固執する想念

 グラスが割れる音が鳴り響いた。

(何、あの女!)

 そこは宰相執務室の控えの部屋。今は人払いがされている。

(あんなの有り得ないわ! あれが生きて動いているって言うの!? まるで神マゼリアみたいじゃないの! あんな…、あんな美しさがこの世のものだなんて信じられないわ!)


 ナミルニーデの前に突如として現れた強敵は、類稀なる美貌の持ち主だ。彼女にとっては全くの予想外の事態である。頭の中は衝撃でぐちゃぐちゃになってどうしていいか分からなくなっている。


(いったいどういうこと? あれも憎らしい王妃の手先なの? 自分だけではあの方を繋ぎ留めておけないから、どこかから連れてきた?)

 ナミルニーデの眼中に、紹介された魔闘拳士の姿はない。


 目に入ってくるのは、愛しい勇者王ザイードとの恋路を邪魔する者だけ。幼馴染で親しいからという理由だけで選ばれた、身分の低い伯爵家のがさつな女だと思っている。それを取り除けば勇者王と彼女との間を妨げる者はいないはず。

 ところがそこに現れたのは、身分は吊り合わないまでも男を誑かすには十分な美しさを持った女。


(それもあの青髪。まるで陛下に合わせたような色合い。関心を引く為に染めさせたのではないでしょうね?)

 髪を染める染料が有るのは知っている。だが、黒髪を別の色に染めるような染料はないはずだ。銀髪や金髪など薄い色の髪を濃く染めるのなら可能らしいが、それなのかもしれないとナミルニーデは考える。

(冗談ではないわ。あんな見て呉れだけの女に陛下のお心を奪われて堪るもんですか! どうしてくれようかしら? 人を使って攫わせる?)

 良からぬ方向へ思考は進んでいく。

(そうね。美貌に目の眩んだ輩が馬鹿をやったように見せ掛ければ良いんだわ。市井の女が一人消えたくらいで大騒ぎにはならない)

 知らないというのは幸せである。返り討ちに遭うのがせいぜいなのだが。

(消すのは容易い…、ちょっと待って、ナミル、よく考えるのよ? 青髪の女の排除は簡単。やはり面倒なのは王妃のほう。あの狡賢い狐を陥れるのにどれだけ苦労してきたか。ならば、陛下にはまず青髪の色香に迷って王妃を遠ざけるように仕向けるのはどう?)

 胸の前で握った両手を揉み合わせる。それが彼女が考え事をする時の癖のようだ。

(別に青髪の女を操る必要はないわ。雰囲気作りだけ手伝ってやれば、陛下にも気の迷いが生じるかも? そして、浮気心を持っていると王妃の耳に囁いてやれば勝手に怒って縁切りを申し出るのではないかしら? その空いた穴にわたくしが収まれば良いのよ。青髪はその後に始末してしまえば万事収まるという事ね)

 実に都合の良い考えを巡らせている。


 その方法に関して考え始めた。

 今、準備している計画は少なからず彼女の大切な人にも影響が及ぶ。或る程度は仕方ないと割り切っているし、その失点を自分が取り戻せば彼の自分を見る目が変わるのではないかと打算も働いている。

 青髪を利用する方法は彼には影響はないが、今は単なる思い付きにしか過ぎない。少し具体的な方法を捻り出さねば使い物にはならないだろう。それでも、あの計画の為に作り上げた下地は利用出来るように感じた。


(まずは観察。陛下が彼女にどんな風に接しているか、出発点を見極めないと。王妃は青髪といがみ合ってるみたいだから、こっちは心配なし。いえ、出来ればもっとこじらせた方が理想的?)

 状態の確認から、段階的な接近方法まで方策を巡らせていく。

(今後の為には、青髪とは親しくなっておいたほうが良さそうね? えーっと、それで結局、あれは何者だったかしら? 地味な障害物が居たような気が…)

 チャムの容姿に受けたショックで、前後の記憶が曖昧になっていると感じる。

(あの黒髪男。…そうそう、魔闘拳士…。魔闘拳士? それってあの伝説の? ただの子供だったわよ? 聞き間違いだったかしら。『魔闘拳士の詩』を演じる旅芸人か何かの一座?)

