

これに乗っかる宮廷人が出てくるだろうっていうのが面白くないだけ」

「踊らされるのは貴女に腹意ある者だけでしょう? 実務者は掌握されているみたいですから」

 眇められた視線が黒瞳の青年を射る。

「この機会にどれくらいまで根を張っているか量るおつもりなんじゃないですか?」

「油断ならない男。少しは堪えた風を見せれば可愛げがあるものを」

「気が利きませんで申し訳ありません」

 二人してくすくす笑う。


 アヴィオニスはカイと話していると、一体どんな相手と言葉を交わしているのか分からなくなる時がある。大人ぶった少年のような、それでいて老練の武人のような、まるで狡猾な軍師のような、掴みどころ無さに戸惑いを覚える。なのに不安は誘わないから不思議だ。彼の精神が安定しているからだろうとは思える。

 起伏に乏しい分、面白味がない訳でもない。楽しませようという気遣いは感じる。今の会話でも、同じ策謀家の目線で話してきて、彼女の孤立感を解そうとしてきている。

 情熱には欠けているかもしれないが、寄り掛かるのにこんなに適した存在は稀有だろう。そんなところにチャムは魅力を感じているのだと思った。


(少し羨ましい)

 だが、アヴィオニスはザイードが自分に向ける真摯な視線を愛していた。誰かに頼って生きるような女ではないのだと思う。


「当面、静観ですか?」

 ちらりと城門のほうを眺めながらカイが問い掛ける。

「耳は置いてある。ちょっと加熱の具合が急な気がする。誰かが燃料をくべているかも?」

「なるほど。国民性なのかとも思っていましたが」

 王妃はただ首を振って応じる。

「民の声は気になりませんか?」

「気になる。でも…」

 一拍の間。

「でも?」

「彼はあたしが居ないと王なんて出来ないもの」

「惚気られてしまいましたか」


 決して楽観出来る状況とは言えないが、このお茶の席には和やかな空気が流れていた。

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