王妃の目

 勇者王ザイードの英断も早かったが、次々と条約文書や辞令書類を発行して事態の処理に当たるアヴィオニスの素早さは凄まじかった。

 状況を分析して詳細な取り決めにも言及し、全てを文書化させてそれを確認、問題点を修正しつつ発行し、陽が落ちる頃にはラムレキアは書類上新たな地を得ている状態。彼女の文官としての能力は比類なきものと感じさせた。

 そのアヴィオニスに権限を集中させているザイードの判断力も敬意に値するが、彼女の手腕が本物であるのは疑うべくもない。


 アイフェルは謹んで受領し、安堵の涙を耐える姿が印象的だ。そして、ネレイナももちろんその身の自由を奪われる事なく、首都フーバへの帰還の道をとる。

「戻ったら少し身体を休めなさい。ずっと張り詰めていたんだから」

「はい…、はい…」

 翌朝、帰還の途に着く一行から離れ、感涙に咽びながらチャムやフィノに抱き付いて別れを惜しむ。解放後に何くれとなく面倒を見てくれた彼女らへの感謝は言葉では足りないようだった。


 出立までには軍への辞令や編成も完了して、彼らの警護をしつつラムレキアの東方面軍の一部はファリ・クフォルド防衛に旅立っていった。

 やる事を終えて、肩の荷を下ろした王妃が大きく息を吐き、ようやくとばかりにカイ達に目を移す。


 その視線は厳しいものであった。


   ◇      ◇      ◇


「まず大事な事から訊くわよ? 西は東に介入する意図が有ると受け取っていい?」

 東方に入ってからは都度受ける質問にはもう満腹だ。

「そんな意図は有りません。単なる行きずりです。僕には名目上の公的身分しか無いのですよ? 私人としてはどこの国にも属していない、いわゆる流しの冒険者です」

「そんなお題目は結構よ。英雄とまで呼ばれる立場でそんな自由が利くと思って?」

 名誉欲、権力欲、金銭欲、そういったものと無縁であると理解してもらうにはそれなりの付き合いが必要なので、そう見られるのは仕方あるまい。

「きっと私達の行動原理は、そう簡単には理解出来ないわ」

「じゃあ、無理解なあたしにも解るように教えてくれない?」

 美女同士が角突き合わせる姿は、得も言われぬ迫力がある。

「ラムレキアを無視してナギレヘン連邦に関わったという事は、帝国寄りだと考えてもいいの?」

「それはたまたまよ」

「偶然という言葉にどれほどの意味があると思ってるの?」

 どちらも退かないタイプなので、中身は激化していく。

「簡単に言質を取らせると思ったら大間違いよ」

「あら、我が国に協力しろなんて言ってないけど?」

 緑眼とハシバミ色の瞳が火花を散らしている。

「そうは言ってなくとも、共鳴の意を感じたとか吹聴しかねないわね」

「ありがとう。そのくらいで良いよ」

 青髪の掛かる腰に後ろからカイが手を当てると、チャムの目力はスッと引いていく。

「王妃殿下、現状では危険視する程度で、帝国に対する反抗意思は確定していません。向こうも同様に僕を危険視しているようなので、その天秤を無理に傾けられるのは困ります。動き辛くなってしまうのですよ」