 あらぬ方向に想像の翼は広がっていく。


 彼女の中でのカイの扱いはあくまで低い。貴族社会に染まっているナミルニーデのような人間にとっては、見た目も重要なのだ。身分ある者は身なりにも気を遣うし、内面から滲み出る格のようなものがあると信じ込んでいる。逆に見掛けの箔が無いような人間は自然と評価が低くなる傾向にある。


(ああっ! そうだわ! それなら辻褄が合う! あの青髪は女優なんだわ! あの容姿を見世物にして、客に媚びを売って糊口をしのぐ下賤な女。本来ならあの方に近付くなんておこがましいにも程があるけど、今回は少し夢を見せてあげれば喜んで食い付いてくるでしょうね?)

 想像は妄想の域に突入していっている。

(それだとあの貧相な少年が魔闘拳士役っていうのは腑に落ちないけど…。もしかして割と本格的な劇団なのかも? 実際に素手の格闘技経験がある子を主人公に持ってきて、格闘場面の臨場感も売りにしているのだとしたら? これだわ! 青髪と格闘場面の二枚看板で売り出している劇団! これしか考えられない!)

 思い込みは加速に加速を重ねていった。


 ナミルニーデは少し妄想癖のある女性だった。

 そうでなければ既に政治的にも軍事的にも確固たる地位を確立し、民の支持も高くその美貌から人気もある、そして王子も産んで王妃としての義務も果たしているアヴィオニスに楯突こうとは考えないだろう。

 客観的には、隙の無い今の王妃に反攻しようと考える者は少数派になる。

 冷遇されている宮廷人達は不満を鬱積させているかもしれないが、現状を考えれば反攻するよりは擦り寄るほうが立場の確保には有効だ。実力主義の王妃自身がそういう保身を毛嫌いしている雰囲気を出しているとは感じていても、彼女の要求に応えられる能力が無いのなら採れる道は他にない。


 そういう多数派の行動を腹立たしく感じながら雌伏の時を耐えてきたナミルニーデが、こうして表舞台に上がって来れたのには、当然力添えがあったからだ。その当人がノックの音とともに部屋に入ってきた。

「荒れているな、ナミルニーデ嬢」

 口髭に触れながらそう声を掛けてきたのは宰相ギアデ侯爵である。彼のその仕草は、何か隠し事が有る時のそれだが、ナミルニーデは素知らぬ風で応じる。

「お恥ずかしいところをお見せして申し訳ございません、閣下。あの方が突飛な事をなさるのはよく目にしますが、此度はなかなかに驚かされてしまいましたので」

「ふむ、確かにいきなりあの魔闘拳士を連れて戻ってくるとは誰も思わなかっただろうな」

「ええ、お戯れもほどほどになさってくださいませんと、周りは振り回されて適いませんわ。これもあの女の悪影響ですわね。わたくし達が早くお目を覚まさせて差し上げませんと」

 違和感を感じたクルファットは微かに顔を歪ませる。

「ナミルニーデ嬢はあの男を本物の魔闘拳士とは思っておられないのかな?」

「閣下までそんなお戯れを。だって子供ではありませんか。あれはどこかの劇団の者ですわよ? 陛下はわたくし達をからかおうとなさっておいでなのですわ」

「しかし、『負けた』と仰せになられたぞ?」

 クルファットの示唆に、ナミルニーデは口に手を当てて「ほほほ」と笑う。

「どこに聖剣を手にした勇者の血を引きしお方を倒せる者がいるとおっしゃるの?」

「にわかには信じがたいが…」

「ですからお戯れですわよ。しばらくは陛下のお遊びに付き合うのも一興でありましょう?」

 クルファットも「それならば仕方あるまいか」と応じる。

「我らが排すべきはあの奸知に長けた王妃だけだからな」


 共謀者二人は、密やかに笑い合うのだった。

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