「動くというのは?」

 言葉尻を捕まえてくる。だが、匂わせているのも事実。

「見極める必要が有るからこそ、足を運んでいると受け取ってくださって結構です」

「ラムレキアには腹意が無いと理解しても?」

「ええ」

 彼は首肯した。


 それならばと招きの言葉を口にするアヴィオニスに、カイは容易に首を縦に振らない。

「あなたの国との関係が深まれば、それはの国との距離を開ける結果になるのですよ」

「あたしとしてはそうして欲しいの」

 露骨に取り込む意図を匂わせる。これは誘いだ。

「うーん…、まあ帝国が僕の潜伏先をそう思っているのは確実でしょうからね?」

「動向を掴まれているの、カイ?」

 紐は切ったが、あの位置で姿をくらませればラムレキアに逃げ込んだと考えるのが普通だろう。

「実は北西部で刃主ブレードマスター殿とひと揉めありまして、ほとぼりが冷めるまで目立たないように行動していたんです」

「ジャルファンダル戦争に刃主ブレードマスターが関与していたってこと?」

 彼女は鼻頭に皺を寄せ、険しい表情を見せる。

「第三皇子らしい遣り口だと思っていたけど、これで確定ね」

「ああ、確かにお前はそう言っていたな?」

 この夫婦の間では、その疑惑が話題に上っていたという意味だろう。

「あれに関与していたのか、魔闘拳士?」

「はい。あの島を飲み込まれるのはどうもいけない感じがしましたからね」

「それで刃主ブレードマスターを怒らせたのか?」

 ザイードの目が笑っている。愉快だとでも思っているのだろう。王妃と違って勇者王は実に解り易い人だ。

「不本意な結果だったでしょうから」

「それは相当根に持っていると思う」

「それには私も賛成。次に顔を合わせる時は罠が張り巡らされているって思ったほうが良いわね? あなたには言うまでもないことだと思うけど」

 変なところで共鳴した美女二人は、別な意味で愉快そうな表情を見せていた。


「だとすると、少し困った事になっているのね」

 唇に軽く握った手を当て、思案するアヴィオニス。

「マズい状況か?」

「それだけの情報があたしのところに入って来ないのが問題。帝国に潜らせているは、把握されていると思ったほうが良さそう」

 王妃は伝令を呼び寄せる。

「帝国の諜報員は全員撤収。自分の身の安全最優先で資料を破棄の後、速やかに帰国するよう指示を」

 復唱した後、駆け足で伝令は去る。それは諜報部へ伝達され、淀みなく実行される筈だ。

「おいおい、それは大丈夫か? 目も耳も利かなくなるぞ?」

「ええ、入れ替えるまでしばらくは警戒を強めなくてはね」

「入れ替えるったって、そう簡単な話じゃねえだろ?」


 諜報員の育成は適性に可否が有るし、驚くほど時間と手間が掛かる。おそらく帝国全土に配置していた諜報員を入れ替えるのには生半可な事ではない。

 トゥリオはそれを指摘しているのだ。


「それは勘違いしていると思うよ?」

 カイはトゥリオの間違いに言及する。

「たぶん掴まれているのは表側の人員だろうね。端的に言えば耳の機能はしているけども、基本的には伝達役」

「伝達役だって?」


 深く潜らせている、内部情報にも触れられる立場の本当の諜報員はあまり派手には動けない。不用意に嗅ぎ回るような真似をすればすぐに疑惑を掛けられて、情報から遠ざけられてしまう。だから深い位置で情報の受容に徹するのだ。

 それだとせっかく取り込んだ情報を届ける機会を作るのが難しくなる。だから、その者達に接触して情報を受け取り、届ける為に働く人員が必要になる。それが伝達役だ。

 彼らは派手に動き回り、情報を収集しつつ運びもするので、どうしても見分け易く存在を掴まれてしまう事も少なくない。そして伝達役への情報の流出が押さえられてしまうとアヴィオニスの元までの情報伝達は断たれてしまう。

 それでは機能しないので、伝達役だけ丸々入れ替えようとしているのだ。


「なるほどな」

 トゥリオはやっと納得顔になった。

 商人などに身をやつして動き回るだけの人間なら、数を揃えるのもそれほど難事業ではあるまい。

「切れているだけなら繋ぎ直せば良いって寸法だな?」

「そうだよ。それだけの準備はしているって事なのだろうね?」

「カイ…、あなたは…」

 武の英雄と呼ばれる人物が諜報の仕組みにまで精通し、起こった問題を看破するだけの知識と洞察力を見せられた彼女は少なからず驚いた表情を見せる。

「この人を見た目通りの単なる武人と思わない事ね。刃主ブレードマスターを手玉に取った人を、ね?」


 チャムのその言には、アヴィオニスも耳を傾けざるを得なかった。

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